(247)「戦後」が「戦前」に繋がらないためにー鴻上尚史『不死身の特攻兵』を読む

「僕はどうしても、この人の生涯を本にしたかった」-日本劇作家協会会長の鴻上尚史さんの本を感動と共に読み終えた。『不死身の特攻兵』である。ここで描かれたのは「必ず死んで来い」と上官から言われ、9回出撃しながらもそのつど生還し、92歳まで生きた佐々木友次さんという元特攻兵。新聞の書評欄で見たもののあまり気乗りせずに放っておいた。そこへ笑医塾の高柳和江さん(元日本医大准教授、小児外科医)から、「ぜひ読んでみて」と送られてきた。「特攻」ものは友人の息子で戦史家の畑中丁奎『戦争の罪と罰 特攻の真相』を先年読んでおり、気にはなるものの暗い中身が予想され、引くところがあった。が、高柳先生のお勧めには外れがないし、据え膳食わぬわけにもいかぬ思いでページを繰った■いやはや読んでみると息を吞み続けるど迫力。冒険推理小説を思わせるほどの運び方の巧みさ。直ぐにひきこまれた。先週の読後録(『敗者の想像力』)で紹介したように、我々戦後人は「すくすく育ちすみやかに老いた」。ものごころついた頃には高度経済成長の真っただ中。中年期には「バブル絶頂」。貧富の差はあれども、基本的には豊かな生活を享受してきた。そしてあっという間に高齢者から後期高齢者の長蛇の列に並びかけている。そんな「戦争を知らない老人」たちは、あの7年間の占領期さえも自覚せずにやり過ごしてきた。召集令状に戦慄した若者や家族たちから70有余年。今では、血液検査票に一喜一憂の日々だ。そんな私たちのついひと時代前の特攻兵。同じ日本人として彼らの血涙と苦悩を解っているのか。鴻上さんの仕事は、戦後を呑気に生きてきた老人たちを生前の修羅場に連れ戻す■「帰ってきた特攻兵」ー不遜な言い方になるが、興味津々のテーマである。90歳を超えて目の光を失った元特攻兵へのしつこいまでのインタビュー。奇跡というよりも運を文字通り天から招き寄せた体験の数々。「人間は、容易なことで死ぬもんじゃないぞ」-日露戦争の激戦を生き抜いた父の言葉が繰り返し頭をよぎり胸に迫る。その強い確信を胸に、好きで好きで仕方のない大空を明けても暮れても飛んだ。理不尽そのものの戦地にあって、佐々木さんの言動は驚くほど冷静で強く逞しい■特攻をめぐる本は夥しいほど出版されている。最終章「特攻の実像」はあたかも文献解題の役割を果たしており興味深い。「すくすく育ちすみやかに老いた」元政治家の私も、特攻については殆ど知らずに定番の”美化的風潮”に冒されてきていた。辛うじて50歳代前半に広島・江田島の海軍兵学校跡地や鹿児島・知覧基地に行き、当時の雰囲気を齧って知ったかぶりをしていただけ。そんなわが身がただ恥ずかしい。全軍特攻化を強いた連合艦隊参謀に徹して拒否した、美濃部正少佐。その姿は眩しいまでに光る。それに比し嘘をつくことに躍起となった上官たち。戦後長く生き続けた彼らの事実の数々は重く悲しい。そして大衆に受け、売れるから戦争を煽って書いたメディアの実際も。戦後70数年。「ここまで来て、ようやく冷静に『特攻』を考えられるようになった」と。「戦後」が明確に終わらぬまま新たな「戦前」の匂いが漂う今、極めて重くのしかかって来る言葉だ。(2018・3・10)

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(246)すくすく育ちすみやかに老いた「戦後」ー加藤典洋『敗者の想像力』を読む

