【40】精神科医作家の華麗なるデビュー作➖帚木蓬生『白い夏の墓標』を読む/7-13

 久しぶりに小説らしい小説を読んだ。ここで、小説らしいとは何か、と考えてみる。一にドラマチック。二に、リアリスティック。三に、ミステリアス。あとは欲をいえば、男と女の絡み合いがほどほどにあって、救いがちょっぴり。これが私の求める理想の小説像である。実はこれ、この本を読み終えて、頭に浮かんだものを羅列してみただけ。小説を以前ほど読まなくなったのは、歳を取ったことと関係する。読み進めるにつけて、過ぎ去りし時間への後悔が次ぎつぎと湧き出てあまり楽しくない。平板過ぎたり、リアル過ぎて悲しくなるのも嫌だ。だからといって荒唐無稽なのも。女性が描かれていない、貧しさと無縁なのも面白くない。それでいて、最後は明日への希望が湧いてこないと。この本は、今挙げたような、あって欲しいと思う要素が全部入っている。帚木さんのデビュー作である◆実は、『三たびの海峡』『逃走』『閉鎖病棟』といった初期の作品を感動のうちに読み進めながら、世に「帚木蓬生」の名をたかからしめた『白い夏の墓標』を、私は読まずにきた。なぜか。単純な思い込みだが、「医に関わる者の戦争犯罪」と聞いただけで、暗い雰囲気と結論めいたものが分かってしまう。だから敢えてそういうものは読まずに済ませよう。そんな感じで、きた。それがここへきて読む気になった。一つは新型コロナウイルスのパンデミック。「ウイルス」の犯罪化をどう描いているかに興味が湧いた。もう一つは、このところ大型化してきて、読み辛いものが多いこの人の作品からすると、手ごろな分量だという点。最初の数頁のとっかかりの悪さを乗り切れば、あとは一気に滑り出すボートのように心地よく進む。東大仏文科を出てTBS記者になるも、僅か2年で辞めて九州大医学部へ。卒業後は精神科医をやりながら小説を書く。今なお二足の草鞋をしっかり履き続ける、その才能の凄さ加減が嫌と言うほど分かった◆6つの章立てと展開は、実に技巧が凝らされ、考え抜かれたものだ。物語は肝炎ウイルスの国際会議に出るためにパリを訪問中の大学教授佐伯の舞台回しで進む。①その佐伯とベルナール老人とのいわくありげな邂逅②主人公黒田と佐伯の学生時代の出会い③現代に戻って、謎めいた佐伯のウスト行き④ウイルス研究に取り憑かれた黒田の手記の登場⑤黒田夫人ジゼルの衝撃の告白⑥黒田の娘クレールの快活な振る舞いと、ベルナールの締めくくり的手紙。➖仙台型肺炎ウイルスの研究で、米軍にその能力を買われた黒田が、アメリカに留学して、数奇な運命に巻き込まれていく、興味津々たるストーリーが展開していく。著者のいいたい最大のポイントは④の手記における、主人公の煩悶にあろう。「逆立ちした科学に向かう者と、まっとうな科学を目指す者に振り分けるものは一体何なのか。実は何もない」「もっとも恐ろしいのは、まっとうだと思い込み、また人からもそう信じられ、その実、逆立ちしている科学ではないのか」と。細菌兵器開発の実態を明解に暴くくだりである◆一方、この小説の面白さは、⑤の黒田とジゼルの逃避行に違いない。ハラハラどきどきの冒険談に引き込まれていく。だが、そこにいくまでの随所に盛り込まれた物語全体の伏線がたまらない。とりわけ黒田の生い立ちにおける貧しさと、それゆえの複雑な男女のもつれあいが味わい深い。そして巧みな比喩を駆使しての文章のうまさ。「白い綿球状の花をつけた牧草の上を靄が滑走していく。白い水蒸気の帯が深呼吸をするように、次々と山頂の方へ吹きあがっていくごとに、斜面はあざやかな緑に変わっていった」➖こうした表現に出くわすたびにため息が出る思いがする。自分はいつになったらこんな情景描写を繰り出せるかと。また、娘の若さそのものの強調ぶりに、場違いとも思える不思議さを感じる。と同時に、微かにちらついた不思議な影。ひょっとすると主人公は生きているのかも、との疑念が浮かび上がる。いやはや面白い小説を楽しめた。(2022-7-13)

 

 

 

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