『新・戦争論』の後半は日本周辺の課題を追う。第5章(朝鮮問題)➀日本が大陸と戦ったのは、いつも中朝連合軍。歴史上、一度も朝鮮半島の単独政権と戦ったことはない。→過去2000年の間に日中間での闘いは白村江、元寇、秀吉の朝鮮進攻,日清戦争、日中戦争の5回。その都度、朝鮮半島は戦場と化し、背後に必ず中国がいた。半島国家韓国と北朝鮮はこれからも中国の息遣いに配慮せざるを得ない。➁歴史になぞらえると、南北朝鮮は三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることもできる。あるいは北朝鮮が渤海だと考えた方がいいかもしれない。今、北朝鮮の渤海化と韓国の新羅化が起こっている。同じ朝鮮半島の国といっても韓国と北朝鮮はもともと違う。中国は高句麗を「朝鮮民族の国」ではなく、「中国の地方政権」と位置付けている→うーん。朝鮮半島の分断化をこういうまなざしで見ることや、国境感覚なき時代・空間認識は、中国を利するだけのものだと思うのだが、果たしてどうだろうか▼第6章(中国から尖閣を守る方法)➀中国が「台湾は中国の一部」だと言い続けていることを逆用して、台湾政府と那覇の政府というローカル政府のレベルで話し合う枠組みを作ってしまえば、軟着陸できる。→理屈としてはいい線いってると思うが、果たしてそんなことが通じるかどうか。那覇と東京の現在の関係からすると、日本と沖縄の信頼関係がおぼつかないように思える➁中国は今航空母艦を作っていますが、これを我々は怖がるどころか大歓迎しないといけない。完成する頃には無人飛行機が発達して,第七世代の戦闘機ができるはずですから、航空母艦というのは単に大きいだけの格好の標的にしかならない。→これまた相当先のことと思えるし、普通の人間としては大鑑巨砲主義的感性から抜けきれない。➂ウイグルで起きる(北京政府への)反発は「イスラム主義」的な行動様式になり、どんどん過激になってきている。中国にとって東は経済発展のために必要で、紛争を起こす必要はない。国家安定のために必要なのは、西での安定なのです。→だから、尖閣は安心していいといわれても、にわかにそうはいかない。評論家特有の戯言のように思える▼第7章(分裂するアメリカ)アメリカで生まれ育った黒人が,差別される生活の中で、本当に平等なのはイスラム教なんだと考えて、ムスリムに改宗する動きが起きています。ニューヨークやワシントンでも、街角で突然、メッカの方角に向かってお祈りを始める人がいますから。→ぜひ写真か映像で現場を見てみたい▼第8章(情報5カ条)何かを分析するときは、信用できそうだと思う人の書いたものを読んで、基本的にその上に乗っかること。そのうえで、「これは違う」と思ったら、乗っかる先を変える。→現実的には、そうはうまくいかないのではないか。あれもこれもと目移りがして、結局は落馬してしまうのがオチだろうと、自戒の念をこめつつ▼終章(なぜ戦争論は必要か)20世紀はソ連が崩壊した1991年に終わったのではなく、いまだ続いている。ウクライナ問題はまだ殺したりないから解決しない。「これ以上犠牲が出るのは嫌だ」とお互いが思うところまで行くしかない。→この調子では20世紀は永遠に終わりそうにないのではないかと思わざるを得ない。(この項終わり 2015・3・14)