この本の指向するところは極めて深く重い。わたしより少し若い、いわゆる団塊の世代に属する著者だが、こうした論考は日本社会ではこのところ忘れられているように思われる。昨年末の新聞読書欄で知った、加藤典洋『敗者の想像力』である。著者の言わんとするところは、日本人は先の太平洋戦争で敗れ、未だに真の意味での独立を達成していないということを自覚していない。占領期が終わって66年程が経っているのに、皆知ってか知らぬか、日常的には何も違和感を持っていないということに尽きよう。ゆでガエルの挿話が分かりやすい。「カエルを入れた水槽を温め、徐々に温度をあげていく、すると、そこから飛び出す機会を見つけられずに、カエルはついにはゆであがって、死んでしまう」との話である。「日本は未だ米国に占領されており、独立していない」のに、気づかず、ゆで上がってきているということなのだ■冒頭にカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を用いつつ語っているところは、クローン人間をめぐっての”私の浅読み”(過去に取り上げた)を自覚させられたうえに、「独立と占領」について大いに考えさせられた。ショックを受けるに十分な内容で、ぐいぐい引き込まれた。更に、日本には占領期の経験を描く文学作品が少ないのはなぜかとの指摘も興味深い。「日本は敗戦を終戦と言いかえたし、占領軍も、自分を進駐軍と言いかえた。占領をするものとされるものの、あうんの呼吸の協力があった」との記述は言い得て妙である。敗戦、占領というマイナスイメージを押さえることが両者にとって都合が良かったということだろう。というように様々な観点から日本は本当の自画像を知らないでいるのかもしれない■ただ、一方で、加藤氏のような戦後史の捉え方を「自虐史観」として切り捨てる立場についても触れざるを得ない。この主張をする人々は、概ね「戦前への回帰」を志向し、戦後の支配的潮流となった「欧米的民主主義」を否定的に捉えてきた。いささか極端に言えば「皇国史観」といえ、民族の誇りを前面に押し出す考え方である。ある意味で戦後の日本は、まさにそうした二つの史観の対立、抗争の時代であったと言えよう。戦後そのものが人生のすべてである昭和20年生まれの私にとって、少年期から青年期にかけては文字通り「民主主義」の申し子であった。無批判に”戦後の甘い果実”を享受してきた。しかし、長じてはそんな境遇に疑問を抱くようになったというのが偽らざるところだ■戦中派の思想史家である橋川文三氏は、敗戦前の20年余りが戦禍の連続であった日本を、「ながいながい病床にあった老人」と捉え、敗戦をその老人の死と表現した。それを引用した後、加藤さんは「戦後の時代にやってきたのは、新たに生まれた早熟な子が、みるみる育ち、しかし、すみやかに年老い、もう一度老人になって再度、『ながいながい病床』につくようになった、という経験だった」としていることは極めて印象的である。いかにも、という自虐性は感じるが、しかし、確かにすみやかに年老いてしまって70歳を超えた身として笑ってしまうほどの共感も覚える。大江健三郎と曽野綾子という今に強い影響力を持つ文人同士の”暗闘”ともいうべき事件の存在などの事実も興味深い。他に手塚治虫の『鉄腕アトム』と宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の漫画・アニメの世界の比較やら、日本のそれとアメリカのディズニーのものとの比較など極めて面白い。さらに、映画『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』論などなかなかに読ませる。こうした一連のテーマを取り上げているのだが、若干消化するのに苦労することを告白せざるを得ない。(2018・3・4)

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(245)貧困な我が想像力に戸惑うばかりー今村昌弘『屍人荘の殺人』を読む

この本に関する関係者の絶賛ぶりを目にして、読まない人はおかしい。だが、読み終えて全く感心しないーという私は恐らくおかしい。今村昌弘『屍人荘の殺人』を私が読む気になったのは新聞書評による。本屋で手にした表紙の帯には、「21世紀最高の大型新人による前代未聞のクローズド・サークル」とあったうえ、人気作家の圧倒的な支持する声がずらり。このところ推理小説は読んでなかったこともあり、迷わず買った。そして悪戦苦闘して数日かかって読み終えた■私がこの本に賛同しないのは勿論理由がある。一つはリアルがないということ。二つは、影の主役の登場がおもわせぶりに書かれているだけ。恐らくは続編に出て来るに違いないが、もう少し触れてくれないと面白くない。小説の世界だから何を書いてもいいという風にはわたしには思えない。こんなこと絶対起こらないと思わざるをえない舞台設定には生理的嫌悪感を持ってしまう。いやあSF小説はどうするのかなどと言われたくない。一方で登場人物の描き方などにリアル感が漂うだけにちぐはぐさが馴染めない■すべては冒頭の手紙に匂わせられている、班目機関なる「特異集団」のしでかしたことで、今後に続くのだろうが、それなら最後になんらかの予告がないと中途半端な感じがしてしまう。実は名探偵シャーロック・ホームズとその友人ワトソンを思わせる明智と葉村という名の大学生が登場するのだが、早々と明智が死んでしまうことに、奇妙な感情が沸いてくる。嘘だろう、と。次々死にゆく人々の展開に読み手の意識が追いつかないのである。密室殺人の粋がこめられているとか、トリックが密接に組み込まれていると言われても■あれこれとケチをつけてしまった。結局はわたしという人間が創造力が貧困で、推理小説の何たるかを知らないということに尽きるのかもしれない。こんなにも絶賛するひとがいるのに。真逆にこういう本が凄いという人たちはいったいどういうひとだろうと思ってしまう。私の感性がおかしいのか。この本を推す人たちがおかしいのか。是非皆さんもこの本を読んでみてほしい。(2018・2・24)

