◆惚れ惚れする気概に満ちた生き方
およそ30年越しだろうか。読まねばと思いながら、先送りしてしまい、ついに今頃になってしまった。佐々淳行といえば、『東大落城』『連合赤軍「あさま山荘」事件』などで有名な警察官僚の現場指揮官だった。危機管理のプロ中のプロである。私が国会で初めてお会いした頃は、評論家として縦横無尽の活躍中。そうした佐々さんにとって、この本は原点とも言える時代の記録である。
これを選んだのは、20世紀末の香港を中心にした東南アジアが舞台であることが最大の理由である。警察庁から外務省に出向された当時の彼の目から見た緊迫するアジア情勢やら、便宜供与を強要する政治家たちの呆れる行状(これは心底恥ずかしい)など、硬軟取り混ぜた面白い話が満載されていて飽きさせない。極め付けのエンタメ本とも読める。
全編通じて伝わってくるのは、「日本男児ここにあり」と表現したくなるほどの心意気であり、惚れ惚れするような気概に満ちた佐々さんの生き方がある。香港着任前の米国での「ケネディ暗殺事件調査」や、後段のベトナム戦争時の「サイゴン籠城記」も滅法面白い。冒険活劇に溢れた展開に危機管理のエッセンスが詰め込まれた小説を読むかのような興奮を感じる。
官僚、政治家、企業家は勿論のこと、老いも若きも日本人ならみな読むべき本だと私は思う。1965年から68年までの4年間、彼は香港に勤務したのだが、実はこの期間はちょうど私の大学生時代と重なる。その意味では、私にとっては異次元であるもののタイムスリップを経験したようでもあった。
◆常にとっさの行動が出来る様に
未知の場所で仕事をする際に、どう無縁のターゲットに近づくか。戦時における生死を分ける場面で、とっさにどう振る舞うか。前者では、有力な紹介状の威力が語られている。正門からがダメなら裏門、勝手口からでもというわけで、人脈の大事さが強調される。信用第一に常日頃からの所作振る舞いが肝心と改めて知る。後者は、銃を突きつけられても、ビクビクせずに、「胸をはり、相手にこんなに威張ってるところをみると、それだけの権力と理由があると信じ込ませる」ことだ、と。このくだりでは、「脳内に蓄積された知識は役に立たず、全部外にある情報によって常にとっさの行動をする知恵」としての「アフォーダンス(生態環境情報適応能力)」が必要だ、と力説する。
佐々さんは「生死関頭に立つと私の神経は研ぎ澄まされ、頭は冷たく冴え、しかもフル回転しどう行動すべきか本能的に即断即決できる」と豪語する。さもありなんと思わせるものの、「この能力はゴキブリなどが優れている」と付言されていて、笑いを誘うのだ。
新米香港領事の最初の大仕事は、香港島と九龍半島の中間に横たわるストーンカッターズ島の日本海軍将兵の遺骨収集だった。百数十体の茶褐色に変色した人骨を発掘して三十ほどの麻の叺に入れていく作業。日本海軍の鎮魂歌を歌った後に、ジリジリと照りつける太陽のもと、頭骨は手掘りで、後はスコップを使って掘り出す。腐食した鉄兜、ガスマスク、軍靴から、千人針に縫いこまれた5銭銅貨に至るなどまで、沢山出てきて胸がつまったと、ある。すべて終えて去りゆく舟艇に、英軍兵士たちが不動の姿勢で見送る場面に、佐々さんは「思わず目頭が熱くなってきた」と心情を吐露する。
香港暴動のさなかに、一時帰国の機会が巡ってきた時、佐々さんは悩む。帰りたいがこんな時に〝敵前逃亡〟と言われたくない。そんな折、緊急脱出の手立てを協議してこいとの特命が下る。先輩の配慮だ。身重の妻や2人の幼児を連れて帰国する。一転、香港へ帰任する際に、妻を連れ帰れるかどうかで悩む。単身赴任すれば、香港は危ないと、周りに危惧される。家族の安全を考えるのは人情である。事態打開は「私、一緒に帰ります」との妻の一言だった。
彼女が後になって香港で英国軍人たちと懇談する際のやりとりが面白い。「東京に残れたのに、戻って来てくれて、偉い」「主人ひとりで香港に帰すわけにはいきませんでした」「それはまたどうして」「だって香港には舞庁(ダンスホール)が沢山あるから」──この会話の見事なユーモアセンスに微笑むばかり。ともあれ、この本から大いなる収穫を得た。
【他生のご縁 「励ます会」で講演していただく】
佐々さんとは、僅かでしたが一緒に仕事をしました。防衛関連法案などをまとめる際に、与野党の作業チームに助っ人として参加してくれたのです。それがご縁で、あれこれと親しくさせていただきました。最大の思い出は姫路での励ます会の講演にスピーカーを引き受けてくれたことです。開口一番、「私は多くの政治家の応援で講演をしてきましたが、公明党では赤松さんが初めてです」と。
かつて、石破茂さんを励ます会に招くときに、支援団体から反発されました。防衛についての姿勢に問題あり、と見られたのかどうかは定かではありません。しかし、佐々さんの時にはさして反対の声はありませんでした。彼の方が筋金入りの右派の立場でしたが。時代の変化だったのかも知れません。私はどちらともウマが合いました。