【115】「国体の本義」は蘇るのか━━佐藤優『日本国家の神髄』を再読する/2-13

●正統派保守思想の源流からの読み解き

 2017年3月。安倍政権が復活してから4年ほど経っていた頃のこと。日本史の表面から消えていたはずの「教育勅語」が蘇った。「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」という「閣議決定」がなされたのである。「教育勅語」が誕生したのは明治22年(1890年)の明治憲法の発布と同時だった。以後、軍国日本の精神的支柱となった「国家神道」の具体的な展開の手立てとしての役割を果たすのだが、1945年の敗戦によって、天皇の人間宣言と共に、その奉読は禁止(1946年10月)され、その存在は消えたかに見えた。しかし、米国による占領主体のGHQによって強制的に差配されたものの、その根源は断ち切られていなかった。象徴天皇制や戦後民主主義が新たな憲法によって、広く知られても国家の神髄とでもいえるものは埋み火のように社会の地層に残っていた。「教育勅語」は中軸で、その実体こそ昭和12年(1937年)に文部官僚らによって編纂された『国体の本義』だったのだ。

 元外交官で作家の佐藤優氏が類い稀な思想家であることはよく知られている。その佐藤さんが国家神道の魂的存在である『国体の本義』の解説に取り組んだ本がこれである。出版は冒頭に触れた閣議決定の3年前。安倍首相再登場の1年後だった。キリスト教プロテスタントの彼が北畠親房の『神皇正統記』を中心にいわゆる右翼イデオローグたちと議論を重ねていることは、私も見聞きするに及んでいた。が、『国体の本義』にまで関心が及ばず放置していた。佐藤氏がこの書を読み解く必要性を痛感し、行動に移したのは日本のこれからの有り様に大いなる危惧を抱いたからに違いない。「新自由主義」の台頭や、ヘイトスピーチ、排外主義などの伝統的保守思想に潜む病理への危機意識が引き金となった。「正統派保守思想」の源流に立ち返り、誤れるまがい物的保守の生きかたを糾そうとしたのだと睨む。

●外来思想を土着化する重要性

 『国体の本義』の中で、天皇については、「高天原の神々と直結して」おり、「重要なことは知(智)、徳、力という世俗的基準で皇統を評価してはならない」うえ、「そのような人知を超越する存在なのである」と位置付けている。この書が基盤にあって、天皇の軍隊が行動を起こした。軍隊と天皇の関係にどう触れているかが気になるところだが、最終章に僅かに論及されているだけ。物足りない。読み解く対象としての「国体の本義」に、「軍事に関する記述は短い」のなら、そこは補ってほしかった。「高天原に対応する大日本がその領域である。従って、日本の軍隊は世界制覇の野望などそもそももっていない」といわれても、現実の動きに照らして困惑は禁じ得ない。天皇と軍隊にまつわる基本的な疑問の解消には結びつかない。

 ただ、日本の思想史的課題についての言及はわかりやすい。日本文明の特徴は、外来の思想を取り入れて、これを換骨奪胎し、日本風のものに取り込んできたことにある。仏教や儒教もインド、中国から外来思想として入ってきた。それが同化され日本独自のものへと変容していった。明治維新以降の近代化においても、西洋列強による植民地化の脅威をかわしつつ、その思想を懸命に取り入れ同化する取り組みに励んできたのだ。その結果はどうだったか。「国体の本義」の書き手たちは、遡ることほぼ半世紀の間における、個人主義、自由主義、合理主義の徒らな氾濫を厳しく自省する。既に1931年(昭和6年)の柳条湖事件からいわゆる「15年戦争」に突入していた日本は、その戦意を高め戦闘態勢を整える上で、自堕落な人間形成をもたらす西洋思想の受容の失敗は我慢ならなかったと思われる。

 いらい、敗戦を経て90年余。佐藤氏は「1930年代にわれわれの先輩が思想的に断罪した『古い思想』(すなわち、個人主義、自由主義、合理主義)が二十一世紀の日本で新自由主義という形態で反復した」という。日本お得意の外来思想の受容が、うまく行かず失敗した。ではどうするか。佐藤氏は、日本人と日本国家が生き残るために日本をどう捉えるかが焦眉の課題であるとし、「日本の国体に基づいた外来思想を土着化する必要がある」と強調するのだ。要するに、西洋思想を日本風に捉え直す作業を急がないと、国家神道の再起をもたらすだけだと言っているように、私には聞こえてくる。

【他生のご縁 『創価学会と平和主義』で私の発言が引用される】

 佐藤氏は、私を『創価学会と平和主義』(朝日新書)を始め、『世界宗教の条件とは何か』サイト版(潮出版社)などの媒体で取り上げています。いずれも鈴木宗男衆議院議員(当時)や佐藤氏との関係についての衆議院予算委員会証人喚問での私の発言に関するものです。

 「あやまちを改めるに憚ることなかれ」を私が実践したことを過大に評価されたわけで、面はゆい限りです。世界宗教としての創価学会SGIが世界広宣流布の展開に本格的な取り組みを強める上で、この人の「キリスト教指南」が一段と重要性を増すに違いないと思われます。

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