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(244)忘れられた本来の役割を覚醒させるー島田雅彦『深読み日本文学』を読む

島田雅彦という作家はNHK好みなのか、テレビにラジオによく登場する。軽いノリとイケメンが影響してか、私的にはあまり好みではなかった。だが、この本(『深読み日本文学』)はそうした私の”僻み根性”を一掃するに足る面白い中身を持った本である。まず序章の「文学とはどのような営みなのか」に強い共感を覚えた。昨今のグローバル化の進展の中で、効率主義、成果主義がはびこり、人文社会科学を軽視する傾向が極めて強い。私の親しい古田博司筑波大教授によると、その分野はもはや風前の灯で、次つぎと講座は縮小されていくと聞いている。こうした傾向を冒頭で島田さんは厳しく断罪する。先の見通しが立たない現代だからこそ、未来に起きる予測できないことに備えるためにも人文社会系の知識を学ぶ必要がある、と。「(その分野の)教養のない人間が政治家になると歴史認識において大きな躓きを招いてしま」いかねないと忠告し、「エセ文学的な『言葉の悪用』をする人たちを批判するのが、文学の本来の役割」だと言い切り、小気味いいばかりだ。政治家としては文学に関心を持ってきてせっせと本を読んできた身としては、まさに我が意を得たりというところである■日本文化の基本概念が紫式部の『源氏物語』に流れる「色好み」であろうことには誰も異論はない。島田さんは、そこに端を発した伝統的傾向が江戸時代に受け継がれる経緯を分り易く説く。天皇を中心とする貴族たちの宮廷から、町人たちの遊郭へと担い手は移り、物語の内容も「もののあわれ」から、より下世話な快楽主義へとの変化は、時代を貫いて伝わって来る。そしてそれが千年経った20世紀において、谷崎潤一郎の文学に体現される、と。「エロス全開ースケベの栄光」といった直截な命名ぶりには、いかにも著者らしさが窺え、感動する。東洋・日本の光源氏と西洋・スペインのドン・ファンにおける「女たらし比較」論は実に面白く読ませる。「狩猟採集民族系」対「農耕民族系」との捉え方は、前者があらゆる世界に「敵意」をばらまくのに対して、後者は「友愛」を運ぶとの仕分けを生み出し、味わい深い■江戸期の井原西鶴『好色一代男』は、世之介54年にわたる性遍歴を描き出して、『源氏物語』のパロディだ。数年前に現代語訳をした島田さんが「フィクションとはいえ、『人間はここまでバカになれるのか』と、呆れるのを通り越して一種の尊敬の念を抱かざるを得なかったのも事実」としているのに、私としては笑いを禁じ得なかった。近松門左衛門の『曽根崎心中』は、心中を様式美にまで高めていったとし、自殺を流行らせる傾向をヨーロッパのゲーテの『若きウェルテルの悩み』と対比させているところも読ませる。さらに西鶴や近松の手法が現代のライトノベルに受け継がれているとの捉え方も。谷崎潤一郎の作品を読むためのポイントのくだりも面白い。➀根っからのスケベであってほしい➁悩める知識人であってはならない➂常に何かを崇拝し続けるということ。しかもその対象をコロコロ変えていかねばならない➃戦争といっさい関わりをもたない➄老いてなお悟ってはいけないー「不道徳講座」の見本みたいなまとめ方である■もちろん、こういった「チョイ悪爺」が喜びそうな日本文学の伝統ばかりが書かれているのではない。「恐るべき漱石」や文学上の奇跡としての樋口一葉についてのくだりも惹きつけられる。さらにナショナリズムを人類の麻疹として捉えたり、戦中、戦後はどのように描かれたかとの視点も興味深い。生真面目な生き方に憧れてきた私としては、漱石や鴎外などといった正統派の文学に偏った読み方をしてきた。島田さんがあとがきで「文学とは時に不徳を極めた者を嘲笑うジャンルであり、権力による洗脳を免れる予防薬であり、そして求愛の道具であった。(中略)バラ色の未来が期待できない今日、忘れられた文学を繙き、その内奥に刻まれた文豪たちのメッセージを深読みすれば、怖いものなどなくなる」と結んでいる。こういう境地に達していない「浅読み」の爺さんとしては、日暮れて道遠しであり、老いてなお怖いものだらけであるのは切ないばかりだ。(2018・2・19)

