【150】「ヤングケアラー」に見る日本の困惑━━高嶋哲夫『家族』を読む/10-25

 木陰が恋しかった酷暑の夏から、待望の秋めいた季節が到来した。と同時に疾風迅雷のごとく、「石破茂首相」が誕生して2週間余で衆議院総選挙が公示された。その直前に出版されたこの本は、まさに今回の選挙における最大の争点にすべき課題を取り上げている。そういうと、一瞬「えっ、どうして」と思われる向きも多いかもしれない。「家族」という極めて当たり前の言葉を掲げられて、選挙の争点との繋がりは分かりづらいかもしれない。実は、日本が直面する様々な問題を、次々と取り上げて小説化してきた著者が、これこそ今の日本の根底的課題だとして提起する作品だからである。副題をつけるとすれば「あなたはヤングケアラーを知ってるか」だろう。ケアをする若い人━━親の世代の面倒を看ざるを得ない子ども世代のことを一般的には指す。高嶋さんと私はこの数年とても親密な関係になって色々と教えていただき、意見を交換する仲だが、この本には彼の小説家人生のある意味で総決算といってもいいほどの思いが込められていると、確信している。政治家が真っ先に読むべき本に違いない◆少子高齢化、認知症、貧困、格差、少年犯罪、いじめと引きこもり、学校教育現場の荒廃など、現代日本が抱えている問題はすべて「家族」に帰着し、みんな繋がっている、というのが著者の見立てである。「ヤングケアラー」問題を、国会で幾たびも取り上げて、政府当局を糺し、追及している私の後輩女性参議院議員がいるのだが、彼女を冷めた眼でみる人たちは少なくない。おおむね古い考え方をする男性年配者たちに多いと思われるが、共通するのは、「国会は天下国家を論じる場所ではないか」「ヤングケアラーって、家族の中で貧乏くじひいた不幸な一員に過ぎない」といった決めつけである。しかし、この本はミステリー小説風にぐいぐいと引き込ませる。ハッピーエンドではないものの、読み終えた時には、爽やかさもあって、問題解決への息吹も吹き込まれた感が漂う◆住宅火災の跡から3人の遺体が出たことからこの小説は始まる。━━3人はその家の45歳の母親と22歳の息子と72歳の祖母である。その一方で、火災発生とほぼ同時に19歳の長女が家から飛び出し、通りでタクシーにはねられた。意識不明の状態が続く。この悲惨な事件は介護に疲れた長女の仕業ではないかとの警察筋の見立てで進行していくが、それに疑問を持つ29歳の雑誌記者の笹山真由美が真実の解明に動くとの筋立てである。亡くなった3人のうち、息子は12歳の時の交通事故が原因で寝たきり状態。祖母は介護を必要とする認知症。父親が先年に癌で亡くなっており、看護師の母親が家計を切り盛りし、長女が幼い時から日常的に看護と介護を担当するという典型的なヤングケアラーだ。この家族を縦軸に、真由美の元新聞記者の65歳の父親の2人の家族を横軸に物語は展開する。この父親もアルツハイマー型認知症が進行しつつあるというのだ◆ヤングケアラーであること自体は決して不幸ではない、むしろ家族の絆を深めゆく重要な要素であるという考え方が全体のトーンを貫く。ここに実は重大な現代社会の病巣を解きほぐす鍵が潜む。かつての「姥捨山の物語」は、いまの「施設預け」へと変貌し、「老老介護」の悲喜劇を彩る。他方、ヤングケアラーは若者への肉体・精神的負担増を強いる一方で、密度の濃い人間の絆を育む重要な接点の役割を果たす。家族という社会の最小単位をもう一度原点から考え直す機縁となることに現代人は気づかねばならない。著者の高嶋さんは、負のイメージで捉えられがちなヤングケアラーをむしろ社会の復興に役立てようとしている。もちろん、それは自助や共助任せでよしとするのではなく、足らざる公助を仕組みとして充実させようとの狙いがあるはず。ともあれ、バラバラになりがちな〈個人、家族、社会〉の一体的結合に向けて、大いに考えさせられる特異な役割を持つ好著である。(2024-10-25)

Leave a Comment

Filed under 未分類

Comments are closed.