(397)〝霧にむせぶ城〟に掻き立てられる想像力ー奈波はるか『天空の城 竹田城最後の城主 赤松広英』を読む/7-18

 

著者のあとがきを真っ先に読んで驚いた。初めて竹田城の存在を偶然とある駅で見た雲海に浮かぶ城跡のポスターで知って興味を持ち、京都から現地へ。不思議な城跡と城主の魅力に惹かれ、数年かけて初めての戦国時代ものを書いたという。そんな簡単に時代小説が書けるものかと半ば疑う気持ちと、我が兵庫の生み出した〝幻の名城〟への興味とが相俟って、読み進めた。この本を読むきっかけは、岡山に住む読書人の先輩・日笠勝之氏(元郵政相)が、ご先祖ゆかりの人の本を読んでみてはと、送ってきてくれたから。かの赤松円心則村から数えて10代ほど後の武将・赤松広英が主人公。龍野城主だった政秀の息子。鳥取城攻めの後、家康によって自刃させられた竹田城主ーそう言われても、播磨守護職だった赤松の系譜では、「嘉吉の乱」の満祐ぐらいしか知らない。私には苗字が同じだけの未知の歴史上の人物。それでもご先祖様の足跡を辿るような錯覚を持ったのだから、名前とは妙なものだ▲「天空の城」とは竹田城の異名。まるで雲海の中を進む飛行機を思わせるように、城跡が霧のなかに浮かぶ。一度はその風景を直接見たいものと思いながら、写真だけで未だその機会はない。幾たびも下から見上げ、往時を偲ばせる小高い山頂にも登ったものだが。「雲海はうねりながらものすごい速さで左から右へと流れていく。頭上の雲が切れて青空が見え始めた。(中略)見ていると、雲海が少しづつ沈んでいくではないか。あそこに竹田城がある、というあたりの雲の塊が下がって、城が姿を現した」ー城主となって初めて国入りした広英が、城を対岸の山の中腹から眺める場面だ。もとをたどると、円山川から発生する霧がみなもと。雲海より霧海と呼びたい▲「天下泰平」を夢見る広英は、城下の農民たちと心の交流を度重ね、名君の名をほしいままにする。この小説は但馬、播磨をベースに、主に秀吉の天下平定への戦の数々を、広英の立場から追っている。戦国ものの体裁をとっていて、初めての気づきも多々あった。加えて、秀吉晩年の朝鮮出兵に伴う葛藤は、時代を超えて改めて無益な殺生だったことを思い知らされる。人間の一生への評価は、棺を覆うてから定まるとの思いを新たにした。更に、婚礼の儀の細やかさや、琴を弾き笛を吹く場面などに、女性作家らしい優雅な視点を感じたことは言うまでもない▲姫路城の城下で育った私には、今住む街にある明石城などは、天守閣がないゆえ、およそまともな城と思えない。どうしても壮大で華麗なそれと比較してしまう。まして竹田城は天守閣はおろか城の痕跡は石垣に残るだけ。しかし、それゆえと言っていいかどうか、観る人間の想像力を掻き立てる。ましてや〝霧にむせぶ城〟とは、まことに泣かせてくれる。この小説の作家・奈波さんは400年あまり前の時代に遡って、平和な楽土を夢見る為政者と一般人の、えもいわれぬ二重奏に誘い込む。「兵庫五国」と言われる中で、丹波・但馬地域は観光で気を吐く地域でもある。竹田城は、城崎温泉や丹波篠山の古民家などと並んで人気の的。コロナ禍前にはうなぎのぼりに観光客が増えていた。竹田城をNHK大河ドラマに、との運動もあると聞くだけに、この小説はもっと活用されていいのではと思うことしきりだ。(2021-7-18)

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