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(243)ことば遊びの粋がきらめくー柳澤尚紀『日本語は天才である』を読む

いやあ、面白かった。痛快そのものの読後感で、胸のつかえがすっと落ちたあとに、日本人としての誇りが高まって来る。柳澤尚紀『日本語は天才である』を読む気になったのは毎日新聞の書評欄を見て。10年程も前に刊行されたとのことだが、知らなかった。というよりも翻訳家としての著者そのものの存在さえ知らなかったのだから。あらためて我が呑気さに呆れる。この人、ジェイムス・ジョイスの『フィネガンス・ウェイク』を見事に翻訳した、天才翻訳家だ、と。そう聞いても、その価値が分らないのでは始末に負えない。まあ、遅ればせながらこの辺りの領域にも足を踏み入れるか、と考えるところがまだまだ若いというか、未熟なじいさんだと自嘲するしかない■柳瀬さんは冒頭に翻訳家として、日本語が天才であると思ったきっかけを三つ挙げている。一つ目は、”You are a Full Moon.”と”You are a fool,Moon.”という二つの英文を挙げて、月が怒った理由が分るように日本語訳をした時のケースだ。耳で聞くと、この二英文は音の誤解を生み出す。通常は、これを「やあ、満月さん」「バカなお月さんだなあ」と訳すのだろうが、これでは月の怒ったニュアンスが出ない。そこで「されば、かの満月か」と声をかけられたのに、「去れ、バカの満月か」と聞き違えたとして、翻訳をした。(この辺り分かり辛い向きは本を読んでみてください)30年前のことだが、「されば」と「かの」という文語的表現の存在に今も感謝している、と。二つ目は O note the two round holes in onion.これは、「おおタマネギの二つの円い穴に注目せよ」と訳すと、面白味が訳されないので悩んだというのだ。確かにonionという単語には、よく見るとoが二つ入っている。そこで、考えに考えた結果、たまねぎという日本語の単語にも「ま」と「ね」に二つ円い穴が開いてることに気づく。確かにそうだ。三つめはEvil とLive と翻訳した時のこと。これは、悪と咎という言葉に結びついていくが、ここではもう触れない。ともかくこの後、日本語の天才的凄さを次々と挙げていく■そんななかで、私としては最終章の「四十八文字の奇跡」に感動した。「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせず」「色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山経越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」ーこのいろは歌(実際は47文字だが、最後に、んを付け加えて48文字とする)は「世界に類のない奇跡、日本語という天才のみが生み出した奇跡」だと言われてあらためてほれぼれとするのはわたしだけではないはず。7つの段落に分解すると、それぞれの語尾が「とかなくてしす」となる。これを柳瀬さんは「咎なくて死す」というメッセージが浮かび上がるという。ウーン、ナルホド。これは奥が深い。いや、深すぎる。さらにあれこれといろは歌を作ったり、ことば遊びの数々を披瀝してくれて飽きない■この本のなかには現代日本の文学を彩ってきた様々な作家や批評家の言葉が出てくるのを追うのも楽しい。とりわけ言語学者の大野晋さんとのやり取りには注目だ。大野さんの『日本語の年輪』なる文庫本を読むことを強く勧めている個所に出くわし、これも早速買い求めて並行して読んだ。こちらはまさに由緒正しい国語を理解するための正攻法からの本である。であるがゆえに、一層柳瀬さんの変化球というか、クセ玉乱発の「天才ぶり」が際立つ、こちらの方が面白い。(2018・2・11)

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(242)大阪の女興行師のど根性に圧倒されるー山崎豊子『花のれん』を読む

