【152】「大衆」が姿を変えたという錯覚ー薬師寺克行『公明党』

広宣流布ー日蓮大聖人の仏法を世界中に広めて、個人の幸せと社会の繁栄が一致する社会を作ろうとの創価学会の壮大なビジョンに私が目覚めたのは、1964年19歳の年だった。大学在学中にしゃにむにその活動に取り組み、卒業と同時に公明党の機関紙局に就職、公明新聞の記者になった。いらい60年足らず。その間のほぼ真ん中の時期(平成元年)に、衆議院議員候補に推薦され、足掛け5年の苦闘の末に政治家に転身した。来年、公明党は結党60周年を迎えるが、私はほぼ同じ期間を公明新聞記者、党職員、衆議院議員秘書そして代議士として過ごしてきたことになる。つまり、公明党の60年は私の人生そのものと重なる。

この本はそのうちの50年の創価学会と公明党の軌跡を追った本である。元朝日新聞記者で現在は東洋大教授の薬師寺克行氏の手になる『公明党』だ。庶民大衆を無視しイデオロギーの弄びに終始していた自社両党。そこから政治を取り戻すとの旗印のもと「55年体制」打破に賭けた日々。打倒自民党の戦いに一時は自らを解党し、大きな勢力に合流してまで取り組んだ。それがかなわぬと見るや一転、内側からの変革に切り替え、当の相手の懐に入り込み連立を組むまでになった。

 こうした自分が歩んできた道を、新聞記者とし、学者としての眼差しで克明に分析されたものを見せられるのは、他人の日記を覗き見るようで実に興味深い。薬師寺氏は、精一杯公正な視点をもとに抑制を利かせた筆致で公明党と創価学会の50年を描いてはいる。私が上司として長年仕えた市川雄一公明党書記長への素描が粗っぽく、いかにもステロタイプ的なことは少々気になるが、これまでにだされた「公明党」論では出色のものだろう▼勿論あれこれ異論をはさみたくなるが、ここでは一点に絞る。「公明党が重視する『大衆』は、五〇年の間に大きく姿を変えてしまった」のだから、「公明党は自らのアイデンティティを再構築するときにきている」という結論だ。ざっくり言えば、経済的に苦しい人々が多かった社会から、今や社会全体が豊かになった。だから救うべき対象としての大衆そのものが変化したという捉え方だ。しかし、創立者がさし示したところの「大衆」は、人間であるがゆえの悩みを持つ存在である。経済苦だけではなく、病苦、人間関係のもつれなどあらゆる苦難に立ち向かう人間を指す。その観点からいえば、50年たっても全く「大衆」の実像は変わっていない。経済にあっては豊かさの中の貧困という「格差拡大」や、統合失調症や引きこもり、痴呆症といった新たなやまいに悩む人々の数は一段と増えている▼そうした状況の中で、政治,政党が果たすべき役割も基本的には変わっていない。安保法制を例に挙げれば、共産党や民進党などの「戦争法」といったレッテル張りの反対姿勢は50年前のいわゆる革新の姿とそっくりダブって見えてくる。つまりは残念ながら「公明党の戦いいまだ終わらず」、ある意味で50年経ってもっと課題は深刻さを増している。「大衆とともに」のアイデンティティは再構築というより、再強化されるときだろう。日本における政党が人間、大衆と真正面から向き合うことをせぬ限り、公明党の役割展開に終止符は打たれることはないのである。(2016・5・26)

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