兆民の本でもう一冊挙げるとすれば『一年有半』に違いない。西部も「死の意味を求めて」とのサブタイトルを付けて、取り上げている。これへの評価で最も辛辣なのが、正岡子規。「平凡浅薄」で、「要するに病中の鬱晴らし」の代物だと切り捨てる。それに対し西部は、「関心の赴くところ、何についてでも書いておこう」という「『拙いとはいえ真情溢れる』兆民の「仕事であった」として優しく寄り添う。誰しも晩年には「いかに死ぬか」を考える。思いつくまま気の向くままに、遅れてきたる人生の後輩たちに書き残したいとの思いは私にもあり、大いに共感できる▲一方、兆民は最後の作品『続一年有半』で、「無神」「無霊」「無(意思)自由」ーこの世に神も霊も、意志の自由も何もないということかーを断言した。これにも「陳腐なことこの上ない道徳観にすぎない」との世評が専らであったという。しかし、西部はむしろ「明治の激動期に直面した知識人の日本人」や、とりわけ「武士道の残影のなかに生きた世代」の「立場が鮮明に打ち出されている」と、肯定的な評価を与えている。尤も、現実には、この時代誰しもハイカラならぬ「『灰殻』でしかない西洋化」に靡くだけ。「西洋の根底にあるキリスト教的な価値観を批評の俎上に載せ」ようとする知識人は皆無に近かった▲江戸から明治へと時代が急展開する中で、全ては西洋的なるものの吸収に躍起となった。兆民も西洋の哲学を漁り、その真髄をルソーの『民約論』の中に求めた。と同時に、強硬な明治政府批判を繰り返した。人々は彼をして単純に「自由・民主主義者」と見立てたのである。西部は、その誤りを徹して暴き出す。「西洋」を至上のものとして、日本の思想的伝統をかなぐり捨てた時代。その風潮に、真っ向から立ち向かったのが兆民であり、「真正保守」の人を見誤るな、と▲先の大戦から70猶予年。アメリカに叩き潰され、骨の髄までそのキリスト教的価値観に翻弄されてきた日本。戦前の70猶予年は、それこそ批判の俎上にも載せず、棚上げしてきた。一転、戦後は棚卸しするが早いか拝み奉るに至った。「戦後民主主義」の名の下に。西部はそれに刃を振るいまくった。この本でも、兆民を見誤ったことに全てに狂いが生じる原因があったかのごとく掩護する。▲「民主主義の限界」が公然と語られる現状下にあって、今日本人が気づくべきは何か。西部は自らの後半生を振り返り、「精神的荒野を彷徨い歩いて」きた「『存在』としてはほとんど無の老人」と遜る。この時点から5年後、彼は自死へ。この兆民論は、諭吉論と並び、遅れて来る者たちへの遺言の側面が強い。が、それにしても妙に哀れを催す。この辺り、更に考え続けたい。(2021-8-22)