このところNHKの朝ドラを観るなどどいう習慣がついてしまった。つい5年ほど前には考えられなかった。それだけ朝の時間帯に余裕ができたのだろう。今はご存知『わろてんか』である。このドラマは吉本興業の創業者(吉本せい)をモデルにしているというが、大分趣きを異にしているかに思われる。今一歩笑うところがすくないうえ、ピリッとしたところもない。そんな不満もあって以前から読みたいと思いつつも敬遠してきた山崎豊子『花のれん』(かつて舞台や映画に登場)を読むことした■いやはやこれは凄い。彼女がこれで直木賞をとり、その後の作家生活に本格的に入っただけのことはある。まず感心したのは文章のテンポである。きりりと鋭い文章がこぎみよくとんとんと進む。読みながら吉村昭の文体を思い出した。加えて、大阪弁の面白さだ。解説で山本健吉は「大阪弁独特の柔らかさとまだるさに、融通無碍ともいうべき巧みな曖昧さが加わって、角をたてずにスムーズにビジネスを推し進めることに役立っている」とご本人のエッセイから紹介している。私など残念ながら悪評高い播州弁の姫路生まれゆえに本格的な大阪弁とは縁遠い。改めてその効用を知って感激した。恋を語る場面で「おいでやす」というと、「一杯飲み屋の客引きのよう」などに聞こえるとか、「大阪弁で独白すると、心理の緊迫感がなくなってしまう」など、笑いを誘う展開にも惹きつけられた■この小説を通じてわたしてきには、明治から大正、昭和にかけての日本文化のこよなき伝統を感じた。昭和20年以後の戦後に育った世代が、子や孫に伝えきれていない日本の古き佳き生活習慣。そうしたものがそこはかとなく伝わって来るのだ。ルビがうたれた漢字を読むことで、既に忘れてしまっている日本語(例えば、吝嗇=しぶちん、お為着=おしきせなど)の妙味も次々と蘇ってきた。ちょうど並行して読んでいる『日本語は天才である』とか『日本語の年輪』などに相通ずるものがあり、興味深い■それにつけても主人公・多加の女興行師としての立ち居振る舞いは凄まじいの一言だ。自分のところの寄席に名だたる真打を呼ぶために、公衆便所の(今と違って水洗ではない)汚い便器に跨って待ち伏せして、札を押し付けるなど「大阪商人」のど根性を次々と見せられて圧倒されるばかりである。テレビを先に見てから小説を読んだために、てんと多加とのあまりにも落差の大きさに戸惑うばかり。また、二人の夫の差も大きい。小説では妾の家で同衿中に死んだことになっているが、流石に朝ドラではそういうわけにはいかない。小説もテレビドラマの脚本も、創作なのだからと思いはするものの、どうしても実在の人物たちと二重写しになってしまう。まして我々世代にとって懐かしい花菱アチャコや横山エンタツが出てきたりすると尚更だ。とはいうものの、そこは映像の面白さ。てんのかわいさも捨てがたい。などなど何やかやとあって今朝も朝ドラに見入ったしだい。(2018・2・5。一部手直し=2・7)

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(241)栄光の執事と失敗だらけの秘書とーカズオ・イシグロ『日の名残り』を読む

