あの震災から30年が経った「今」に私たちは生きている。その「今」から、当時を振り返り、この30年の持つ意味を考え、考える自分とは一体何者なのかに思いを馳せる。連想は新たな発想の源になり、明日への活力になるかもしれない。いや、単なる妄想に終わるやもしれない。━━そんなことを考えるきっかけになったのが、安克昌の書いた『心の傷を癒すということ』である。ここでは、この本を読むことで、湧き出でてきた「私の想い」を記してみたい。
●被災地で見た心の傷の有り様の数々
起点となった1995年は、恐るべき災害が連発した年だった。1月17日の大震災発生。3月20日の地下鉄サリン事件。大自然の活動による社会の破壊と、人間の妄動による社会の混乱。二つながらに近代日本に類例を見ないほどの大きな規模で〝心の傷〟をもたらした。あれから30年。「失われた」との形容を付けられて語られ続けている時代はまさに1995年から始まったのである。
安克昌は、大阪で生まれ育ち、神戸大学医学部に学び、著名な医学者・中井久夫の弟子的存在となった。精神医学の分野で巨大な足跡を残した中井の書き残したものは数多の日本人に影響を与えてきている。弟子の安もまた、「阪神淡路大震災」のせいで『心の傷を癒すということ』を残すに至り、師の中井に迫る「大仕事」をした。そのゆえもあってか、震災後5年、39歳の若さで帰らぬ人になってしまった。
彼はこの本で、被災地で見た人々の心の傷のリアルな有り様とその変化を書き、どうそれらが癒され、あるいは癒されずに、生きていくのかについて、実例をつぶさに追った。そして周囲の人々がどう関わるとよいのかについても加えた。私は彼の師匠・中井の本は読んできたが、弟子・安のものは読んでこなかったし、その実態を描いて人々の心を捉えた映画もTVドラマも見ていない。精神科医・宮地尚子の解説本で安を知った。
●「世界は心的外傷に満ちている」
「家族にいたわられ、避難所の人たちと苦楽を分かち合い、新しい家を見つけ、安らぎを与えてくれる自然と出会った。(中略) それぞれはほんの小さなことである。『治療』や『ケア』ということばでは語れないものである。だが、このような小さな契機こそが回復には大切なのである」━━「小さな契機」が傷を負った人の「回復」にでっかい役割を果たす。傍観者には響かぬであろう、さりげないことばがぐっと迫ってくる。
「大げさだが、心のケアを最大限に拡張すれば、それは住民が尊重される社会を作ることになるのではないか。それは社会の『品格』にかかわる問題だと私は思った」━━住民が尊重されない社会には品格がなく、「心のケア」に無頓着なのだ、と裏返して読んでしまう。政治家は心して読み、動かねばと思う。
「世界は心的外傷に満ちている。〝心の傷を癒すということ〟は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである」━━程度の差はあれ、〝心の傷〟を持たぬ人はいない。だがそれを〝癒す〟ことから目をそむけ、他人任せにする人は多い。社会全体が関心を寄せるようになるには、阪神・淡路、東日本、熊本、能登半島だけでも、未だ足りないのか。
●「戦争被害」と「自然災害」の二重奏の衝撃
戦争体験がいかに当事者に〝心の傷〟をもたらすのかについて、克明に描くドキュメンタリー映像を観た。血が噴射するかのように飛び散り、内臓が剥き出しになり、四肢がもがれる。正視に堪えない悲惨な現実を目の当たりにしてしまった兵士たちは、戦場から離脱し、精神のバランスを失い、のべつまくなし身体を震わせ、まともには歩けない。欧米でも、中東でもアジアやアフリカでも、日本でも、つまり世界中で全く同じことが起こっている。帰還兵たちのPTSD(心的外傷後ストレス障害)がいかに凄まじいものかを知った。
「世界は心的外傷に満ちている」と、安が言った現実がこの30年で定着してしまった。〝自然災害と戦争被害の二重奏〟が人間に、生物に、生きとし生けるものにどれだけ「衝撃」をもたらすか。1945年いらい、「戦争」とは直接的には無縁できた日本人を「覚醒」させるかのように起きた「阪神淡路大震災」は、〝ぼんやり生きること〟がいかに「悪」であり、「罪」であるかを突きつける。もう痛めつけられるのは十分でないか。
安がこの本で示した「傷の回復とは、受け入れ、もがき、新しい自分と折り合いをつけていくこと」の大事さを噛み締めたい。(敬称略 2025-2-1)