本格的な夏の訪れと共に、コロナ感染者の数がまた一段と増えてきた。国内外の旅に手ぐすね引いて待っていた大人にも、夏休みに心躍らせていた子どもたちにも水が浴びせられた格好だ。「第7波の到来」との声に誰しもうんざりする。ジジェクの『パンデミック2』を読むきっかけは、テレビで斎藤幸平氏(『人新世の資本論』の著者)の解説を聞いたことによる。同氏は1冊目に当たる『パンデミック』の監修を担当していた。一方、この本は2020年春以降の情勢変化を踏まえた続編で、コロナ禍を題材にした現代文明論、哲学考、政治分析の赴きがある。著者の奥深く幅広い知性に圧倒されるばかり。参院選前に読み終えていたが、終了後改めて読み直し、コロナ禍を舐めてはならないことを痛感する◆ジジェクは、スロべニアの哲学者。精神分析学をテコに現代世界を俯瞰して解き明かす。「はじめに」の書き出しは「北北西で何か怪しい匂いがする」と、あたかもヒチコックの映画に思いを向かわせつつ、2020年6月、ドイツの食肉工場でのコロナのクラスター発生に繋げていく。第1章は、「マルクス兄弟主演の映画『我輩はカモである』」から口火を切る。以下14章まで、次から次へ映画やドラマを使い、小説を引用して、わかりやすい口調で、難解なコロナ禍での社会的事象や現実政治を腑分けする。更に「補遺」では、「権力と外観と猥褻性に関する四つの省察」と銘打ち、「新ポピュリズムの台頭を特徴とする世界」の動向を占う。具体的にはトランプ米大統領(当時)現象を料理する際の手の内を明かしてくれるのだ◆「彼は猥褻な噂が流れるような威厳のある人物ではない。彼は猥褻性を品位の仮面に見せようとする(公然と)猥褻な人物なのである」とするように、手を替え品を替えて幻想を打ち砕く。「我々が見ているのは『裸の王様』のリメイク版」だが、原作と違って「無邪気な子供の視線」は必要なく、「王様本人が自慢げに『俺は何も着ていない』と公言している」というように。トランプは過去の人ではない。今も米国を二分する人気を博し、2年後の返り咲きを狙っている。日本でも無縁ではない。反トランプの言説は「陰謀論」だとする動きがヒタヒタと水嵩を増している。トランプという〝暴れ馬〟をうまく御していたかに見えた、安倍晋三元首相。彼を亡くしてしまった日本が、やがて深刻な苦境に陥らぬことを願う◆コロナ禍は当初は「我々は皆同じ舟に乗っている」との認識で一致し、「人類は運命共同体」であることを楽観視させた。しかし、ジジェクは、今や「階級間の分断が爆発的に広がっている」とし、最下層にある人々(移民や紛争地に取り残された人々)にとっては、生活が困窮しすぎてCOVID-19(コロナ)は重要な問題ですらない」と危機意識を煽る。最前線でウイルスと闘っている看護師やエッセンシャルワーカーたちを、新時代の搾取階級だと位置付けさえする。混迷を続ける現代世界を救うのは資本主義の装いを変えることでなく、「コミュニズム」の見直しに期待する動きが日本でも漸く仄見えてきた。果たして、それが真に世界を、日本を救うよすがになるのか。それとも新たな混乱の深みへの機縁に過ぎないのか。その辺りに考えは及び、興味は尽きることがない。(2022-7-19)