「私は今、自民党を憂いています。現在の自民党政治の暴走に対して、たった一人でも政治家の使命をかけて闘わなければならない。そう決意をせざるをえないのです」──●年の参議院選挙の直前に出版された本、村上誠一郎『自民党ひとり良識派』を選挙後に一気に読んだ。衆議院議員に連続当選すること●回。自民党一筋に●年。「ミスター自民党」を自認する男の「たった一人の反乱」が気がかりになっていた。何がそこまで駆り立てるのか、と。自民党の内情に深く立ち至るのは差し控えたいが、恐らく全編これ正論であろう。政策課題に関しても一部を除いて、その主張に共鳴することは少なくない。そのうえで、好漢惜しむらくは浮いている、との印象はぬぐいがたい。彼ほどの侍による地に足つけた批判ならば、今少し同調者もいるのだろうに、と思うからだ
村上氏は年齢は私より7歳下だが、衆議院議員当選は7年早く、初めて会った時からその堂々たる風貌は仰ぎ見る存在であった。一緒に欧州経済事情視察に行くなどするなかで妙にウマが合った。かの福島原発事故の後処理問題では出色の論陣を張った彼と、微力ながら私も行動を共にした。その間、事あるごとに「吠えるだけではなく、行動を起こせ」と焚き付けた。引退後にも数回会ったが、その時も「同志を募らなければ。一匹狼では」と偉そうに苦言を呈したものである。
私との最大のくい違いは、安保法制について、いわゆる集団的自衛権の行使容認をしたことは違憲であり、解釈改憲は立憲主義に反するとしている点である。仮に集団的自衛権を憲法を改正しないでまともに導入したのなら、解釈改憲をしたことになろう。しかし、先の安保法制は、従来からの個別的自衛権の範囲を出ていない、というのが私の認識である。そこを彼は曲解してしまっている。殆どの憲法学者たちの指摘する「違憲論」も存知のことだが、彼らが同時に「自衛隊違憲論」者であることを見逃すことはできない。国際法や国際政治学者の多くは、憲法学者と意見を異にしていることも抑えておく必要があろう。尤も、憲法について村上氏は3原理を変えないで、環境権など国民の理解を得やすいものから改正して行くことが穏当な政治的判断だとしている。これなど公明党の「加憲論」と全く同じであり、大いに興味深い。
★未だ遠い自民党の変革
公明党は立党いらい長い間、”自社55年体制”を倒すことに意を注いできた。ソ連崩壊とともに社会党が消滅し、自民党は一党で政権維持をすることが困難となった。21世紀に入り連立政権が常態になって、公明党は外から自民党政治打倒を叫ぶより、内側に入って改革することに方針を変更した。自民党政治を庶民目線のものに変えるためには、与党の一角を占めたうえで普段に主張し続けることが近道だと判断したからである。庶民大衆のために政治を立て直す観点から、与党第一党の存在を注視してきたのだ。村上氏の言われるように、かつての自民党は「あらゆる意味で強固かつ強靭な政党」であった。しかし、その分、庶民大衆からは程遠い存在であった。それを大衆寄りのものにするべく、外から内から、手を変え品を変え、あの手この手で取り組んできたのが公明党なのである。
時として、公明党は「平和の党」の旗を降ろしたのか、との批判を受けることもある。”空想的平和主義”の立場からは無理からぬことかもしれない。現実に根差した中道政治の展開はなかなか理解されがたい側面もある。我々は自民党が庶民に目配りを十分にする党になって欲しいことを念願してきた。「消費増税にせよ、規制改革にせよ、はたまた社会保障改革など国民にとって厳しい政策を着実に推し進めることができるのは唯一、自民党である」と断言する村上氏にとって、公明党の存在こそ手枷足枷になっているとの認識なのかもしれない。
そのあたりについては触れられていないからわからない。他党批判には手を染めたくないとの慮りなのだろう。だが、かつての自民党との違いは公明党との共闘にあるわけだから、自ずと心中はうかがえるというものだ。自民党の変貌に向けてしゃにむに手を打ってきた側からして、仮に村上氏のいうような現状に同党が陥っているとするなら、「薬が効きすぎた」というべきだろうか。友党の一員として複雑な心境にならざるを得ない。自民党の今を嘆き続ける村上氏と、自民党の変革未だならずとする私とが折り合える日は果たして来るのだろうか。
【他生の縁 日本の政治停滞を憂う仲間同士】
村上水軍の末裔たる村上誠一郎氏は、私がかねて畏敬の念を抱く政治家です。もっともっと表舞台で活躍を、と期待しているうちに彼も70歳を優に越えてしまいました。今ではさらに闘志満々で、自民党改革に執念を燃やし続けています。政治家としてどういう決着をつけられるのか、どのような結末を迎えられるか、人ごととはいえ、大いに気になります。