【60】3-① ウクライナ情勢とダブらせて──中村正軌『元首の謀叛』

◆日航社員から転身し直木賞受賞

 東西両ドイツが背後にそれぞれWTO軍とNATO軍を擁してツノ突き合わせる。この本が世に出た当時(1980年)は緊迫した状況が続いていた。著者の中村正軌さんは米、独など海外勤務の長い「日本航空」の社員だった。帰国後、横浜から東京への通勤途上に、満員電車の中で本の構想を練り、自宅に帰ってせっせと原稿を書き続けた。その作品が直木賞を受賞した。「国際情報小説」に当時浸っていた私は、同じ趣味を持つ上司の市川雄一編集主幹からこの本の存在を聞いた。もう40年も前のことである。

 タイトルは印象に残っていたが、内容はほぼ忘却のかなただ。それを再読してみる気にさせたのは、もちろんロシアによる「ウクライナ戦争」である。プーチンとゼレンスキー。2人の大統領の存在と、この本のタイトルにある「謀叛」が気にかかった。「ぼうはん」と読ませるが、裏切りを意味する「むほん」のことである。仮にいまもしかして、と〝想像のつばさ〟も広がる。もちろん舞台は全く違う。当時ソ連圏の一部であったウクライナが、独立したはずなのに、かつての盟主国に攻め込まれ、防戦が続く。現在只今の戦争を横目に、過去のフィクション小説を読んでみた。

 「月の無い真暗な湖面に頭だけを出して周囲を見霽かすと、じっと動かぬ陸上の多数の光と、微かに揺れているヨットやボートの点々とした光が見える西岸の光景とは対照的に、東側には何一つ光るものがなかった」──東ドイツ側から「西」に潜入する若い将校。彼が地下トンネルを這って、森と湖を見やる冒頭のシーンは、幻想的な風景描写で、一気に当時の国際環境を想起させる。東西ドイツを分つ壁を舞台として、のっけから手に汗握るドラマが展開されていく。

 ◆豊富な情報量を基に奇想天外な想像性

 中村さんが書き進めていた頃、現実の国際政治では虚々実々の駆け引きが壁の内と外とで展開されていた。西ドイツに攻め込むことを押し付けられた東ドイツのトップ・ホーネッカー書記長がソ連に叛逆し妥協を選ぶという驚き呆れる筋立て。若い将校が相手方のシュミット首相への密書を隠密裡に運ぶ離れ業を担わされて動く。ヒチコック映画「鳥」のような飛び立つ無数の鳥、敵と見定めたひとに襲いかかる一匹の「犬」のリアルな動き、老夫婦の豊かな人情などを挟み込む見事な活写。東欧の経済的困窮ぶりをめぐる考察とか、血を分けた兄弟、親子の運命的別れと再会、ドイツ・ゲルマン民族の統一への夢が織り込まれて興奮させられずにはおかない。

 豊富な情報量を基に、奇想天外な想像性、正確無比と思しき事実認識力などが横溢している内容にただ感嘆するほかない。劇画風の小説を読み慣れた向きや、男女の絡み合いがお好きな読者には不向きかも知れないが、正統派には堪らないはずである。

 初めて世に問われてから長い時間が経った。東西の壁が崩壊して、中村さんの描いたようにはならず、ひとたびは平和裡にことが運んだ。〝事実は小説より奇なり〟とのことわざ通り、戦争に発展せずに、ソ連の自滅を招いた。その背景には、伝統的なソ連の政治家とは肌合いを異にする理想主義者ゴルバチョフと、統一ドイツを目指してひたすら現実主義に徹したコールという〝2人の役者〟の存在があった。

 結果から見ると、ゴルバチョフが楽観的に過ぎて、NATOのその後の展開を封じ込めることに失敗した。それが、今のプーチン・ロシアの怨念に繋がり、ウクライナの犠牲をもたらしたとも言えよう。「元首の謀叛」というタイトルを今に当て嵌める誘惑に駆られる。ロシアのウクライナ侵略が始まった当時は、ゼレンスキー大統領が逃げ出すのではないかと見る人がいたり、プーチン大統領暗殺を口にする人々が後をたたなかった。中村さん風に今の状況を見立てると、誰かの謀叛こそ世界を救う一歩足り得るのに、と思うのだが‥。

【他生のご縁 新聞小説執筆を依頼するも‥‥】

 公明新聞紙上に連載小説を中村さんに書いて貰おうと、市川雄一さんが言い出しました。お前も来いと言われて、中村さんとの執筆依頼の場に同席させていただいたのです。だが、新聞連載は荷が重いと固辞され、こちらの企ては沙汰止みになったのですが、その場での語らいは実に愉快なものでした。『元首の謀叛』原稿は書き溜めたものの、ものにならぬと思い込み、押し入れに放りこんでいたそうです。ある編集者との酒席で話題になり、陽の目を見るに至ったと聞きました。

 私が『忙中本あり』の出版記念の集いを開いた際には壇上花を添えていただきました。政治家の皆さんを壇上にあげず、中村さんを始めとする作家や学者、文化人ばかりに並んでいただいたのですが、衆院憲法調査会長の中山太郎さんから、「赤松さんのパーティーは政治家のものというより、文化人の集まりだったね」と感心されたものです。中村さんとはその後会う機会がないまま永遠の別れをしてしまいました。今ありせば欧露関係で蘊蓄を傾けて欲しかったとしきりに思います。

(注)中村正軌の軌は、車へんに几で、まさのりと呼ぶのですが活字が発見できず、簡易的に済ませたことお断りします。

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