【113】宗教なき社会の再構築━━寺島実郎『人間と宗教 あるいは日本人の心の基軸』を読む(上)/2-3

 寺島実郎さんといえば、三井物産を経て現在は日本総合研究所会長であり、多摩大学の学長でもある。時に応じて世界の今を切り取り、解説し分析する能力たるや抜群の冴えを見せ、多くの人を惹きつけてやまない。その彼が総合雑誌『世界』に「体験的宗教論」を書き、3年前に出版された。1947年生まれ。いわゆる「団塊の世代」の旗手の一人。若き日より世界を駆けめぐってきた人が思い入れたっぷりに、「宗教の現場」に足を運び身を寄せて論じた。宗教者ではなく、特定の宗教に帰依しているわけでもない、ビジネスと社会科学の世界に生きてきた人が、なぜ宗教か。「世界は宗教に溢れており、本気で意思疎通するには相手の思考回路と精神性を理解する必要があり、宗教は避けて通れない」からだ、という書き出しは迫力十分である◆読む方の私といえば、浄土真宗の門徒に生まれながら、19の歳に日蓮仏法に改宗し、いらい60年が経つ。ほぼ全ての時間をその宗教のリーダーが創始者となった政党の人間として生きてきた。寺島さんを宗教の回遊観測者とするなら、こちらは定点観測者であろう。100を越える国々を深く歩いてきた人と、およそ列島以外を歩いたとは言い難い私は、それでも同時代人として様々な思いを共有する。宗教そのものと格闘してきた時間において、引けを取らないはずとの思いのみを頼りに、「日本人の心の基軸」に肉迫した〝寺島的作業〟に伴走ならぬ後追いをしてみた◆私にとっての「宗教の60年」レースの出発点は「日蓮と親鸞」で、ゴールは「仏教とキリスト教」である。この本の核心も前半のスポットライトは3章「仏教の原点と日本仏教の創造性」と4章「キリスト教の伝来と日本」にあると、読めた。親鸞は妻帯し6人の子どもに恵まれ、長生き(89歳没)をした。弱さと非力。微笑みと人間臭さ。愛欲と名利。筆者の親鸞像は「大地を生きる人間の体温」を感じさせ、どこまでも優しい。一方、日蓮像は人間味を感じさせない。法華経の行者。末法の救済者。国のあり方を問う宗教者。といった風に、世の変革に取り組む修行者イメージ一辺倒である。唯一、「日蓮を心に親鸞を生きた宮沢賢治」という表現に心和む思いを抱く。私は高校時代までは父の背を見ながら念仏を唱えた。やがて法華経を学び親をも改宗させた大学時代。それ以降の自らの宗教体得への道を思うとき、退廃を続ける〝時代の子的側面〟を感じざるを得ない◆阿弥陀仏を口ずさむ者と、妙法蓮華経を唱える人びとの鍔迫り合いが展開されるなか、日本にキリスト教が伝来した。筆者は「それからのキリシタン」において、斬首、火炙り、吊るしなど、ありとあらゆる残酷な手段で、「壮絶な棄教と殉教」を迫られた神父たちの過酷な運命を描く。キリスト者への大量殺戮と集団的狂気に走った日本人をどう見るか。「教義には融通無碍だが、時代の空気には付和雷同するという意味で、日本も恐ろしい国である」との記述は胸に重く響く。戦前の国家神道全盛期に、正法流布に一歩も退かず、弾圧された創価学会の会長ら先達の戦いと対比させつつ読み進めた。あれから80年。宗教から離れたかに見える日本。そこに「国家神道の復権を希求する存在が根強い」との指摘は聞き捨てならない。(2024-2-3 以下続く)

 

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