【76】君たちはどう戦うのか──西山太吉『記者と国家』を読む/3-12

 元毎日新聞記者の西山太吉が先日亡くなった。彼は1972年(昭和47年)に沖縄返還をめぐる密約取材で、国家公務員法違反容疑を受け逮捕された。最高裁で有罪が確定(1978年)してからも、「密約文書」開示請求訴訟を起こすなど、国家の「機密」を相手に戦い続けた。事件が発覚した当時、私は公明新聞記者になって3年目。日中国交回復問題に、沖縄返還交渉に、政党機関紙政治部記者として少なからぬ関心を持ち推移を追っていた。後に衆議院議員になって、外務委員会に参考人として招致された彼に直接問う機会もあった。西山は「国家と情報開示」というテーマに向き合う上で、貴重な存在だった。後に続く「記者」の視点から垣間見ることにしたい◆冒頭の読売新聞の渡邊恒雄(現主筆)との若き日のスクープ合戦は興味津々。親友だった2人の運命はやがて相反する。方や読売のドンとして君臨し、一方は後半生を裁判三昧で戦う。「権力対新聞」と題した第1章の結末は、「渡邊という新聞界の超大物の秘密保護法制への積極参加は、権力対新聞の本来の基本構造を、根底から塗り変えてしまった」とある。権力そのものに寄り添っていった渡邊と、その暗部に挑み続けた西山という風に両記者を単純に比較するのは不適切かもしれない。毎日新聞の後輩が西山のことを「生涯、傲岸不遜。勝手放題で競艇好き。正義の味方は似合わない」(3-6付け『風知草』)と突き放して書いていたのは興味深い◆この本で西山が最も力説するのは、戦後日本の国のかたちが、長州一族(岸信介、佐藤栄作、安倍晋三)によって「根底から変革された」という点である。「日米軍事共同体」の完成が露わになったからだと言いたいようだが、これは陰の部分が表に出てきただけ。米国の掌で踊ってきた戦後日本に基本的な変化はない。一貫して真の「自主独立」とはほど遠く、いまさら国のかたちが変わったとまで大げさに強調すべきほどのことではなかろう。戦前の「天皇支配」から、戦後の「米国支配」へと、根底からの変革は1945年から始まっている。77年経った今、米国への追従は益々強まっているのだ◆西山は「イラク戦争」と「沖縄米軍基地」に見られる日米関係の真相を衝く。前者において、日本は「CIAがでっちあげた偽情報にもとづく」米国の強い要請で、「参戦」した。その総括は未だなされていない。それを曖昧にしたまま、「ウクライナ戦争」でのロシアを非難する真っ当な資格は米国にも日本にもないと私は思う。後者で米国は、米軍再編における海兵隊のグアム移転に伴う費用負担を迫る。その実態たるや「もはや同盟の関係でなく、主従の関係である」と西山は嘆くのだが、何を今更との感は拭えない。ことほど左様に「敗戦」の後遺症は深く重いのである。仮に米国を見習うとするなら、「情報公開」だろうが、日本にその強い風は未だ吹いてこない。「暴走し、衝突し、灰神楽を立てながら進む暴れん坊だった」(前掲の「風知草」)西山は、遅れ来る「記者」たちに対し「すべて主権者たる国民に正確な事実を報告する義務がある」と神妙に言い遺して去って逝った。(敬称略 2023-3-12)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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