高橋光男(みつお)ーつい一年前までは大方の人が知らなかった。今では公明党の参議院兵庫選挙区の候補者として、県下中にポスターが張り出され、〝兵庫五国〟を飛び回っているのでそれなりに名は浸透しつつある。先日三ノ宮センター街で入った喫茶店の店員がポルトガル人男性だとわかったので、高橋光男って知ってる?と訊いたら、大きく頷いた。また、淡路島の洲本実業高の先生も高橋さんの亡父を知っていた。私は大学一年の時に公明党に入党し、卒業と同時に機関紙記者となって今日までの50有余年。実に様々の政治家およびそれに挑戦する人を直接見てきた。その中で紛れもなく群を抜いて優秀かつ爽やかな人物が彼だと太鼓判を押すことが出来る。これまで候補者の書いた本など、ここに取り上げたことは皆無だったが、今回は〝掟破り〟をしてしまう。彼が書いた『世界を駆けた、確かなチカラ。』はそれくらい面白くてためになるからだ▼兵庫県宝塚市、1977年生まれとのこと。数えで43歳。身長186センチの見上げるような上背で、イケメン。ちょうど私の娘と同い年。2人の子どもさんの年恰好も、私の2人の孫とほぼ同じ。いわゆる団塊第二世代の一人。「就職超氷河期」に直面して、苦悩の就職活動を経た後に、外交官になって世界を駆け回るーこれまで私の世代が読んだ『何でも見てやろう』から、今の世代の『十五の夏』に至る幾冊かの青春記を十分に伺わせる。もっと詳しく書いてくれれば、それだけでベストセラーになるのでは、とさえ。他のどの作品とも違うのは、彼の亡き父上との深くあつい絆だ。息子を持たぬ私には例えようもなく羨ましい▼外務省専門職試験に受かって、ポルトガル語をやれと言われた時の衝撃ぶりは身につまされる人もいるだろう。私の事務所で事務を手伝ってくれた女子大生は後に韓国語を選ぶつもりで受験し合格したのに、ロシア語関係部署に配属になり、苦労した。多くの人が歩んだ道だ。だが、彼の受け止め方はまた凄い。ポルトガル語を学んだがゆえに、アンゴラやモザンビークのような途上国、ブラジルのような新興国など多様な国々で仕事が出来たとむしろ誇る。確かに、それ故にこそ政治家になってこれまでの多彩な経験を生かすことが出来よう。特にアンゴラでの体験記は想像を絶する。この間の新婚時代の奥さんの支え方も並ではない▼公明党には私の大学同期の遠藤乙彦君以来、外務省出身者は少なくない。現時点でも山本かなえ、石川ひろたか、高瀬ひろみと3人も活躍中。みなさん当選と同時に見事な活躍を展開してきた。彼、彼女らはいずれもあの佐藤優さんに及ばずといえど遠からぬ闘いを外務省内でやってきた。職場ではさぞかし惜しまれたに違いない。外交官としての道を極めぬまま、道半ばで政治家に転身することはそれぞれ相当の悩みがあったに違いない。高橋候補が出馬に決断をする際に、「本当に悩みました」という言い方をいつもするが、その都度私は胸塞がる思いがする。心中の深きところは勿論わからないが、政治家になって良かったと思わせてあげたいと、その度に心底から思う。この本を読み終えて、一段と高橋勝利への己が闘いは万全なるやに、思いが確と及ぶ。(2019-6-9)