【第3章 第4節】古今東西そこかしこに数多の実例━━山内昌之『嫉妬の世界史』を読む/11-1

仏教の十界論における位置付け

 人間が他の人を嫉み(ねたみ)、妬く(やく)ことを「嫉妬」というのだが━━著者は他人が順調であり幸運であることをにくむ感情としている━━人間存在にとって実に厄介なものである。仏教の「十界論」では、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の4つを「四悪趣」との名称で、人間の陥り易い〝悪しき生命状態〟に括っており、嫉妬界というのはない。全くの私見だが、5番目の「人界」(6番目以降は、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界)に含み込まれているのではないかと勝手に思っている。それほど人間と、切っても切れない感情だからだ。その「嫉妬」にまつわる古今東西の様々なエピソードを集めた本が『嫉妬の世界史』である。著者はイスラム世界を中心に国際関係史に透徹する知を持つ。この本は同氏の世界史考察の流れの中から溢れでた、珠玉の逸話を集めたものといえよう。200頁足らずの小さな新書版だが、とても深くて重い内容に彩られており、実に面白くてためになる。

 日本における具体例で注目すべきは、森鴎外である。夏目漱石と並ぶ明治期を代表する文人だが、同時に軍医でもあった。彼は生涯〝二足の草鞋〟を履き、「二刀流」の使い手だった。その彼が妬み妬まれたのは「医の世界」での人間関係が主だが、それは同時に「文の世界」との関わりを持っていた。著者は、軍医としての鴎外を人事を敏感に栄誉と屈辱を入り交わらせて感じ取るタイプと規定する。『舞姫』や『智慧袋』といった作品の中で、自身の鬱憤を晴らす表現を盛り込んだというのだから只事ではない。前者でライバルへの批判をあてこすり、後者では「よせばいいのに『自分は上司に認められず同輩にも受け入れられず、才能は自分よりも劣る者が上に立っている』とまでやってしまった」というのだ。当然ながら周りからは激しい攻撃の対象となった。著者は『鴎外漁史とは誰ぞ』との作品には「鴎外の不平不満と愚痴が渦巻いている」とまで明かす。ここまで「嫉妬」という感情に翻弄されながらも、文学において見事な地位を築き上げたのは立派というほかない。しばしば比較される漱石に、好感を抱いてきた私にホッとする思いが宿るのは自然な感情だろう。

 3つの国の3人の「独裁者の業」

 一方、眼を外国の例に向けよう。ローマ皇帝の時代。「政治力、軍事力、大衆の支持も、他のすべてもあった」ポンペイウスは、それゆえ自信家であり、そのため、同輩の嫉妬に嵌まり込んだ。「偉大な個人」になれた可能性があったのに、実際になったのは「大器晩成型でプレイボーイ」のカエサルだった、と。しかし、そのカエサルも「嫉妬と反感のうずまくローマ政治の複雑さに足をからめとられて非業の死をとげた」。塩野七生の『ローマ人の物語』を巧みに引用しながら、「男の嫉妬の怖さ」を披瀝してやまない。他方、「独裁者の嫉妬」のトリオはスターリンと毛沢東と金日成。「平等思想の美名のもとで、人間の嫉妬を構造化し、密告や中傷を日常化する体制をつくりだした」「マルクス主義と共産主義の罪は深い」との記述のもと、この3つの国の3人の「独裁者の業」とでもいうべきものを暴いていく。この嫉妬史は、それぞれプーチン、習近平、金正恩へと今に続いており、山内さんだけでなく誰しもが続編を書けそうなのは怖い。

 嫉妬は女の専売特許のようにかつて扱われた趣きがあったが、それこそ男の女への妬心というのは、ギャグか。人間関係だけでなく国家相互の嫉妬にも著者は目を向け、かのイラクのサダム・フセインのクウエート侵略を挙げる。隣国の豊富な石油埋蔵量に嫉妬した挙句だ、と。朝鮮半島でも貧困の「北」が「南」の繁栄を妬む構図は誰でも思い浮かぶ。

 最後に「嫉妬されなかった男」に一章が割かれている。嫉妬続出の後にさわやかに顔を出すのは陸軍元帥・杉山元。彼は、陸軍大臣、参謀総長、教育総監という「陸軍三長官職をすべて経験した稀有な存在」でありながら、目立った嫉妬や反感を受けなかった。そのわけを山内さんは、定見がないように見える「茫洋とした態度」をとりながら、「緻密な計算の上に立つ保身術」を身につけ、「勝負に出るときは度胸もあった」からだという。「粘り強くハラを見せない」タイプなのだ。

 最後に登場するのは、徳川三代将軍家光の庶弟・保科正之。この人物が日本史の裏面でひっそりとだが燦然と輝く位置を占めていることはつとに有名だ。その大きな理由として「嘘をつかない政治家」だからという。「気性がまっすぐな人間に嫉妬する同僚は少ない」とのことだが、昨今の政治の世界で見出し難いように思われるのは恥ずかしい限りである。

【他生のご縁 名通訳者から紹介され、一夜懇談】

 厚生労働省で仕事をした僅か一年ほどの間に、米国、ニュージーランド、ベトナム、英国、ドイツ、アイルランドと旅をする機会に私は恵まれました。そのうちベトナムは国際会議への出席でもあり、なうての英語の達人がサポートしてくれました。著名な英語通訳者の田中祥子さんのことです。

 この人に紹介していただいたのが山内昌之氏でした。中東を話題にしたことから同氏が田中さんとも大変親しい仲だとわかり、3人で夕食を共にすることになったのです。世界各国のお国事情から大相撲の話まで、世界を跨ぐ話題であっという間の数時間でした。昨年よりの横綱審議会委員長も宜なるかなと思ったしだいです。

 

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