[2]中道主義との比較に思い馳せるー西部邁『福沢諭吉 その武士道と愛国心』を読む(続)/9-5

「諭吉論」は前回で終えたつもりだったのだが、続編を。というのは1999年12月発刊のハードカバーは文藝春秋社のものだったが、中公文庫本(2013年6月)には評論家の中野剛志による「解説」が付いており、これがまた滅法面白く読ませる。これに触れてみたい。「マージナル・マンの『痩我慢』」と題する10頁のものだ。西部邁主宰の「発言者塾」の塾生だった中野は西部塾長との逸話を織り込み、「諭吉による西洋文明批判」の面白さなどを全面展開する。30年ほど前の「IT礼賛」花盛りの時代に、西部が「明治の昔も平成の今も、まったく変わらないね」と、「西洋盲信」を笑っていたと紹介する。これは令和になった今も基本的に変わらない。その挙句、この分野で日本が米欧のみならず中韓の後塵すら拝して慌てている現実は笑うに笑えない◆中野はこの「解説」で、西部による「福沢理解のための3秘訣」を示す。❶社会学者と見なす❷「マージナル・マン(境界人)」の視座で見る❸精神の様式を「武士道」として見る。どれも新鮮な切り口である。武士道とは、「死ぬ事」と「好いた事」との「二つの方向のあいだでバランスをとる生き方」であるという。この位置付けには唸らせられる。「臨終只今にあり」を常に意識した上で、同時に今を楽しむ生き方に通じるといえようか。「死ぬほど好きだ」との表現を下世話でよく聞く。その都度、矛盾を感じてきたが、福沢諭吉を西部邁を通して、中野剛志の「武士道解説」で読むとよく分かったような気がしてしまう。さて、それをまた、私の読後録で読まれた貴方はどうだろうか。わけわからんということではないように祈る◆さて、この「解説」は、福沢の『痩我慢の説』に関連付けて、西部の振る舞いは「左批判」だけでなく「右批判」にも及ぶことを明示していて興味深い。保守思想家・西部邁は、西洋思想に目が向きすぎであるとし、右勢力が「日本思想の伝統に回帰せよ」と批判してきたことを取り上げているのだ。極め付けは、「武士道の伝統は、精神の平衡を保ちつつ最高の義を目指す緊張した姿勢の『形式』のこと」だとし、「『実体』としての伝統を手に入れて安心したがる浪漫主義者は『伝統』ではなく、単なる『古習』に『惑溺』する」存在だとするところだ。この辺りの記述は、「福沢、西部、中野」三者一体の様相をもって読者に迫ってくる◆ここで、「真正・中道主義者」を自負する私は、この三者の目にどう映るか、が気になる。西洋文明批判を専らにし、伝統的日本思想にも厳しい眼差しを持ってきてはいるが、中野に「西洋と日本の境界線に立った者だからこそ、『西洋的なもの』と『日本的なもの』の双方の臨界を見極めることができる」と断じられると、いささかの動揺を禁じ得ない。これとは似て非なる「境界線上」に立って、常に「精神の転落死」の危機に彷徨う自分であってみれば、無理もないと自己弁護する気にもなろうというものである。我らの「中道主義」こそ、直接福沢諭吉に列ならないまでも、同種の指向性を持つ存在であると自覚したい。(2021-9-6 敬称略)

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