【146】”二匹目のどじょう”を貶しつつ褒めるー原田伊織『官賊と幕臣たち』

柳の下に二匹目のどじょうを求めるのは世の常である。原田伊織『官賊と幕臣たちー列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート』が書店に並ぶと同時に読んだ。前作『明治維新という過ちー日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』は多くの読者を惹きつけた。ゆえに二作目にも大いなる期待をした。だがほぼ同様の中身がなぞられており、二番煎じ気味は否めない。とはいうもののやはり面白い。凡庸なあまたの出版物をはるかに凌駕する迫力を感じる。多くの若い読者がこの二冊を読むことを薦めたい▼明治維新の際に「薩長土肥」と一言で括られる官軍という一大勢力は、毀誉褒貶はあれども日本を形成した「正義」とされてきた。私たちは学校でそう教えられ、また小説の世界でも十二分に味わってきた。それが実は「過ち」であり、「明治の元勲」はテロリストの成れの果てで、官軍は賊軍であったと聞かされるとただ事ではない。前作の出版以後、著者に対して称賛とともに様々な批判も寄せられたことは想像に難くない。ただ、私のような「へそ曲がり」には堪えられない面白みを感じさせる▼かの国民的作家・司馬遼太郎が暗殺は嫌いと言いながら「桜田門外の変だけは歴史を躍進させたという点で世界史的にも珍しい例外だ」と評価した。それに対してこの後輩(共に大阪外大出身)は「(司馬氏は)何らかの原因で錯乱していた」と指弾するなど、これまでの常識的な「維新観」に徹底的に疑問符を投げつける。前作では「会津」や「二本松」にものぐるおしいほどの哀感を注ぐ一方で、長州や薩摩などの特定の人物を蔑みこき下ろした。坂本龍馬にいたっては単なる武器あっせん商人の手先ぐらいの位置づけである▼二作目では、幕末日本が欧米列強の侵略を防ぎえたのはひとえに、徳川の幕臣テクノクラートによるところが大きいとする。阿部正弘、堀田正睦、川路聖謨、水野忠徳、岩瀬忠震ら「英傑」が、知力と人間力を武器に欧米列強と正面から渡り合った様を克明に描き、きわめて興味深い。このあたりを読むにつけ、続編を書きたかった理由が痛感させられる。維新から150年を経て、歴史の見直しが求められている。原田氏だけではなく少なからぬ論者が従来の維新観にノーを突き付けてはきている。だが、原田伊織という人物がなんだか幕末のサムライをほうふつとさせるところが他と違う。尤も、すでに作り上げられた偶像を壊すには並大抵の力では足りない。その意味では著者には三匹目、四匹目のどじょうを狙って貰いたいし、小説の分野でも安部龍太郎『維新の肖像』のような新しい維新観に立脚したものが続出してほしい。(2016・3・28)

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