小さい新書だけど、凄い価値を持つ本だと思う。梅原猛『人類哲学序説』だ。ー人類の歴史は極端にいえば、自然との闘いの連続ともいえる。前回までに見たように、人間は自然になされるがままの状態から、自然を統御し、支配する段階に至り、やがてまた再び自然に翻弄されるという事態を迎えている。その背景については、現在までの世界を牽引してきた近代西洋文明が生み出した科学技術文明が問い直されねばならない。梅原氏は、人間中心主義に裏付けられた西洋哲学に根本的な問題があるから、今日のような厳しい状況を招いてしまったと、分かり易い形で提起している。
梅原氏はこれまで様々な形で物議を醸す論稿や発言を展開してきた人だが、90歳を目前に人類哲学を打ち立てると勢い込んでいる。これまで彼が人生の時間の多くをかけて取り組んできた西洋哲学が行き詰まりを見せ、むしろ世界の環境破壊の元凶になっている事態を前に、その向かう姿勢の一大転換を表明しているのは極めて興味深い。西洋哲学の推移を適格に追いながら、その誤りを救う道は東洋哲学にあるとの結論付けは、これまでも少なからぬ人によって展開されてきた。しかし、具体的な解決への道筋を示した哲学者は寡聞にして知らない。梅原氏はそれに大胆に挑戦しようとしている。すなわち、日本文化の原理としての「草木国土悉皆成仏」という思想がカギを握っているとして、『人類哲学』の名のもとにご自身が新たに構築しようとされているのである。
「草木国土悉皆成仏」とは、動植物などから始まって国土に至るまで、自然のすべてはいのちを持つ存在だとの考えをさす。梅原氏はそれを天台本覚思想と呼ぶが、仏教の考え方の根本原理であろう。20年ほど前から西洋哲学の原理とこの思想とをどう対決させるかを悩んできたという。彼は、それを率直に「西洋哲学の巨匠たちを批判する勇気をなかなか持てなかった」からだと打ち明けている。今になってようやく立ち上がったのは、ひとえに原発事故を伴う東日本大震災の発生によるという。原子力発電を主なエネルギー源とする現代文明そのものの在り方が問われているとの問題意識はきわめて正しいといえよう。
これから梅原氏は西洋文明、特に西洋哲学を研究し、より正確で体系的に論じた著書を書かなければならないとし、それこそが人類哲学の本論だとしている。その所産に大いに期待し一日も早く読みたいと思う。と同時に、仏教についても研鑽を深めて貰いたいものだと思う。この本のなかで触れられているものを見る限り、きわめて大雑把な仏教理解にとどまっておられるような気がしてならない。法然や親鸞など浄土教についてはそれなりの論及はあるものの、法華経については熱心な信者だった宮沢賢治を取り上げているだけ。賢治が惹かれた利他行に触れながらも、日蓮仏法の本質に迫っていないのはきわめて残念である。
この本の最末尾に歴史学者トインビーとの対談の際に交わされたエピソードが紹介されているが、大いに興趣をそそられた。トインビーは「21世紀になると、非西欧諸国が、自己の伝統的文明の原理によって、科学技術を再考し、新しい文明をつくるのではないか。それが非西欧文明の今後の課題だ」と述べたが、それに対して、梅原氏が「どういう原理によってそのような文明はできるのですか」と尋ねたら「それはお前が考えることだ!」と一喝されたという。
40年後の今になって、トインビーへの答えが出来上がったと言われること自体は素晴らしいと思う。ただ、やはり40年ほど前に、トインビーと池田大作SGI会長との対談(1972年)がなされており、梅原氏の関心を持つテーマが語りつくされている。ご存じないはずはないと思うのだが、全く触れられていないのは不思議に思われてならない。(2013・11・18)