(212)小説は風俗。それがいやなら哲学論文をー大野晋、丸谷才一『光る源氏の物語』上巻を読む

日本文学最高の古典とされる『源氏物語』を読もうと思い立ちながら今まで幾たびか挫折してきた。それにはいくつかの理由がある。平安期の言葉遣いに馴染めないことを始めとして、次から次へと女性を取り換えていく物語展開に、あまりに自分の日常的気分とかけ離れているとの思いが付き纏うことまで、枚挙にいとまがない。手元には紫式部の書いた原典以外に何冊かの訳本がある。随分年下の後輩の女性から貰った与謝野晶子の源氏物語や、瀬戸内寂聴さんのものまで色々と。姫路の元医師会長で、かねて尊敬するI先生から「赤松さんは源氏を読まないの?これを読まなきゃ、損ですよ」といった意味のことを何回か言われ続けてもきている。そんな折に、6月末にお会いする予定が出来た。なんとかその時までに恰好つけなければ、という風な焦りにも似た思いに駆られてきた。そんな折も折、NHKのテキスト島内景二『源氏物語に学ぶ十三の知恵』を書店で発見し、一気に読んだ■これは肩肘を張らずとも、どのように読んでもこの物語は滅法面白いのだということを、13回に分けて書いている。1)憎たらしく仕組まれている人生に翻弄される老若男女を描いており、そこから大いに学ぼう2)日本固有の信仰を基盤に据えて、その上に異文化を積み重ねていく「異文化統合システム」が仏教によってもたらされた3)アイデンティティーは、自分が必要としている人を見つけるだけではなく、自分を必要としている人をみつけることではないか4)この物語の中から、「苦しむ神」や「苦しむ女神」を何人も見つけられる。その苦しむ能力の高さに敬意を払うことから、読者の新しい人生が始まる──などといった風に、島内さんは薀蓄の限りをかたむけて止まない。このテキストを読み終えて、要するにここには日本文化の原型が語られているわけで、それを自分らしく見出すことでいいのではないか、との思いに駆られたのである。そこでふと思い出したのは、私がかねて尊敬する丸谷才一さんと、大野晋さんの対談『光る源氏の物語』上下が我が書棚の奥深くに眠っていたことであった。早速それを取り出して読み始めたらもう止まらなくなった■この本はお二人が『源氏物語』を縦横無尽に語りながら解説する本で、なかなかに面白い。要するに、私は見栄も外聞もかなぐり捨てて、取りあえず原典は棚に上げ、二人の碩学の読み方に専ら頼る道を、取りあえず選んだのである。すると、この本には実は私にとって驚天動地のことが書いてあった。しかも初めのところで。それは、昭和25年に竹田宗俊さんなるひとが、この物語は実は二つに分かれているとの説を発表しているというのである。a系とb系の二つで、aは桐壺、若紫、紅葉賀、花宴、葵、賢木、花散里、須磨、明石、澪標の順で続く。bは、帚木、空蝉、夕顔、末摘花、蓬生、関屋と続き、それが我々の目の前にある物語の間に挿入されているというのである。つまり、a系はa系だけで読んでいけば話の流れがスムースに読み取れるのであり、b 系のものを挟むと何だか分かり辛いというのだ。冗談じゃない。そんな漫画チックなことを言われてもド素人には分かるわけがないという他ない。この「a系b系二分説」は大多数の源氏学者は受け入れていないというのだから、もはやキツネにつままれたような感じになるのは私だけだろうか■実は私はこの小論で、あらかじめ決まった考えをもって書いているわけではない。しかし、丸谷さんたちがa系だけを通して読むと分かりやすいというので、そのように読んでみたいと思っているが、残念ながらまだそれをするには至っていない。上巻のみを読んだだけで、あまりにも源氏の世界に溶け込んでしまうので、ただ時系列的に読後感をここに記している。つまり、これまで私が長い間ひっかかっていた、光源氏なんていう人物は、要するに、気に入った女を年増だろうが少女だろうが、片っ端から犯し、拉致してしまう。これって、今風に言えば、ストーカーであり、変態的女たらし以外の何者でもない、と。ここのところは源氏物語を読むにあたっての最大のネックだったのだが、丸谷さんの解説で妙にすっきりした。「何か風俗小説というのは、現代日本では大変評判が悪い(中略)何か風俗小説を書く人間は、愚かしい不謹慎な男だと思われている」が、「もしそんなことを言うんなら、小説全体を否定するしかない(中略)風俗を描くのがいやならば、小説なんか書くのをやめて、最初から哲学論文とか社会学の論文を書けばいい」と述べる一方、坪内逍遥の「小説の手法は人情なり。世態・風俗これに次ぐ」(『小説神髄』)を引用して、源氏物語を擁護している。これは、「描く」「書く」のところを「読む」に置き換えてみると分かりやすい。ともあれ、これから私はどう『源氏物語』の世界に、はまっていくか、それとも途中で投げ出すことになるのか。いまのところ全く未知数なのは何とも心もとない。(2017・6・3)

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