なぜ今この本なんだろうか。遥か昔の1968年に『週刊言論』ーこれがまた懐かしい。創価学会系の週刊誌ーに初めて書かれた。単行本が翌年に文藝春秋から刊行された企業公害にまつわる本である。そしてついこのほど50年ぶりに文庫(1978年刊)の新装版として出された。その上、映画化もされたというから凄い。新田次郎『ある町の高い煙突』を私が読もうと思ったきっかけは、なんと、山口那津男公明党代表のインタビュー記事(毎日新聞5月21日付け)を見たことによる。新田次郎氏と同じ気象庁勤めだった山口代表の親父さんが、新田氏に語った史実が小説誕生の発端だという▼筋立ては、明治から大正期にかけて茨城県日立市の煙害問題で、鉱山側と被害者の農民側が交渉した結果、156mもの超高層煙突を立てることで、公害被害を克服したというもの。加害者としての企業と被害者としての住民側が、力を合わせて問題解決に当たったところが他の公害のケースと全く違う。当初は対立していたが、やがて一体となって課題解決に当たるようになる。ここらあたりが今になって、脚光を浴びていることの背景にありそうだ。尤も、小説の運び方としては、新田次郎の他のものに比べて、いささか物足りない。男女の描き方の淡白さも、主人公の人間的掘り下げにも不満足感が残る▼じつは、先日参議院兵庫県選挙区の公明党・高橋光男候補の選挙事務所に山口代表が立ち寄られた。束の間、応接コーナーで事務長を務める私と、二人だけの会話をした。「遥か以前に話題になった本がなぜ今また?」「SDGsの影響ですね」「はあ」ー日本だけの枠組みではなく世界的な観点から見て、持続可能な社会を目指すということだろうかー「中国を始めこれから世界で公害問題が先鋭になってくるのでね」「なるほど」「父が着眼したことが今に蘇ってきて、感慨深いですよ」「私はまた原発事故との絡みかと」「それもあるでしょうけどね」ー先の毎日新聞の記事によると、山口氏は、課題にぶつかった時の当事者のありかたとして、「粘り強い対話」や「課題を直視していかに克服するかという高い志」、そして「互いに協調して課題を乗り越えていく姿勢」といったことを学んだと語っている。対立、対抗、分断でなく、対話によって協調して課題を解決することを、高校生の時に父から叩き込まれたような気がする、とも述懐しているが、やはり「栴檀は双葉より芳し」といったところか▼山口代表とは長い付き合いだが、こうしたことは初耳だ。公害問題追及から政党間の合意形成まで、戦後政治史における先駆的役割を果たしてきた公明党。その中興の祖とでも云える山口代表の精神形成に預かって大きな力があったと思えるのが、父上の見聞録だったとは。このお話の主人公関根三郎と山口那津男がわたしには重なって見えてくる。今から46年前に池田先生が結成された「中野兄弟会」。千人を超える当時の創価学会中野区男子部の仲間たち。その中から5人の国会議員が誕生した。山口那津男、漆原良夫、魚住裕一郎、益田洋介(故人)、そして私。私を除く4人はいずれも弁護士経験者。今回、魚住氏の引退で、もはや現役政治家は山口氏だけになってしまった。政治家の資質が問われる中で、同氏は一段と重要な存在になってきている。これからもっともっと政治周辺のことやら、公明党の歩むべき路線についても語って欲しい気がする。(2019-7-13)