明日はあの阪神淡路大震災から30年が経つ。その日を前に、以下の文章を著した。
昨年末から今年にかけて、ある小説家の2冊の新刊本が、全国紙5紙に5段広告で一斉に出たことをご存知だろうか。明日17日には地方紙の神戸新聞にも登場する。この広告は単なる本の宣伝ではない。日本の近過去から今に至る自然災害の連鎖と、子供たちの不幸な現状の積み重ねが、やがて近未来にとてつもない災いをもたらすとの警告である。著者の強い意志に共鳴した、ひとりのファンがこの警鐘を無駄にさせたくないとの思いを募らせて多額の資金を提供して広告宣伝を出すに及んだという。つまり篤志家の熱い想いが新聞広告というかたちをもって目の前にある。その2冊とは、高嶋哲夫さんの『家族』と『チェーン・ディザスターズ』である。前者については、既に昨年の10月に小欄No.150で取り上げた(「ヤングケアラー」にみる日本の困惑)。今度は後者を紹介したい。既に幾たびか彼の本について語ってきたように、私は彼の友人である。しかも今は単なる本を読むだけではなく、彼が起こそうとしている日本の「教育を立て直す運動」のサポーターになろうとしている◆まず、この本ではいきなり、東海地震と東南海地震が連動して起こる。南海トラフ地震の幕開けだ。その結果、「神奈川から紀伊半島までの太平洋岸が約200キロに渡り、最大震度7、20メートルを超える津波に襲われた」というのだ。死者が5万4千人にも達し、行方不明者が10万人を超える被害が発生した。主人公の早乙女美来環境相(当選2回の衆議院議員)は、状況掌握のためにヘリで総理官邸のヘリポートを飛び立ったところが冒頭の場面である。そこから、県知事や市長が亡くなり、県議会議員も3分の1が死亡したという最も被害の大きい愛知県の状況が第一の危機(第一章)として描かれていく。次に第二の危機(第ニ章)では、首都直下型地震に襲われて、首相が死亡する事態の中で早乙女は防災相になる。そこへ超大型の台風が襲来。首都圏を直撃し豪雨をもたらす。各地で土砂崩れや洪水被害でおおわらわになり、その真っ只中でまた次の首相が死去する。防災相で名を上げた早乙女がやがて新首相に、という流れで第三章「新しい風」が吹く。最初の地震からほぼ半年が経ち、被災地の復旧工事も軌道に乗りかけた途上で、今度は富士山が噴火し猛烈な噴煙が偏西風に乗って百キロ先の首都圏を襲う「最大の危機」(第四章)となる。やがて「首都移転」もやむなくなるといった具合に凄まじいまでの大災害の連鎖(第五章の「未来へ」)が描かれていくのである◆第一章から第五章への展開を時系列で並べてみたが、実はこの小説の中身は著者がこれまで世に問うてきたものばかりである。いやそれだけではない。それに端を発した政治課題なども併せ描いてきた。『M8』『津波』『東京大洪水』『富士山噴火』『首都崩壊』『首都移転』といったいった一連の小説群がそれである。高嶋さんの「災害予見能力」が卓越しているとして脚光を浴びたのは、コロナ禍が現実のものになるほぼ10年前の『首都感染』だった。私が彼の本で最初に読んだのがこれだが、初めて読んだ時の驚きは忘れ難い。拙著『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』(上)でも取り上げた。このテーマに関連するものだけでも、『バクテリアハザード』『パルウイルス』などあるが、他のジャンルとしては、彼の専門である原子力関連では『原発クライシス』『メルトダウン』『福島第二原発の奇跡』『世界に嗤われる日本の原発戦略』など枚挙にいとまがない。こうして彼の作品を列挙するのは彼の「提灯持ち」をするわけではないのだが、見事なまでの分析とその視点の先にある〝未来予測のリアルさ〟に衝撃さえ覚えるからである◆冒頭に挙げた新聞広告には、「これぞ、高嶋哲夫ワールド」との大見出しに、「2冊の本が一つになる時、日本の未来が見えてくる」とキャッチコピーが続く。ここまでは高嶋ファンとしてよく分かる。だが、その後の、「個人と国家を描いたこの2冊は、対極にある小説である」「しかし、その根底にあるものは、生きること、命の輝きと尊さ、人の夢と希望、美しさと強さだ」というくだりが、少々分かりづらい。単刀直入にいうと、この2冊は日本の近未来は国家も個人もこのように崩壊する過程にあることを描いているのだが、その迷路に嵌らぬようにするには、どうすればいいかはストレートには伝わってこない。上記の「根底にあるもの」としての「生きること」以下の表現が辛うじてその輪郭をもたらすといえよう。著者に直接聞くと、『チェーン・ディザスターズ』には続編が用意されており、『家族』には、政治の世界の対応策と教育現場での真っ当な手立てが求められるという。さて、政治家や教育関係者にその思いが伝わっていくかどうか。(2025-1-16)