「われ思う、ゆえにわれあり」との言葉とセットになって、デカルトの『方法序説』は、ヨーロッパにおける近代合理主義の出発を意味する書物だということはあまねく知られています。しかし、そのことが歴史の流れのなかでどういう意味を持つのかとなると、もう一つ良くわかりません。これまで私がぼんやりと捉えていたものは簡単に言えば、次のようなものです。
まず、近代合理主義って、一体何でしょうか。反対語を考えると、「中世非合理主義」となりますから、少しははっきりとします。中世と言えば、キリスト教が圧倒的な力を持っていた時代で、その教えたるやおよそ理屈に合わない、つまりは非合理なものの考え方が跋扈していた頃です。そうした古い遅れたものを打ち破って出てきたのが近代合理主義っていうことなんだろう、と。で、それをもたらしたものは、デカルトがすべてを疑い続け、否定し抜いてなお残るものとして、そうしたことを考える、疑う自分自身の存在は確かだというのです。要するに、考えない人というものは自分がない、すなわち人間というものは、関西風に言えば、考えてこそなんぼのもんやちゅうわけです。
ところで、人類の歴史のなかで、幾つかの文明は栄枯盛衰を繰り返し、今は見る影もないものが少なくないです。例えば、メソポタミア文明やインカ文明などがあげられましょうか。それに比べて、今日まで生き続けているのが西欧文明ですね。古代ヨーロッパにおける、ソクラテス、プラトン、アリストテレスらによるギリシャ哲学に支えられてきたといえます。ところが、途中でキリスト教との確執がありました。その結果、中世スコラ哲学に主役の座が取って代わられました。そのことがデカルトが登場する頃に、学問が混迷と煩雑さを招いたと考えられます。
デカルトは『方法序説』(谷川多佳子訳)のなかで、自らの哲学を述べる一方で、学問の方法について簡単明瞭に提起しており、きわめて興味深いものがあります。直観、分析、総合、枚挙といった、学問をするうえでの四つの方法や、ものごとは穏便に処せ、選択に当たっては迷うな、自分の欲望にうち勝て、との生きる上での三つの法則(格率という言葉が使われていますが、少しなじみませんね)を掲げています。当時の時代状況の中でこれほど平易な形で生き方のコツを述べた人はおよそ珍しかったのではないでしょうか。読んでいて一気に親しみを感じてしまいます。この辺りは、あまたの人々を導くよすがとなってきており、遅れて生きる我々にとっても大いに参考になります。
ところが、めぐり巡って今や、近代合理主義は評判が良くありません。その限界が声高に叫ばれているんですね。なぜそう言われるのか、文中を探してみました。「われわれをいわば自然の主人にして所有者たらしめることである。このことは、たんに大地の実りと地上のあらゆる便宜を、やすやすと享受させる無数の技術を発明するために望ましいだけではない。主として、健康を維持するためにも望ましいのである」とのくだりがそれにあたると思います。つまり、これって、他の生き物や自然を支配するために人間を至上の存在とする考えですよね。一言でいえば、人間中心主義。今日の環境破壊、滅びゆく大自然の元凶とさえ指摘されています。
ですけど、デカルトの登場前の世界っていうと、人間は大自然に翻弄され、振り回されることがしばしばだったんですね。生活を豊かに、健康で過ごすうえで、立ちはだかる自然をコントロールする必要が人間の側にはあったことを、今の時点で誰が否定できるでしょうか。結局はデカルトも‘’時代の子‘’だったといえますね。そのことを裏付けると私には思える記述があります。旅をしていく中で気づいたというくだりで、「同じ精神を具えた同じ一人の人間でも、子供の時からフランス人やドイツ人のあいだで育てられると、中国人や人食い人種のなかでずっと生活してきたのとは、どんなに違った人間になることか」ー訳者の注によると、人食い人種とは、アメリカの原住民をさすとあります。彼が生きた時代は17世紀半ばゆえ、無理もないといえましょうが、中国人と並列して書く神経はなかなかのものです。
いまでこそ反自然だといってデカルトを批判したり、近代合理主義への攻撃の矢は向けられますが、これは最近のことであって、かつては「デカルトの自然学が古代や中世の自然学に対する長所は、こうして人間を自然の支配者たらしめたところにあります」(澤瀉久敬『思想の英雄・デカルト』)といった捉え方が常識的なものでした。