「ドイツ・ライプツィヒに学ぶ 空き家と空き地のつかいかた」という長いサブタイトルがついた、とても可愛い装丁の本が届いた。一読、移動がままならぬ「withコロナ」の時代の生き方のヒントが満載された素敵な本だと直感する。新たな世紀の青春絵巻とも読めるし、東西ドイツ統一後の地域史の変遷とも。ただならぬ本だよと、多くの若者にも薦めたい。著者の大谷悠さん(35)の肩書きは「まちづくり活動家・研究者」とあるが、昨年東大の新領域創成科学研究科で博士号(環境学)を取得し、現在は尾道市立大学で非常勤講師も務める新進気鋭の行動する学者である。仲間と共に約10年(2011-2019)ほど、ライプツィヒの空き家を「日本の家」と銘打って運営して、まちづくりに貢献してきた。この本はその活動を通じての体験をもとにまとめたもの。コロナ禍の今なればこそ読まれるべきグッドタイミングの出版だ。
1960年代に青春を過ごした世代にとって、小田実の『何でも見てやろう』に代表されるような未だ見ぬ世界を「旅すること」がその〝若さのあかし〟であった。その流れは21世紀へと続いてきた。2020年の幕開けと共に突然降って沸いたような新型コロナの蔓延は国境を超える旅を困難にし、「移動」に赤信号をともす。そうした時代の到来を先取りしたかの如く、著者は2010年代に──彼にとっての20歳代後半から30歳代半ばまで──ライプツィヒに住まい、その地を拠点に「空き家と空き地」の再利用を考え、実践してきた。つまり、あちこち動いた体験ではなく、定点に腰を据えて、そのつかいかたに思いを凝らした。その記録であるこの本は期せずして〝新時代の青春記〟にもなっているし、これからの時代の〝町おこし指南書〟ともなっているのだ。
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ライプツィヒは旧東ドイツの都市で人口約60万人ぐらいという。日本では我が故郷・姫路よりちょっと大きめ。東西ドイツの合体から30年間の歳月の中で、その人口流動は減少と膨張など四度も変化してきた。世界史を揺るがせた東ドイツという共産主義国家の衰退。冒頭でそれを背景にした一都市の興亡が描かれているのだが、これがまた読み応えがある。世紀の一大変化を余儀なくされたライプツィヒの1990〜2010年は、悪戦苦闘の末に蘇っていく。そのキーワードは「隙間」。その隙間に芽生えた4つの仕組み。そしてその隙間に起こった5つの実践。これらが克明に語られたのち、著者が仲間とともに2011年から、つまりこの30年史の後半の10年に取り組んできた「日本の家」のプロジェクトの全貌があかされる。その切り出し方が面白い──そもそもなぜ「日本の家」を始めたか。「暇だったから」というのだ。暇に任せての所産がどんなものか。現地に足を運んで見てみたいとの強い思いに誘われる。
著者は昨年その家をドイツ人仲間に任せて帰国し、博士論文を書いた。この本はそれを大幅に加筆修正したものである。随所に写真、イラスト、地図、表などが盛り込まれ、ありとあらゆる工夫が視覚に訴え、読むものの心の隙間に入り込んでくる。著者10年のライプツィヒ放浪の希望と挫折がない混ぜになって。今は尾道のまちづくりに取り組んでいるという。実はこの著者の父上は誰あろう、元東京工大副学長だった大谷清氏。姫路の淳心学院高校から東京大学を経て日経新聞記者になり、国際部長などを経たのち、大学経営に携わったという異色の人物。私とは東京在住の同郷人で形成された姫人会(きじんかい)の親しい仲間。その交流ももう30年近く続く。この息子君の存在はつゆ知らなかった。それだけに、「親バカを寛恕いただきたたく」と、突然送られてきたのこの本には驚いた。
あとがきで著者は、「風来坊の息子をいつも暖かく迎え、寝食を与え、惜しみなくサポートをしてくれた東京の家族」を始め、多くの皆さんに頂いた「御恩は大きすぎて返せないけれど、次の時代のために活動することで、次の世代の人びとに恩を送りたい」とある。イラストを担当しているリリー・モスバウアーさんは著者の夫人。オーストリア人とのこと。東京一極集中の影で、疲弊する地方の限界集落化に悩む日本にとって示唆に富む本の登場。「東京物語」ならぬ、日墺合体での真逆の「尾道物語」の展開に注目したい。
【他生のご縁
この本が出版された直後に中国新聞で