自分にしかできないことをどう探すか(85)

「あんたは目が見えんのやから、どうせ将来ろくな就職先ないんやから、高い金使って大学行っていったい何になる。(中略)世の中お前が思ってる以上に障害者って邪魔なんや」「お前さえおらんかったら」ー実の娘に向かって母親が投げかけた言葉だ。一回限りではない。毎日のように繰り返される母親からの嫌味と存在否定に追い込まれながらも必死に耐えた。一歳三か月の頃、網膜芽細胞腫という眼球に出来る癌によって両目を摘出せざるをえなかった石田由香里さんー彼女が盲学校を経て大学生になり、フィリピンに行くなどするなかで様々な可能性を広げていく話を、大学での教師西村幹子さんと共に著した『<できること>の見つけ方』で読んだ。「全盲女子大生が手に入れた大切なもの」とのサブタイトルがついた岩波ジュニア新書である。現役時代にお世話になった国会職員の女性から、「2・14」にチョコレートと共に贈られてきたのだ。引退直後に<できること>は何かと思い悩んだ時期があっただけに好奇心に駆られた▼それにしても酷いことをいう母親ではないか。冒頭に挙げた言葉の救いはでてこないかと、気にし続けたが、ついに母親からの詫びの披瀝は最後までなかった。その意味では未完の物語との思いは消えない。”親はなくとも子は育つ”という。親から酷い仕打ちをうけようとも、周りの他人の心配りでいくらでもひとは可能性を伸ばすことができる好例かもしれない。身体に障がいを持ってこの世に誕生しても、親の愛で見事にそのハンディを乗り越えたというケースは、乙武洋匡(おとたけひろただ)さんを待つまでもなく数多い。身体に障がいを持つ人たちを激励する機会がこれまで少なくなかった私だが、この本には大いに学ぶことが多かった▼実はついこの間、高校時代の後輩からある会合に誘われた。それは、やはり全盲の身でしかも79歳という高齢で博士号を取得された森田昭二さんという方のセミナーだった。あいにくと先約があり参加することは叶わなかったが、あとで彼から届いたレジュメを目にして、世の中には本当にすごい人がいるものだとの驚きを持つに至った。この私の後輩も障がいこそ持たないものの、中小企業の社長を経て60歳を超えてから関西学院大の大学院で学び博士号を目指している人物だ。その彼が森田さんはある種の霊的な導きに基づいて目的を果たすことができたことに感銘を新たにしていたことが印象に残る。あらためて五体満足の身でありながら、あれもこれも叶わせられることの出来ないわが身の不甲斐なさに思い至る▼両目がまったく見えない石田さんが「周囲から助けてもらう代わりに、周囲に対して何ができるか」っていうことを探すところに「共生」という言葉の真意があるというのは重く響く。衆議院議員を20年にわたって務めた私は、世の人々のためにお世話もしたが、同時に大いに助けてもらった。これからは、周囲に対し,世の中に対して、恩返しをする生き方が問われると思っている。その意味では現役を退いてからの時間が多いことに心底から感謝している。(2015・3・6)

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