【145】割腹前夜に何を彼は考えていたかー三島由紀夫『命売ります』

三島由紀夫の『命売ります』という題名の本が売れているというので、アマゾンで注文して読んだ。書店で購入する場合と違って中身があまりわからないままに購入してしまい、放置してしまうことが多いなかで、これはしっかりと読めた。要するに彼のものとしては気楽に読めるエンタテインメントである。三島本人も「小説の主人公といふものは、ものすごい意思の強烈な人間のはうがいいか、万事スイスイ、成行まかせの任意の人間のはうがいいのか、については、むかしから議論があります。前者にこだはると物語が限定され、後者に失すると骨無し小説になります。しかし、今度私の書かうと思ってゐるのは、後者のはうです。今風の言葉だと、サイケデリック冒険小説とでもいふのでせうか?」と「作者の言葉」を寄せている▼この本は昭和43年5月から10月まで週刊誌「プレイボーイ」に連載されたものが12月に単行本として出版された。あの自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹自殺事件が起こるほぼ2年前。すでに当時、同志の学生たちと血盟状を作成したり、自衛隊への体験入隊をするなど着々とことを起こす準備を進めていた時期にあたる。それゆえ、単なるエンタメというよりも、形は「サイケデリック冒険小説」の装いを取りながら、その実、解説で種村季弘が書いているように「小説家三島由紀夫その人の生身の魂の告白が、あからさまに吐露されている」ものだと思われる▼尤も、主人公の羽仁男が襲われる「荒涼たる孤独感」や「寄る辺のない不安」と、その果てに行きつく、一度捨てたはずの「生」への執着、「凡庸な生に対する餓渇に近いあこがれの感情」などをあの当時の三島が抱いていたと思うことはそれなりの勇気がいる。通常イメージされる三島由紀夫とは無縁のものと思われるからだ。それだけに、種村の推測に身をゆだねることは極めて興味深い。確かに「骨無し」ではあるものの、一刀両断には判じがたしたたかさを持った本だともいえようか▼昭和45年11月に彼が自殺をしたときに真っ先に抱いたのは「なんでそんなバカなことをするのか」との憤りに彩られた凡庸な思いだった。あれから45年余の歳月が経った。三島由紀夫ありせば90歳を超えているはず。老いさらばえたすがたを人に見せることをせず、輝いたままの精神と肉体を印象付けたいとの彼の思いはおそらく成功したといえるのだろう。しかしながら、命は「売る」ものでも、「買う」ものでもなく、「使う」ものだとの本来の観点にたてば、迫りくる老いの中でも懸命に「使命を果たす」姿のほうが、凡愚な私には尊いものに思われる。(2016・3・26)

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