(第1章)第5節 「宗教なき社会」をどう再構築するか━━寺島実郎『人間と宗教 あるいは日本人の心の基軸』

避けて通れない宗教への道

 寺島実郎さんといえば、三井物産を経て現在は日本総合研究所会長であり、多摩大学の学長でもある。時に応じて世界の今を切り取り、解説し分析する能力たるや抜群の冴えを見せ、多くの人を惹きつけてやまない。その彼が総合雑誌『世界』に「体験的宗教論」を書き、数年前に出版された。1947年生まれ。いわゆる「団塊の世代」の旗手の一人である。若き日より世界を駆けめぐってきた人が思い入れたっぷりに、「宗教の現場」に足を運び、身を寄せて論じた。いわゆる宗教者ではなく、また特定の宗教に帰依しているわけでもない、ビジネスと社会科学の世界に生きてきた人が、なぜ宗教なのか。「世界は宗教に溢れており、本気で意思疎通するには相手の思考回路と精神性を理解する必要があり、宗教は避けて通れない」からだ、という書き出しはまことに迫力十分だと思われる。

 読む方の私といえば、浄土真宗の門徒に生まれながら、19の歳に日蓮仏法に改宗し、いらい60年が経つ。ほぼ全ての時間を、その宗教のリーダーが創始者となった政党の人間として生きてきた。寺島さんを宗教の「回遊観測者」とするなら、こちらは「定点観測者」であろう。100を越える国々を深く歩いてきた人と、およそ列島以外を歩いたとは言い難い私であるが、それでも同時代人として様々な思いを共有する。宗教そのものと格闘してきた時間において、引けを取らないはずとの思いのみを頼りに、「日本人の心の基軸」に肉迫した〝寺島的作業〟に伴走ならぬ後追いをしてみた。

 私にとっての「宗教の60年」レースの出発点は「日蓮と親鸞」であり、ゴールは「仏教とキリスト教」である。この本の核心も前半のスポットライトは3章「仏教の原点と日本仏教の創造性」と4章「キリスト教の伝来と日本」にあると読めた。親鸞は妻帯し6人の子どもに恵まれ、長生き(89歳没)をした。弱さと非力。微笑みと人間臭さ。愛欲と名利。筆者の親鸞像は「大地を生きる人間の体温」を感じさせ、どこまでも優しい。一方、日蓮像は人間味を感じさせない。法華経の行者。末法の救済者。国のあり方を問う宗教者。といった風に、世の変革に取り組む修行者イメージ一辺倒であるように見える。唯一、「日蓮を心に親鸞を生きた宮沢賢治」という表現に心和む思いを抱く。私は高校時代までは父の背を見ながら念仏を唱えた。やがて法華経を学び親をも改宗させた大学時代へと続く。それ以降の自らの宗教体得への道を思うとき、退廃を続ける〝時代の子的側面〟を感じ、嘆かざるを得ない。

不気味な国家神道復権の動き

 阿弥陀仏を口ずさむ者と、妙法蓮華経を唱える人びとの鍔迫り合いが展開されるなか、日本にキリスト教が伝来した。筆者は「それからのキリシタン」において、斬首、火炙り、吊るしなど、ありとあらゆる残酷な手段で、「壮絶な棄教と殉教」を迫られた神父たちの過酷な運命を描く。キリスト者への大量殺戮と集団的狂気に走った日本人をどう見るか。「教義には融通無碍だが、時代の空気には付和雷同するという意味で、日本も恐ろしい国である」との記述は胸に重く響く。戦前の国家神道全盛期に、正法流布に一歩も退かず、弾圧された創価学会の牧口常三郎、戸田城聖会長ら先達の戦いと対比させつつ読み進めた。あれから80年。宗教から遠く離れたかに見える日本。そこに「国家神道の復権を希求する存在が根強い」との指摘は聞き捨てならない。

 著者は最終章「現代日本人心の所在地」の中で、「憲法改正の動きと関連し、令和日本のテーマに『国家神道への郷愁と復権という難題』が浮上しているから」、その教科書としての、昭和19年(1944年)文部省編纂の『高等科國史』(復刻版)」を読むよう薦めている。ここには明治期日本の教育の基軸であった「教育勅語」が反映し、「外来思想排除」の論理が繰り返し登場する。この問題の淵源は、江戸時代の本居宣長の「やまとごころ」を恣意的に使ったことに起因する。明治維新の背景的思想へと変化し、やがて戦前の「皇国日本」の基軸になった。江戸期国学から国家神道への一本道が鮮やかに描かれて、興味深い。

 戦後日本は敗戦から米国占領を受け、一転して経済中心の国家運営になり、宗教性は極端に希薄になった。勿論、この間に日蓮仏法を基底に持つ創価学会によって宗教的「中道」の展開が浸透していったのだが、著者はそれにはまったく触れてはいない。時代の潮流としては、未だ記述するだけに至っていないとみているのだろう。むしろ「宗教性の希薄な日本の間隙を衝くように国家神道を掲げた戦前への回帰を志向する勢力が天皇親政の神道国家を再興しよう」としていることに警鐘を鳴らしているのだ。

【他生のご縁 憲法調査会での参考人質疑】

 寺島実郎さんとは、衆議院憲法調査会での参考人質疑での出会いが最初です。私から、日米間には①在日米軍基地縮小政策が滞っていることへの日本の失望②安全保障分野で、これ以上、日本は米国の期待に応えられないという意味での米国の日本への失望──という「2つの失望」が横たわっているが、どう思うかと、訊きました。

 これに対して、同氏は、まず「安保というものに対する相互リスペクトつまり敬愛がない今の仕組みを、お互いに変えていかなきゃいけない」と述べることから口火を切りました。今振り返ると、2人は相互に理想論をぶつけ合ったものでした。

 あれから、20年余。2023年暮れに総合雑誌『世界』誌上で、寺島さんは、この時の発言とほぼ同じことを「21世紀未来圏 日本再生の構想」の中で提案していました。残念ながら、私たち2人のやりとりは実現せぬままに時が過ぎてしまいました。これで諦めずに、同世代人としてこれからも頑張りたいと思っています。

 

 

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