『日の名残り』ーノーベル賞作家カズオ・イシグロの本を読むのは2冊目。ただしこれは電子書籍で読んだ。理由はたまたま書店になかったからで、特段の意味はない。また、同名の映画も観た。英国の執事のことを描いたノーベル賞受賞作家の映画だということで飛びついた。執事という存在にかねて興味を持っていたこともあるが、アンソニー・ホプキンズとエマ・トンプソンの名演技が光る、と知ったことが大きい。先に読んだクローン人間を扱った『わたしを離さないで』も、映画化されていた。受賞されるまでほとんど知らなかった作家をこのところ立て続けに読み、映画も観ることになったわけだが、やはり異色の味わいを持つ気になる作家だとの印象は消しがたい。これからも恐らく少しづつ読むことになるだろうとの予感がする■この小説はスティーブンスという英国の名だたる執事が主人公。彼が35年間仕えた主人は、英国の貴族の中でも最も有名なダーリントン卿。その居住地の中にあるダーリントンホールには英国の首相や外相、フランス大使やドイツ・ナチスの高官ら数多い著名な人物が出入りしていた屋敷であった。その屋敷で多くの人々が欧州をめぐる政治的議論を交わし、時に歴史の転換期における舞台になったこともしばしばだった。そうした歴史的場面に遭遇することもあった執事は、当然ながらその主人に深い敬慕の念を持つに至った。しかし、肝心の主人が不名誉な噂を立てられ、やがてそれを払拭できぬまま失意のうちに死んでしまう。そして代わりにアメリカの大富豪・ファラディ氏にその屋敷は買い取られ、スティーブンスは執事として雇用される。やがて主人からの勧めもあってドライブ旅行に出かけるのだが、物語はその間にダーリントン卿との思い出を顧みることになる。主人と執事とのえもいわれぬ深い関係、そして執事とはいかにあるべきかの様々なエピソードを交えての洞察などが淡々と語られる■日本には執事的なものは今は見られない。秘書がその存在に代わるものだろう。この両者、似て非なるものだが、主人に仕えるという一点では共通している。私も代議士秘書稼業をわずかに1年半だが経験し、そして20年もの長きに渡って秘書を持つ身になった。そうした体験からしみじみと人に仕えること、主人の心映えを感じてうまく合わせることの難しさを骨身にしみて分った。というか、わかった気になった。しかし、この小説や映画に描かれた執事の所作振る舞いを見て、自分など完全に落伍者であることを改めて知ったしだいだ。秘書でありながら主人の鞄を列車の網棚に忘れたり、主人との待ち合わせ時間に遅れたりなどといった我ながら初歩的かつ大胆なミスは枚挙にいとまがない。さらに、大事な会談に陪席を許されたものの、黙って控えていることに耐えられずに余計な口出しをするなど数多の失敗をしたものである■一方、私には20年間仕えてくれた秘書が複数いたが、彼らまことに卓越した能力の持ち主だった。そのうち国会での秘書は、私が何を考えなにをしようとしているかを全て先んじて押さえ、知らぬ間に用意してくれた。お世話になった数々の所業は数知れない。私と同じ誕生日の議員が複数いることを知った数日後、全国会議員を点検したうえで、リストをさりげなく差し出してくれた。また、かねて私はタブレットとガラケーを併用しているが、以前にスマホに買い替えようとした。その時に、彼はスマホは止めてガラケーとの併用、つまり従来通りがいいとアドバイスしてくれた。些細なことのようだがその判断は全く正しかったと心底から思っている。その秘書のことを良く知るに至った、私が仕えた先輩代議士は後にしみじみと「俺は秘書に恵まれなかったが、君は恵まれているなあ」と述懐されたものである。穴が入りたいとはこのことだったが、私の場合、主人との間に幾つ穴があっても足りなかったろう。ともあれ、このイシグロの小説はわたしにとって今は亡き主人の、壮絶なまでの素晴らしさや失敗ばかりの酷い自分のことをあれこれと思い出せてくれる罪深い本ではあった。(2018・1・28)

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(240)欧米列強の罪深さに慄然とするー池内恵『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』を読む

日本にとって、今年は明治維新から150年だが、100年前というと、明治も終わり大正時代に入った頃で、日本的には日清・日露戦争を終えた頃だ。世界史的にも大きな混乱のさなかであった。第一次世界大戦がはじまったのが1914年。ほぼ戦後処理が終わったのが1918年。その頃に英国とフランスが中東地域の分割を試みたサイクス=ピコ協定が結ばれたのである。外交交渉の任に当たった英国とフランスの外相の名をとってこう呼ばれるが、今もなお続く中東の混迷の元凶はこの協定にあるという。中東研究の第一人者とされる池内恵さんの『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』を本屋で発見し早速に読んだ。この人は姫路が生んだ著名なドイツ文学者の池内紀さんの息子さんである■中東地域について関心はあっても、地理的遠さや混迷の度合いの深さから敬遠ぎみの人は少なくないものと思われる。そういう人にこの本はお勧めしたい。尤も、だからといって最初から順に読もうとすると、そこは学者の書いたもの。特有の硬さは否めない。そういう方には最終章の「アラビアのロレンスと現代」から入られるとよい。できれば、未だこの映画『アラビアのロレンス』をご覧になっていない方は、この章を読んでからDVDを観て、そして1章から順に読まれるといいかも。アクション満載の面白活劇映画かと見る向きも多かろうが、この映画は「アラビア半島での戦闘だけでなく、『アラブの反乱』勢力がダマスカスを制圧し、オスマン帝国から解放された後の1919年5月に開催されたシリア国民会議の描写を通じて、アラブ世界の社会の分裂や、政治制度の未分化がもたらす混乱を描いている」のだ。更に池内さんが言うように「中東国際政治やアラブ世界の政治社会の構造を浮き彫りにする、脚本の作り込みの深さ」が最も重要で、「ハリウッド映画は馬鹿にならない」のである■この表現には明らかに著者自身が馬鹿にしていた過去があるかに思われる。私の大学時代の恩師・永井陽之助先生はしばしば映画や小説を使って国際政治の舞台裏や交渉術の妙を解説して聞かせてくれた。それゆえ塩野七生さんが「(両親が)映画鑑賞を読書と同列において私を育ててくれた」(『人びとのかたち』)といわれるように、「映画こそ国際政治の教科書」との思い込みは強い。永井先生は名著『現代と戦略』において「アラビアのロレンス」に触れる中で、日露戦争においてなぜ「シベリアのロレンスがあらわれなかったのか」と問いかけた後、『あゝ永沼挺進隊』なる本を読み「自分の不明を恥じた」と記している。この永沼挺進隊こそ立派な「満蒙のロレンス」だったというのだ。過去の歴史におけるいかなる戦いにあっても大なり小なり影で暗躍する人物がいることを改めて知った■この本を読み終えて過去の経緯が鮮明に分かり、今の中東地域の混迷に預かって責任があるのが第一義的に英国であり、フランスであることが分かる。そしてロシアにも大きな責任が。第一次大戦時には未だそれほどの力を持ち得ていなかったアメリカもその後の流れの中で応分の責めを負わねばならぬことも。要するに欧米列強の罪深さが分る。ではこれからどうなるのか、いやどうするのかと問いかけると、いたって暗い気分になってしまう。百年前の西欧列強は「帝国の利益追求を剥き出しにして軍事・外交的な介入を繰り返しつつ、少数民族の保護といった高邁な理念を掲げた介入を並行して繰り出した」。現在のEUは「トルコに難民への処置の『下請け』を依頼しつつ、人権理念を掲げてトルコの加盟交渉を果てしなく引き伸ばす」ことに腐心しており、両者には「本質的に根深い連続性」があるという。「トルコと西欧諸国が根底で抱える相互不信が、西欧の矛盾した政策によって表面化」することで、中東のこれまでの秩序を支えていた礎石が失われることを危惧する池内さんは、「そのような事態が来ないことを願うばかり」である、と結んでいる。この結論の覚束なさに慄然とするが、それだけ池内さんは正直なのに違いない。(2018・1・23)

