【53】5-④ 映画に歌に昭和を駆け抜けたマイトガイ──小林旭『さすらい』

◆息を飲みっぱなしの連続活劇

 長嶋か王か?若乃花か栃錦か?〝戦後第一世代〟は、プロ野球、大相撲の人気を二分するスターに熱中した。そして映画や歌の世界では、裕ちゃんかアキラか?の選択が今になお続く。石原裕次郎と小林旭。残念ながら裕次郎は52歳で逝ってしまったが、アキラは芸能生活60年を超えて未だ健在。ここで、芸能人を取り扱うのは初めてだが、何を隠そう、私は学生時代に日活調布の撮影所にエキストラのバイトで通ったし、後述するように彼の歌ともご縁がある。そして『渡り鳥シリーズ』の脚本を書いたとされる、後の原健三郎衆院議長は郷土・兵庫の大先輩である。様々な思いをめぐらせながら、「小説風自伝」を一気に読んだ。

 若かりし頃のアキラのタフぶりは、ともかく凄い。「大部屋時代」のバットで襲われるシーン。思いっきり振られたバットが彼の腹の腹筋力で真っ二つに折れた(という)。いくらなんでもこれは怪しい。しかしそれもあるかも、と思わせるような話が次々登場する。

 「渡り鳥誕生」のアキラが殴られて2階から落ちるシーン。吹き替えをやってくれた鳶職人が大腿部骨折をしてしまう。病院に見舞いに行くも、「痛ぇよ、痛ぇよ」と唸り声が聞こえてきた。いらい、自分で痛みを感じる方がまだマシ、と一切吹き替えなしですませたという。保険会社も恐れて逃げたとの逸話も本当だろう。「命知らずのマイトガイ」では、八路軍に殴り込みをかけるシーンで、爆発係の手違いのため相方の左足が大腿部ごと吹き飛んだ。アキラ自身も生死を彷徨って、首の骨を折る寸前の大事故を起こした。息を飲みっぱなしの連続活劇は、怖さをもともないつつ実に面白い。

◆迫力溢れる「日本映画論」

 やがて「昭和42年」に大きな転機がきて日活をやめる。その際に展開される「日本映画論」が実に迫力に満ちていて、この本の白眉である。一言でいえば、作る側も観る方もアメリカ映画に魂を奪われ、骨抜きにされてしまったということに尽きる。アキラは「アメリカにしてやられた」責任は、「先を読めず目先のことに奔走し、セコい作りをし始めていた日本映画界にある」と断罪する。「映画が斜陽だからといっても、まだまだその流れを食い止め、我慢して来る時を待つという手はいくらでもあったのに、ロマンポルノだとか目先の利益ばっかり追いかけた結果、今なお続く映画不毛の国になってしまった」と、手厳しい。

 この本の出版は20年ほど前だが、この流れは止まってはいない。昭和30年代まで日本映画界は、黒澤明、小津安二郎、溝口健二ら枚挙にいとまがないほどの巨匠たちが輩出した。アキラの演じたアクション映画の世界も然りだ。今では欧米どころか、韓国にもすっかりお株を奪われた感がして悔しい限りだ。

 映画界を去ったアキラは事業に手を出し、大火傷をする。いや、その前に、美空ひばりとの結婚(昭和37年)という一大イベントがあって、「公表同棲から理解離婚」の章が一部始終を物語る。世紀の大歌手とのカップルには私も心底驚いたものだが、裏話は興味津々だ。慣れぬ事業の失敗で巨額の負債を背負うものの、へこたれぬ姿は胸を打つ。さぞかし辛かったに違いない。そして、ひょんなことから本格的に歌手への道が開く。

 きっかけは、一世風靡の曲『昔の名前で出ています』だった。私はカラオケは苦手だが、ある時、仲のいい後輩からアドバイスを受け、この曲を練習した。せっせと歌ううちに段々それなりに様になってきた。そのうち、何を歌っても、声が、節回しがアキラにそっくりとまで言われるようになってしまう。その噂が当のご本人周辺に届いてしまった。選挙の初挑戦で落選し、苦節4年の後に当選するまでの間に、アキラの4曲を部分的に替え歌にした。それがなんと、彼の前で私が歌うことになったのである。その顛末はまたの機会に譲りたい。(敬称略)

【他生のご縁 一緒に歩きながら替え歌を唄う】

 私が替え歌にした小林旭の4曲とは?「私の名前が変わります」「ごめんね」「もう一度一から出直します」「お世話になったあの方へ」です。最初のは、選挙に出るにあたり、私の仕事が変わるということに引っ掛けました。次のは、みんなに応援いただきながら落選してしまってごめんなさいとの意味に変えました。三つ目は、文字通り、落ちた時の心境です。最後のは、応援していただいた皆さんへの感謝の言葉です。時に応じて、カラオケで歌っていました。

 アキラさんの曲を私が歌うのを聴いた仲間が、噂していたのが、ある著名な方の耳に入りました。その人は、知る人ぞ知る小林旭の友人で、毎年年末恒例の「小林旭ショー」に幾人もの知人を招いていました。そんなときに、私に白羽の矢が立ちました。会場を移動する際に、挨拶もそこそこに「アキラさん、私の替え歌聞いてください」と言いつつ、触りの部分を歩きながら歌ったのです。「うーむ。俺の歌をそんな風に歌ってくれるの、あんただけだねぇ」と、感心されたのはいうまでもありません。天下のアキラと並んで歩きながら、彼の持ち歌を替え歌にせよ、聞かせるとは。我ながら呆れると同時に、誇りに思っています。

 

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