阿川佐和子さんの本は、➀聞き上手とは➁聞く醍醐味➂話しやすい聞き方ーの三章に分けられ、「心をひらく35のヒント」とのサブタイトルにあるように、彼女自身の経験が楽しく語られている。だが、読者は別にインタビュアーになるわけではないので、彼女の失敗やら成功例を聞かされても直接的には参考にならない。つまり、彼女の話術の巧みさにはまって面白おかしく読んだ末に、あとで全て忘れてしまうという陥穽に陥るのが関の山である。せいぜい、「面白そうに聞く」「話が脱線したときの戻し方」「オウム返し質問活用法」「知ったかぶりをしない」「喋り過ぎは禁物」の5つぐらいが実用的にはヒントになった程度であった▼要するにこんな本をいくら読んでも私の会話の癖は治らない。現実に偶々先日、小学校の教頭をしている後輩との会話の際にこんなことがあった。彼が「心理学者のアドラーについて岸見一郎さんの『嫌われる勇気』という本を読もうと思います」と言う。既に読んだ本が出てきたからもういけない。よせばいいのに、またしてもあれこれと一方的に喋ってしまった。ここは、「どうしてアドラーに興味持ったの?」と返したうえで、『嫌われる勇気』の人気の秘密をさりげなく語る程度にとどめるべきであった▼心理学の周辺を語ると留まることを知らぬ私は、自分が同書の読後録をブログに書いていることやら、友人の志村勝之との電子対談本『この世は全て心理戦』にまで及んでしまった。聞いてる方は恐らくわけが分からなかったに違いない。話の合間に自分のブログの宣伝やら、電子書籍の効能など織り交ぜるのだから。おまけに、最後には「君が読んだらいいのは『仏教、本当の教え』ではないのかと思うよ」などと、余計な本の紹介までしてしまう始末。これでは、要するに自慢話だ▼長い間政治家をやっていると、何か意味のある話をせねば相手に申し訳ないという勝手な思い込みがあり、ついつい余計なサービスをしてしまう。「話題が豊富な人で、話が面白い」などというお世辞が強迫観念となって、いつの日か「聞く力」が退化し、「話す力」のみが過剰に育っている(これとて、たいしたことはないのだが)のが私の現状だろう。そういう私の在り様を、志村勝之は「アイ中心で、ユウがない」という。つまり、相手の立場を思いやらない「自己中」なんだというわけだ。(この項続く=2016・8・18)