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(239)旅する夢が駆けめぐるー中西進『「旅ことば」の旅』を読む

(239)昨年末のこと。東京駅から姫路に帰ろうと、ホームの売店を覗くと『「旅ことば」の旅』という中西進先生の本があった。この人は万葉集学者で文化勲章受章者。私が専務理事を務める一般社団法人「瀬戸内海島めぐり協会」の代表でもある。議員引退後にいくつかの団体の顧問をお引き受けしているが、その中でも最も力を入れて取り組んでいる仕事のいわば上司に当たる。といっても日常的に接触する機会はなく、発足後は先生が名誉館長をされている京都市の右京区中央図書館での「映画塾」(月一回、先生と一緒に映画を観た後に、解説を聞く)に時々顔を出して、報告をするぐらい。このところご無沙汰していることもあり、早速に購入し徒然に読んでみた■旅に関する88の言葉から日本人にとっての「たび」の意味が見えて来る、と帯にある。先生は昨年88歳になられたこともあって、月刊『ひととき』(ウエッジ刊)に連載された71本に加えて、新たに17本を書き下ろされたという。この人の凄さは私などが到底論じられない奥行きの深さにある。優しい佇まいの中から、古代から今に至る日本文学の粋が溢れ出て来る。この本の巻頭「たび」によると、古い日本語「たむ」が語源で、廻ることがその原義だとされる。「お神輿や山車で神さまが移動なさ」る旅は、「じつは神さまの神偉の領分を示す儀式だった」から、「神輿と神輿がぶつかろうものなら、大変な境界争いになる」というわけだ。姫路・灘のけんか祭りも岸和田のだんじり祭りもそんな由来になろう■年末年始を迎えると、私は「去年今年(こぞことし)貫く棒のごときもの」という高浜虚子の句を思い起こす。この本の巻末「去年今年」はこれをめぐって深い話が続く。「年」という旅人の謎めいた身振りを、いにしえからの俳人たちはさまざまに詠んだ。虚子の場合は「時は旅」という流れを拒否する棒のごとき不逞の輩のような風体を感じたと思われるという。一方、江戸俳諧の加賀千代女は「若水や流るるうちに去年ことし」と詠み、時を流水のように見立てた。更に近代になって大石悦子の「海溝を目無きものゆく去年今年」との句は、年の瀬を悠然と動きやまないものの姿として捉えている、と。中西先生は「わたしども自身が深海魚のような旅人だと思われ」て身震いしたと結ばれている■この本の楽しみ方は色々あるが、著者の旅先と読者の行ったところと一致したものを探すことも楽しい。私の場合は、去年初めて経験したドイツ・ライン川下りが重なった。中西先生は、日本の川下りがしばしば舟にしがみつきながら悲鳴を上げるケースが多いと述べられた後、ライン川下りでも「一度だけ船中が騒然となって、傾くばかりになった時があった」とされている。ローレライの岩を見るために、船客が一斉に右舷に寄って行ったっためというわけだ。去年9月に私もライン川中流の町・ビンゲンに住む友人夫妻の案内で永年の夢であった川下りをした。その際に、確かにかの場所にさしかかると、ざわめきが高まった。ただ、傾くばかりにはならなかったし、結局お目当てのものは何も見えずがっかりしたものだ。先生も「ごつごつした岩ばかりで、不心得者には何も見えない」とされているが、川下りで損をした思いが数か月経って少しだけ癒された気分になった。(2018・1・15)

