【63】天の企みと人の巧みさに酔う──伏見康治、安野光雅、中村義作『美の幾何学』を読む/12-7

文様にこだわる物理学者

 伏見康治さんってどんな人か?───「統計力学の分野で多大の研究業績を残し、また日本の科学研究体制の確立と発展に大きく貢献している原子物理学の泰斗」。共著者のひとり、数学者の中村義作さんの言である。さらに続く。「伏見康治先生のお名前は学生時代からよく知っていた。河出書房から出版された先生の名著『確率論及統計論』は小生の座右の書で、学生時代に徹底的に勉強し、その内容の深さと明快な解説で強烈な刺激を受けていた。小生のような若輩者からは、伏見先生はまさに雲の上の存在で、対等にお話しするなど夢想もできない」と。そんな伏見さんと、私は一時期親しくお付き合いさせて頂いた。公明党から参議院議員に出馬されたとき(1983年)に、機関紙での人物紹介欄を担当することになったからだ。この本は「文様にこだわる物理学者」として、「数学マインドにあふれる絵本作家、そして遊び心旺盛な数学者」と、自由闊達な鼎談を繰り広げたものである。幾何学の面白さが縦横無尽に語られていて、全く数学が苦手だった私にもそれなりに楽しく読めた。

 かねて、伏見さんは「折り紙」に、ご夫妻揃ってはまっておられた。そこを中心に人物像を書いた。「折り紙」というと、「千羽鶴」を選挙のたびに皆さんから頂きながら、自分では全く折った経験のない無粋者なのだが、改めてこの本を読み、その奥深さを垣間見る思いがした。「鶴を折るのに、最初の出発点の紙を正方形にしないで、菱形にするわけですよ。それでも折れるわけです。そうすると、翼が長くなったり、短くなったり、首が長くなったり、短くなったり、いろんな形の鶴がワーッと出てくるわけですね。まさに神様になったような感じがしますね」と笑っている。

 自然界はなぜ対象が美しいのか

 この鼎談の冒頭で、伏見さんは「(自然界は)なぜ対称が美しいのか」という疑問から初めて、次々と読者を深みに誘う。例えば、北斎の富嶽三十六景の中の富士山の絵。前にある湖面に映った逆さまの影が左に偏っている。これはなぜか?北斎が「この絵で鏡映以外にも対照性があるんだということを教えようとした」のではないかと睨むのだ。絵や文様、紋章などをふんだんに織り込んでの解説にはグイグイ惹きつけられていく。例えば、紋と文様の魅力について。「シンメトリーにすると、とにかく何かが出てくる」し、「紋というのは対称的なんですよ。(中略)  ある対象に対称性があれば、それはパターン認識の一つの有力な手がかりになる。で、紋章に対称性があるのは、これがなにかマークだということを思いつかせるのに非常にいい端緒になる」という。しかし、日本中の都市の紋章には「どうしてあんなくだらないものを作るのか」と嘆く。「(福島市は)フの字が九つあって、マの字が四つある(笑)。大阪の『みおつくし』とか、神戸の『扇面二つ』とか、古いのにはいいのがある」と褒められて、関西人の私はニンマリする。次にだまし絵で有名なエッシャーを語るところでは、「あれは本当に美と関係あるのかな」と問いかけ、「美しさよりも面白さというもの」とし、ヨーロッパ人は、「不気味なものを平気で描く」し、「妖怪変化に満ち満ちている」と断定される。私には興味深い日欧の美的感覚比較論に思われた。安野さんは伏見流「寄せ木絵」について、「幾何学的数理の裏づけ」に加えて「絵描きとしてのセンス」があると持ち上げ、楽しい会話が続く。

 こうした会話の端々に、自然界の不思議さと人間の知恵の力をめぐる考察が仄見えてくる。中でも、道路の敷石と、石垣の石についての日欧比較は面白い。すべての道はローマに通ずる、という慣用句通り、ヨーロッパでは石の道路が発達した。だが「日本の石垣は、『桧垣』とか『網代』とかよばれている文様の形になっているのが非常に多い」とし、その理由は「斜めに積んだ石が互いに左右に力を及ぼして、非常に堅固なものにしてくれる」から、軍事的要求の結果かもしれないという。初めから狙ったのでなく、「力学的合理性を狙った結果が美しくなった例になる」との解説には大いに納得できた。最後は、幾何学が昨今顧みられていないことへの抗議で締め括られる。「代数」が苦手で、一本の補助線を引いて解決する「幾何」の魅力を感じた私など、大いに賛同する結論に満足した。(2022-12-7)

※他生のご縁 参議院議員候補として取材を担当

 伏見さんのお宅にお邪魔した時の思い出は忘れ難いものがあります。ベテランカメラマンのSさんと同道したのですが、スナップ写真をとる段になって、彼がいきなり、伏見さんの頭髪の乱れを手で撫で始めたのです。名だたる学者の毛数少ない頭部をなでなでする先輩の仕草に一瞬私は固まってしまいました。

 神妙な顔つきでされるがままになっている伏見さんの姿が目に焼きついています。僅か1期6年だけの議員生活のあらゆる場面で、「稔るほど、頭を垂れる稲穂かな」という格言を思い知らされる深いお人柄を実感したしだいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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