画竜点睛を欠く外国人ジャーナリストの卓越した日本論(88)

デイヴィッド・ピリング『日本ー喪失と再起の物語』上下二巻(仲達志訳)ーこの本の特徴は何といっても沢山の人に直接インタビューして取材している(御本人によると、トルストイの小説の登場人物並みに膨大な数に上るという)ことに尽きよう。様々な人びとの生の声を生かしながら、具体的事実としての東北大震災と大津波、福島第一原子力発電所事故で壊滅的打撃を被った日本が、喪失の憂き目から再起へと立ち向かう様子を描いている。外国人により外国人向けに説かれた「日本論」としてこれ以上のものはない、というぐらい一般に絶賛されているが、概ね私もそれを認めたい。これまでの『日本論」といえば、ルース・ヴェネディクト『菊と刀』から始まって、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』に至るまでいくつかあるが、この書もそれら先行するものと比べて遜色ない価値を持っているとされるのに異論はない▼ただ、いささか難癖をつけるとすれば、船橋洋一氏を始めとする自分の友人に甘く、保守主義者の藤原正彦氏や東條英機元首相の孫娘・東條由布子さんらには厳しい眼差しが目立つように思われる(上巻の114頁、下巻の129頁から136頁)。勿論、そういう凸凹があっても一向に構わないのだが、いわゆるリベラルなものの見方が過ぎる物差しを持った著者だということは記憶に残しておいていい。それに加えて現代日本を描くにあたって、与党・公明党や宗教界の王者・創価学会を代表する人物を取り上げていないことはおろか、インタビューを試みてさえいないというのは、適正さを欠くというものだろう。幅広いそして奥深い日本論を書くなら、ダワーやヴェネディクトが試みなかった点に目を向けてみるべきだと思うのだ▼特に惜しまれるのは、下巻の冒頭に「日本人が絶滅に瀕しているという指摘を最初に行ったのは、実は誰あろう、日本の厚生労働大臣であった。二〇〇二年、当時の坂口力厚労相が『このまま少子化が続けば、日本民族は滅亡する』とやや大げさとも取れる表現で懸念を表明したのである」とのくだりを書いておきながら、当の坂口氏にインタビューをしていないのである。しかも、「あとがき」にこうあるから、なおさらだ。「二つの『失われた10年』を経て、今も数多くの問題を抱えているにもかかわらず、日本の『死亡宣告』は明らかな誤診であった」と締めくくっているのだ。だから「誤診」の主である坂口氏に弁明を求めても面白かったと思うのである▼いやはや我ながら妙な筆の進め方になってしまった。現代日本で私が尊敬する二人の男女がこの本の帯で讃えているというのに。一つは「幕末から東日本大震災まで、喪失と再起の歴史を分析する稀有な日本史」という緒方貞子さんの言葉。もう一つは「著者が本書で示した知識と良識は、私がこれまで読んだどんな本よりも、日本が経験してきた変化を理解するのを助けてくれた」というドナルド・キーンさんの指摘。オーソドックスな褒め方が出来ない私だということを割り引いて、皆さんは素直に読んでください。ともあれ話題のトマ・ピケティの『21世紀の資本』よりも面白いことは確かだ。(2015・3・20)

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