“町内会長一年生”としての旅立ち(91)

自治会と町内会とはどう違うのか。団地は自治会と呼ぶのが相応しいが、通常の街中のものは町内会がいいのでは、と私は勝手に思っている。昨年の4月から姫路市新在家の自治会の副会長(この地ではこう呼ぶ)になった。生まれ故郷の姫路に東京から移り住んではや27年目が経つが、この間に城北新町、野里、北新在家そして新在家と4回引っ越した。自治会活動はすべて家内に任せっきり。会合はもちろん、町内の掃除から夏祭りに至るまで一切のものに何も出たことはなかった。時々回ってくる隣保長なる役も名前だけで、妻任せ。粗大ごみすら自分で出すことはなかった。それが突然昨年から一年間、一転してやることになった。衆議院議員を辞してから1年が経っており、そろそろ身近なことで地域に貢献しなければと思っていたところに副会長になれと言われた。順番だからと、有無もなかった。▼そんな折、紙屋高雪『”町内会”は義務ですか?』という本を読んだ。このひとは40歳台半ばで団塊ジュニアの世代。私の娘より少し上の年恰好だ。サラリーマンうをしながら漫画評論やらブログガーとして活躍しているひとらしい。私と同様に全く無関心だったのが、つい自治会長を引き受けてしまい、てんてこ舞いしながらも、一風変わった自治会を創っていく様子が描かれている。およそこれまでなら読む気さえ起らなかったジャンルのものだが、必要にせまられたというか、基本を押さえておかねばという義務感で読んだ。読み終えての印象は若いのにえらいなあというのが正直なところ。彼の歳の頃にちょうど選挙に初挑戦した身としては、町内会、自治会活動なるものにはそれこそ関心を持って取り組まねばならなかったはずだったのだが▼この一年副会長として何をしたかと問われると、恥ずかしい限りだ。粗大ごみを出す日が月二回あったが、そのうち一回は午前5時半頃に起きて6時前にはごみを入れるケースなどを出して準備を始めることをした。あとは月一回の定例会の支度として様々のチラシやパンフレットの類を30隣保(全400世帯)ほどのグループに仕分けする仕事がルーティンワーク。年間を通じて最大の仕事が夏祭りということだったが、屋台の担ぎ手がなかなか集まらず苦労した。一度自分でも担ごうとしてみたのだが、そのあまりの重さが未だに肩の骨に残っているかのような気がする▼そんな私が今年は自治会長になってしまった。今年は私の住む3丁目から自治会長を出す順番に当たっていたということで、昨年末からいろんな人に声をかけたが当然ながら引き受けるひとは見いだせず、結局はミイラ取りがミイラになってしまったというしだい。先日はなったとたんに、64歳の方が脳梗塞で亡くなられたということで、お通夜に参列した。隣保長をされていた女性の実の父親ということでもあり、お悔やみに駆け付けたところ、私との人間関係も無縁ではなく、世間の狭さに驚いた。そんなわけで亡くなった方の母親にあたる90歳少し前の老婦人を激励させていただくと、大層喜んでいただいた。後日、お礼の電話があったので、県議選の支援依頼をすると快く応じてくださったうえ、妹さんが神戸市北区在住と分かり電話をさせていただき、これもまた快諾してくださった。なったばかりですべてはこれからだが、手探りの中から一つでも二つでも地域発展のため、皆様が住んでよかったと思われる地域にしていくべく頑張っていきたいと決意している。(2015・4・11)

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