コロナ禍のお盆も過ぎた。この夏に入った頃から西部邁のものに取り憑かれている。福沢諭吉論と中江兆民論の2冊である。諭吉のことを語らせてこの本の右に出るものはない、と誰かが書いていたのを読んだのがきっかけ。打ちのめされる思いだった。慶應義塾に学び、諭吉については思い込み、入れ込み、惚れ込みがあった。だが、それは実像を見誤った結果かもしれぬと思い知らされた。で、その本の中に、次に兆民を書くとの予告があった。諭吉との類似性ー現代人の誤読ーに触れられていると知った。これまた衝撃的だった。というのが「西部劇場」に嵌った経緯だが、まず、後者から取り上げたい◆兆民といえば、ルソー『社会契約論』の訳者であり、『三酔人経綸問答』の著者として知られる。この『問答』は妙に面白かった。三酔人とは、洋学紳士君(民主主義的な理想家)と豪傑君(国家主義的な現実家)と南海先生(主人役の常識人)のこと。兆民ファン文化人(河野健二、桑原武夫ら)は、主人=兆民と見ず、ニ客の思想に分散されていると見ており、西部はこれを誤解だと指摘。兆民を「反体制の元祖」としたい彼らにとって、漸進的改良主義者の南海先生とはみなしたくないからだ、と。西洋思想の本質を見抜いていた兆民。その視点を色メガネで見た文化人を完膚なきまで否定する西部。この背後には真正の保守主義者たる西部ゆえの卓見があると思われる◆私はこの本を読んだ当時、社会党、自民党、公明党の三党リーダーの議論だと勝手に見立てた。身贔屓が過ぎると思わないで欲しい。〝自社55年体制打倒〟を目指す中道主義の真骨頂ここにあり、と思い込んだものである。自社両党に共通するのは、西洋思想に立脚している点にあり、非武装中立的理想論と軍事力拡大指向の現実論は共に誤りだ、と勢いこんだ。領域保全に限定した〝針ねずみ型防衛〟に徹して、漸進的に改革を進める公明党こそ時代をリードする存在だ、と。この見立ては本質を衝いているものと自負する思いは変わらない。昨今のスタンスはやや不本意なところはあるものの、身をやつした姿は本願成就を一時棚上げしたものと勝手に理解(誤解?)している◆本題に戻す。西部は世に跋扈してきた戦後民主主義、誤れる西洋思想受容を根底的に破壊する旗手として生き、思いを成就出来ぬまま自死を選んだ。被誤解者二人ー「諭吉と兆民」に対する情愛の籠った比較、『一年有半』にみる死の意味の捉え方など、大いに興味を惹く。兆民の破天荒な振る舞いぶりを、明らかに西部は意図的に模倣した部分があると私は見る。この本で最も共感したのは次のくだり。「兆民の死後から四十四年後、大東亜戦争の大敗北で腰を抜かした日本民族は、良識の中心になければならぬナショナリズムの一片をすら保持することをせずに、最悪の西洋化に適応してきました。つまり、歴史意識の決定的に不足している『ウルトラモダニズムとしてのアメリカニズム』、其れが二十世紀後半からの日本列島における列島人の精神が滑り落ちていくしかない勾配となったのです」ー嗚呼。(敬称略 この項つづく 2022-8-16)