【36】過去から未来へ、夢育むー小山満『シルクロードと法華経』を読む/5-28

シルクロード〜音の響きが心地よい。紀元前の昔から大陸を東西に結ぶ道をつたって、人が交流し絹に代表されるモノが動いた。そして仏教も。かつて日本人の多くは、壮大な繋がりに胸ときめかせ、夢を育んだ。この本は、その道筋の跡を追う試みである。著者の小山満さんと私は、創価学会学生部員として同じ時代を生きた。同い年だが彼の方が〝早いき〟で学年は私より上、学究肌で信仰心篤い人との印象が濃かった。〝雑学肌で信仰心薄い〟私には仰ぎ見る先輩であった。やがて違う道を歩み、老年になって再会した。若き日を共有した者同士、一気に昔に戻った。仏教美術研究の道に入った彼は、その後創価大教育学部教授、富士美術館長に。探究心溢れる少年の面影を残す雰囲気は昔のまま。50年の空白を超えるのに時間はかからなかった。6年前のことである▲『シルクロードと法華経』は、主著『仏教図像の研究➖図像と経典の関係➖』のエッセンスが抽出されたもの。学者人生の凝縮された所産をベースに、講演会で自在に語った記録である。仏教と無縁の人にとっても、関心が高いテーマをわかりやすく噛み砕いて説かれた入門書になっている。時を忘れ、家人の呼びかけも応じず、ひたすら読んだ。この本の凄さは、著者が訪れたシルクロード途上各地の遺跡探訪と、それに関わる写真画像がふんだんに披露されていること。分かりやすい。しかも、講演会に参加した人からの質問が適宜織り込まれている。通常、質疑応答は各章ごと末尾に掲示されることが多いが、この本では違う。講演の中身本文に質問がかっこ付きで登場、答えが直ぐ続く。普通、論旨が乱れるはずだが、そうなっていない。むしろ理解が進む。著者の貴重な工夫が伺える。大乗仏教の究極としての法華経がどう日本に伝わってきたか。経典、遺跡、翻訳の3つの角度から概説され、北魏、突厥から隋、唐を経て、飛鳥、奈良と京都の時代へと誘われる。随所で日蓮大聖人の御書からの関連部分の引用に出くわす。また、仏教関連の先達の学問的遺産をさりげなく紹介。興味を惹く。散逸していた資料が整頓されるような思いになる▲こういっても、仏教独自の難解さがあるのでは、との懸念を持たれる向きがあるかも。しかし、その心配はご無用。観光・歴史ガイドとしても読める。例えば、洛陽の素晴らしさを「黄河のほとりなのでみずみずしい町」だとして、大きな川のない西安と比較している。またタリバンに壊されたバーミヤン(アフガニスタンの首都カブール西百キロ)の二大仏についての記述も「壊されて中の像はない」が、「外側の枠の壁はさほど壊れていない」などリアルに迫ってくる。それぞれ、中国人論やイスラム原理主義など、その背景が語られて面白い。また、「聖徳太子否定論」を述べたくだりなども。太子信仰批判をめぐる混乱について、「私たちがしっかり正しく捉えていってあげないと(信仰の足場が)戻ってこない」と、学問の責任と継承する者への心構えが読み取れて、読むものはいずまいをただす。勿論、しかつめらしいことばかりではない。「カメラでいいものを撮ろうとしたら、横のラインとかどこかに基本の線を置く」などと、自身の体験を交えてのアドバイスも挿入されて微笑ましい。全編に「美術」の専門家としての、茶や陶器から絵画、庭園に至るまで豊富な知見が散りばめられており、読み応えがある▼加えて「現代中国」を考える上でのポイントが語られている。例えば、日本の風土、環境と中国のそれを比較して、日本の自然美が強調される。その一方で、中国は「人間の働きを大事にする」ことや、中国人に「一番になりたがる」傾向のあることなどを指摘。合点がいく。私の最も興味のある「世界と中国の未来」については、「アメリカに代わって中国が中心になる」との見立てを述べた上で、人間の思想の自由をもっと保障すべきだと、専制主義批判がなされている。そこで、習近平・中国と仏教との関係が知りたくなる。池田思想研究所が中国各地の大学に付設されているとは聞いているが、その意図の全貌は不透明だ。単なる政治的配慮に過ぎないのでは、との疑念もよぎる。香港をめぐる動向を見るとき、信教の自由が危ういどころか、その火は消えたと見る他ない。読み終えて、中国の民衆と宗教の関わりに思いが馳せる。(2022-5-28)

 

 

 

 

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