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(238)今再びの80年の呪縛ー加藤典洋『もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために』を読む

(238)新しい年が明けて、今年は平成30年。同時に明治150年となった。私が大学4年の時(昭和43年)が明治100年だったので、感慨ひとしおだ。この一年の自身のテーマとして「明治維新」とは何であったか、「近代日本」はいかにして形成されたかを追うと共に、これからの日本はどうなるのか、いや、どうするのかを考えていきたい。年末に毎日新聞の書評で知って以来、加藤典洋『もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために』に嵌った。これまで私が温めてきた考えを補足修正してくれる格好の本と思われる。ただし、全体で4つのパートに分かれているものの、表題に直結するものは第一章「二十一世紀日本の歴史感覚」と第四章「明治150年の先へ」だけ。挟まれた残りの二つの章におさめられたものは直接は関係ない。本作りのために必要だったのだろうが、こういう編集の仕方をされるとがっかりする。尤も、それゆえに息抜きが出来て読み易くなっているのかもしれない■この本の狙いは、江戸末期から明治維新の際と、アジア太平洋戦争の敗戦に至る前夜の昭和維新の折りに、共に起こった皇国思想(尊王攘夷思想)の由来を確認することである。そして、それらが80年の歳月を隔てていることから、やがてあと7年くらいで二度目の80年が経つとして、同思想が三度目の鎌首をもたげようとしていることに注意を喚起しているのだ。加藤氏の力点は、明治維新後も、昭和の戦後も、二度とも「皇国思想の根を断ち、その克服をめざすことが、少数の試みを除いて、ほとんど誰によっても行われなかった」ことにある。この本では、丸山真男、山本七平らの試みを宣揚する一方で、加藤氏自身の新しい着眼点に大いなる自信を披瀝している。そして「現在私たちの目にしている狭溢な排外思想とすらいえないヘイトクライム、また『うつろな』保守的国家主義思想の跳梁」が、見えないのかとの警告も■明治維新後に、あれだけ騒がれた「攘夷」が嘘のように後退し、反省もないままにいつの日か顧みられずに、「文明開化」の流れに押し流されたこと。そして昭和の戦争後に、負けたアメリカへの掌かえす「対米追従」の順応ぶり。この二つは共通している。この辺りを加藤氏は克明に追いかけ、読むものを惹きつける。前者では福沢諭吉と勝海舟のせめぎ合い。後者では丸山真男、山本七平らの論考の価値を改めて知って知的刺激を満足させられる。かつて同世代の歴史家松本健一氏が「三度の開国」を世に問い、平成の新憲法の必要性を訴えたが、ある意味で真反対の主張とも言えよう■私はこれまで幾度となく明治維新いらい40年ごとに日本社会が変革期を迎え、上昇と下降を繰り返してきたことを取り上げてきた。このままいけば、やがて日本は三度目のどん底を経験するはずとの予測に同調し、であるがゆえに、真っ当な国家目標(経済、軍事に偏重しない文化国家)を掲げるべしと訴えもしてきた。そこには、過去二回における皇国思想の位置づけが足らなかったとの思いが少なからずしてくる。前を見るばかりで、過去の失敗への地に足つけた反省がなく、歴史の顰に倣う姿勢が足らなかった、と。2025年あたりが「二度目の80年後」の到来になるが、その時を漫然と迎えるのではなく、対抗する思想的準備を急がねば、と思うことしきりである。加藤氏はそういう意味での共戦の友、同志足りうるかどうか。同時代を生きてきた、この道の先達ではあるが、正直一抹の心もとなさを感じている。それは何に由来するのかも探りながら、これからの私の思索を重ねていきたい。(2018・1・6 →1・23日に一部修正)

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