【170】よみがえってくるコロナ禍に襲われた日々━━岡室美奈子『テレビドラマは時代を映す』を読む/3-27

 「私の体はテレビでできている」とのタイトルで2019〜2023年の実質4年間に毎日新聞夕刊に連載されたコラムが一冊の本になった。著者は早稲田大教授で、前早大演劇博物館館長の岡室美奈子さん。サミュエル・ベケットの研究者として著名なこの人が「テレビドラマ論」をも専門にされてることを不覚にも知らなかった。『ゴドーを待ちながら』のような、難解な「不条理演劇」で体ができてるひとだとばかり思い込んでいた。新聞で連載に出くわすたびに新鮮な刺激を受け、新たな境地をひらかせられたものだ。改めて一冊の新書に全50回分が集約されたものを読んで、ひたすら懐かしい。新聞で読んだものは2頁と短いが、ひとつの章が終わるごとに登場する「幕間エッセイ」は7〜8頁と長い。著者の〝思いの丈〟が書き込められたようで味わい深い◆この本で、「女性たちの緩やかな連帯」から「ドラマが描く/描かない恋愛と結婚」までの7本のエッセイを読んで、かくも豊かなドラマが毎夜毎晩流されていたのか、と改めて思い知らされた。実は私はこれまでテレビドラマはあまり見てこなかった。NHKのドキュメンタリー番組が主で、せいぜい大河ドラマや朝ドラぐらいだったからだ。50本のコラムが並んだ目次を見て、私が実際にテレビで見たドラマは『いだてん〜東京オリムピック噺〜』と『鎌倉殿の13人』だけというお粗末さ。だが、この2本とりわけ後者のインパクトは強烈だ。佐藤浩市扮する上総広常の最期を描いた場面は本当に迫力満点だった。過去に見た映画のどれに比べても壮絶な立ち回りだった。「各登場人物の死をいかに描くかということから逆算して人物造形がなされているのではないかと思うほど、退場シーンが秀逸だった」との岡室さんの感想には全く同感する◆『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は、第10回と第30回の2度も取り上げられている。著者自身が述べているように、このドラマは視聴率が低かった。その理由は前半のマラソンランナー・金栗四三の伝説風スタイルと、後半の1964年の東京オリンピック招致者・田畑政治の実録風スタイルが折り合わなかったことにあるのかもと推測する。疲れきった金栗がマラソンコースを間違えた挙句に、コース付近の立派な居館で介抱を受けた話や、人見絹枝ら女子選手の活躍に至るまでの苦労談など重くて厚いエピソードが見た人間の脳裡にはっきりと刻印されたドラマだった。著者は、「日本のオリンピックの歴史を、当事者と庶民両方の視点を織り交ぜて描いた傑作だった」とする一方、コロナ禍で1年延びた末に賛否両論渦巻く中で開催された「2020東京オリンピック」の総括を、意味深長な問いかけで終えているのが胸に刺さる◆この本で岡室さんが取り上げたドラマの放映はちょうどぴったりとコロナ禍の期間とダブル。岡室さんはあとがきを「テレビをめぐる四年間の旅を振り返って思うのは、やはりコロナ禍においてドラマが果たした役割の大きさだ。ドラマはさまざまな形でコロナ禍における私たちの日常を映し出し、コロナ禍でささくれた心を癒してくれた」と書き出している。その猛威は世界中を襲い日本の各家庭をも巻き込んだ。私の顧問先の幹部は2019年晩秋にコロナに罹り、あっという間に帰らぬ人となった。その病の残酷さたるや別離の儀式すら奪い去った。それゆえに彼は長期の旅に出たまま逢えない日々が今も続いているような感がする。亡くなったとの実感が未だに湧いてこない。その災いとほぼ踵を接するように世界を襲ったのはウクライナ戦争であり、ガザを舞台にしたイスラエルとパレスチナとの戦争である。あのコロナ禍と違って、未だこれらの戦争は我々の日常生活と離れている。それが身近に迫ってきたら?いかなるドラマも癒してはくれるまい、と思う。(2025-3-27)

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