(365)ポアロ三部作とマクドナルドの『さむけ』を読み比べ

我が幼き頃の読書体験は、コナン・ドイルのシャーロックホームズの冒険推理小説を貸本屋で借りたことにはじまる。勿論、少年用のもので、大人向けではない。この幼少年期の体験は後々にも影響し、やがて国際政治をバックにしたスパイものに嵌っていった。以来60年を超える歳月が流れ、この間どちらかと言えば推理小説とは馴染みが薄くなったことは否定できない。気がついたら後期高齢者。過ぎゆく時を忘れ、熱中するものを持つことが何よりの楽しみな老後の時間の過ごし方、と思うに至っている。そんな折にテレビで、映画『オリエント急行殺人事件』を観た。ご存知、エルキュール・ポアロの活躍するアガサ・クリスティの小説が原作である。ついでに、コロナ禍の有り余る時間を使って、彼女の代表三部作を一気に読んでしまった。『オリエント急行の殺人』『アクロイド殺し』『ナイルに死す』の順番で。改めて言うまでもないが三者三様で実に面白い▲この三作に共通するのは、犯人の圧倒的な意外性。つまり、登場容疑者がほぼ全員、話の舞台回し役(語り手)、中心人物というように読み終えるまで、およそ犯人像は見えてこない。三作のうち、最も驚いた結末は『アクロイド殺し』。読み手としてもう一歩まで追い詰めた、つまり疑いを持ち続けた通りだった作品は『ナイルに死す』。と、えらそうに言うが、それしかないと思っただけで、根拠は疑わしい。ともあれ、ポアロの確信溢れる犯人の追い込み方には今更ながら圧倒される。『ナイルに死す』は、近くテレビで放映されると言うので待ち遠しい(別に待たずともDVDで観ればいいのだが)。時間の経つのも気づかず、我を忘れるほどにのめり込むものがあれば‥‥。老後の過ごし方はそれに尽きるというのは、確かにそうかも知れぬ▲古典的名作の読後感に浸っている間に、毎日新聞の読書欄でめちゃめちゃに褒め称えた推理小説の存在を知った。ロス・マクドナルド『さむけ』(1963年 小笠原豊樹訳)である。推奨しているのは作家の津村記久子さん。これまで「15年以上にわたって繰り返し読んできた」本で、「自分が読んできたあらゆる小説の中でも最強の幕切れ」という。ここまでいうかと、直ちに買い求め、読んだ。確かに、「ミステリーの歴史に残る最後の一文」には感嘆する。読むこと、書くことを生涯の仕事にしている小説家がそういうのだから、確かなのだろうが、天邪鬼の身にとっては注文がないわけではない▲最大のものは、登場人物の名前が分かりづらいこと。つまり、苗字と名前が入り乱れて登場する(それはそれなりに芸の細やかさなのだろうが)ので、こんがらがってしまう。クリスティのものが決められた容疑者の枠内で犯人を探すルールを自身に課しているよう見えるのに比して、若干枠外に対象が広がってしまうかに思われる傾向(それは誤解なのだが)には、読者として追い辛い。ただ、この作者の凄さ(訳者も)は、文章の旨さ。巧みな比喩の展開と随所に織り込まれた情景描写の味わい深さには驚嘆するばかり。例えば、「峠への道を半ば上がったところで、日の光のなかへ出た。眼下の霧は、山脈の入江に打ち寄せる白い海のようにみえる。一休みした峠の頂きからは、内陸の地平線につらなるもう一つの山脈が見えた」というように(いちいちあげるとキリがない)。津村さんならずとも、文章作法の習練用には打ってつけとして、折り紙をつけたくなる。彼女はノートを取って読み進めたというが、なるほどと思わせるに十分な奥行きと膨らみがある。と、ここまで書いてから、推理小説評論家の権田萬治氏の解説を読んだ。『長いお別れ』で著名なレイモンド・チャンドラーと並び称されるほどの作家だと初めて知った。恥ずかしい限り。ここでも「日暮れて道遠し」を実感したしだい。(2020-11-5)

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