【306】3-④ 昭和最後の父親像━━宮本輝『流転の海』全9巻

◆人生の師との出会いが転機に

 私の妻はあまり本を読まない。いや、正確にいうと、読んでるところを見たことがない。3歳から少女時代にかけ、ピアノを弾くことを親から強いられ続けた、そのせいかもしれない。贔屓目に言って唯一最大の欠点だと思うのだが、なるだけ言わぬことにしている。先年、友人の前でつい口にしてしまった。直ちに「あなたはいっぱい本を読んでいるけど、何も身についていないじゃない」と応酬された。ずっしりと堪えた。

 そんな彼女がこれまで読んだと思われる数少ない本には、宮本輝さんのものが多い。私も彼の本は『泥の河』『螢川』『優駿』などを皮切りにそれなりに読んできた。この人は知る人ぞ知る創価学会文芸部員出身。作家としての手ほどきをしたのは、同文芸部草創の指導者・池上義一さんである。『流転の海』の最終巻である『野の春』を書き終えた後、聖教新聞のインタビュー記事(昨年12-19付け)に小説を書く上での転機になったのは、人生の師匠である池田大作先生のあるスピーチに出合ったからだと述べていて興味深かった。この2人に「師弟」をめぐる極めて意味深いやりとりがあったことを人づてに聞き、深く感じ入ったものだがここでは触れない。

 『流転の海』はともかく長い大河小説である。37年越しで著者は書き上げた。書くのも勿論大変だが、読む方も中々しんどかった。著者の輝さんにとってこの本は、「家族伝」だから、思い入れもひとしおだろう。それに付き合う読者は、よほど輝さん好きでないとついていくのに苦労するのではないか。私と輝さんはほぼ同世代なんで、この本を読み進めるにあたって、最初の頃は自分と彼の生い立ちを比べる気持ちが無きにしもあらずだった。しかし、途中でそれをやめた。あまりにも境遇が違い過ぎる──とりわけ父熊吾の生き方──からである。小説だから当然創作部分が入っていようが、大枠は変わるまい。こんな魅力溢れる男ってどこにいるのか、というのが率直な思いだった。

◆気になる息子の影の薄さ

 全9巻を通じて何を一番強く感じたか。わたし的には、一言で言えば、「ほんとかよ。こんな親父っている?」というもの。しばらくして、「昔はいたろうな」ときて、最後は「団塊世代の親は、子の育て方を知らないままきたな」いう風なところで、落ち着く。昨今の日本の、とてつもないくだり坂の風潮の原因は、団塊世代が子どもをまともに躾けてこなかったからだとの説がある。自分の子に対する姿勢をも含めて、私はこれに概ね賛同する。

 輝さんの親父・熊吾は、別に口先だけで躾けめいたことをしたり、言ったりしたわけではない。全存在をかけて子供に自分の背中を見せて生きてきたのである。そういう親父と、それに反発しながら寄り添う母親を見ながら育った輝さん。この辺り、彼の今があるからこそだろうと同調出来る。

 ただ、私の率直な感想は息子・伸仁の描き方つまり輝さんの自画像が物足りない。20歳までだからこういうものなんだろうが、いささか遠慮しすぎでないかと思われるほど、影が薄い。我々と同世代の評論家・川本三郎氏は、毎日新聞の書評(2018-12-9)で「一人の偉大な大庶民の死は胸を打つ。男性作家が父親をこれほど魅力的に描いたことは特筆に値する」と結んでいる。さすが文芸評論家、褒め方がうまい。私はこの父親像はどこまでが本当の事実で、どこからが創作、つまりウソなのかが気にかかる。もし、殆どが本当だったら、大変な父親だし、そうでなかったら、大変な息子だと思ってしまう。これっておかしな読み方に違いない。もっと素直に小説を楽しまなければ、との声がどこかから聞こえてくる。

【他生のご縁 選挙の応援演説をして貰う】

 宮本輝さんは私の初めての選挙の応援にわざわざ姫路まで来ていただき、宣伝カーから声を発し、スポット演説まで数カ所でしてくれました。関西、日本でも特筆される激戦区だったからとはいえ、芥川賞作家の応援を受けたのは勿体ない限りの、嬉しい体験でした。

 翌日、市内のある信用金庫に挨拶に行ったところ、受付の女性行員が「あっ!昨日宮本輝さんと一緒にいた人だ」と独りごちたのを聞き逃しませんでした。思わず「私の名前は覚えてくれてないのね?」と言うと、「すみません。私、輝さんの大ファンなんです」と。忘れられないエピソードです。

 後年、公明党の伊丹市議の仲間たち数人とご自宅を訪問して、直接お礼を申し上げる機会があり、あれこれとお話しを出来たのは貴重な体験でした。その昔、新聞記者時代に作家の水上勉さんの原稿を頂きにいった際に、その作風が宮本輝さんと似ていますねと私が言ったところ、水上さんが「そうだねぇ、彼は中々いいもの書くね」というようなことを言われたと伝えました。

 そこまでは良かったのですが、私はつい「小説家って、嘘つきですよね。物語を作る、創作するって、結局嘘つきでないと務まりませんね」と言ってしまいました。持論なのですが、いかにも露骨な表現をしてしまいました。ほんの暫くの間をおいて、輝さんは「それはまあ、そうですかね」と肯定してくれたのにはほっとしたものです。

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