(348)一冊で日本文学丸かじりードナルド・キーン『日本文学を読む・日本の面影』を読む

 2020年のGWはそれぞれの人生にとって忘れがたい異常なものであったに違いないと思われる。外に出るな、家にいろと、政府から懇願されるなんて、前代未聞、古今未曾有のことであった。ただ、休むということだけをとるなら、ゴールデンウイークならぬゴールデンマンスの状態が続いて、本を読むチャンスではあったろう。私はその機会に今まで苦手意識から棚上げしてきながらも、気になってきたプルースト『失われた時を求めて』(14巻)と、ベケットの『モロイ』に挑戦することにした。一方、それではご馳走の食べすぎで消化不良を起こしかねないので、食べやすいものもとばかりに、一冊で日本近代文学全てを読んだ気になるようなもの(表題作)を読み、随分得をした気になった。

 実はキーンさんの『日本文学史』全18巻は既にざっと読み終えており、この『日本文学を読む・日本の面影』は、おさらいをするようなようなおもむきがあった。二部構成のうち前半の『日本文学を読む』では、二葉亭四迷から大江健三郎まで49人の作家を取り上げてそれぞれの代表作を論評しているのだが、最も印象深かったのは、夏目漱石についてあまり評価が高くないことである。これは『漱石全集』に悪戦苦闘してきた身からすると、全巻読破なんて無理することないよと言われたような気がして、ホッとするような心境になる。

●「漱石」は世界の古典にはなれない

「日本人にとっては漱石は掛け替えのない作家であり、近代日本文学を可能にした大恩人であるが」、「漱石の主な作品全部を読まなければ、彼の偉大さは分かりにくい」のであって、「日本文学の古典であるが、残念ながらいくら紹介書が出ても世界の古典になかなかなれないと思う」と結論付けている。その理由は、「多くの外国人読者が漱石文学を読む場合、小説に登場する人物と自分を同一視することは困難だし、物語としての面白さは谷崎や芥川等の小説には及ばない」からというわけである。だろうなあ、と思う。

 ただ、こう書かかれているからと言って、谷崎や芥川を全面的に礼賛しているわけでもない。谷崎文学は「深みが足りないという批判は出来ると思う」し、芥川についても、「かなり広く芥川の小説を読んだが、その技巧──特に小説の落ち──に段々愛想をつかすようになった」と、厳しい。このように、キーンさんは取り上げた殆ど全ての作家に対して深い吟味の手立てを加えていて興味深いのである。

 一方、そんな中で、後半の『日本の面影』では、『源氏物語』『徒然草』から能、俳句、日記まで広範囲に「日本文学」全般にわたって、その魅力や特質に迫っている。ここで私が最も感銘を受けたのは芭蕉についてである。キーンさんは、「芭蕉は、私にとって最高の詩人といえます」し、「読むたびに私の身にしみるような感動を覚えます」とまで言った上で、「出来るものならばぜひ会いたいというきもちがあります」とさえ。

 尤も、芭蕉を褒め称えるのはいいのだが、和歌の世界にはあまり触れようとしていないのは、少し疑問を感じざるをえない。つい先ほど『新古今和歌集』の世界が、800年も前に、現代ヨーロッパ文学の先取りをしているとの指摘を、知ったばかりの私としては尚更である。丸谷才一さんの『後鳥羽上皇』からそれを学び、12篇の短編小説にまとめ上げた諸井学さんの『神南備山のほととぎす』を読んで、より一層その思いは募る。諸井学のペンネームの由来がモロイから学ぶということにあると聞けば、さらに。ともあれ、こうした日本文学の世界に深入りさせてくれるまさに最適と思われる本に出会って心底から満足をしている。

【他生の縁 新幹線車中で隣り合わせる】

 一度は会って話したいと思っていた人に偶然新幹線車中で隣り合わせに座るというのは本当に嬉しい体験でした。ドナルド・キーンさんの存在はかねて知っていましたが、初めて読んだ本は、『明治天皇』上下でした。実はこの本は、先輩代議士の塩川正十郎さんから頂いたものでした。

 中嶋嶺雄先生が幹事役をされていた「新学而会」では当初、大先輩の塩川さんと私が政治家として席を並べていました。あるとき、会の始まる前の懇談で塩川さんが、「先だって『明治天皇』を読んだけど、実に啓発されました。まだ読んでおられないなら、私が贈呈しますよ」と、居並ぶ参加者に呼びかけられたのです。私は喜んで手を上げて、所望したことはいうまでもありません。旬日を経ずして、大部の本2冊が送られてきました。

 塩川さんは、国会で、慶應義塾出身の議員に声をかけて福沢諭吉の『学問のすすめ』の読書会を開催してくれるほどの読書家でした。東京駅から国会までの車での移動中にも本を離さず読んでおられた姿が目に焼きついているほどです。キーンさんとの巡り合いに、深い文学論をするでもなく、結びつけてくれた政治家「塩川正十郎」の話をしただけに終わりました。

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