昭和最後の父親像ー宮本輝『野の春』ー流転の海第九部ーを読む

私の妻はあまり本を読まない。正確にいうと、読んでるところを見たことがない。その彼女がこれまで読んだと思われる数少ない本が宮本輝さんのものだ。私も彼の本はそれなりに読んできた。この人は知る人ぞ知る創価学会文芸部員出身。作家としての手ほどきをしたのは、同文芸部草創の指導者・池上義一さんだ。『流転の海』の最終巻である『野の春』を書き終えた後、聖教新聞のインタビュー記事(昨年12-19付け)に小説を書く上での転機になったのは、人生の師匠である池田大作先生のあるスピーチに出合ったからだと述べていて興味深い▼『流転の海』はともかく長い。37年越しで著者は書き上げた。書くのも勿論大変だが、読む方もしんどい。著者の輝さんにとってこの本は、「家族伝」だから、思入れもひとしおだろう。それに付き合う読者は、よほど輝さん好きでないとついていくのに苦労する。私と輝さんはほぼ同世代なんで、この本を読み進めるにあたって、最初の頃は自分と彼の生い立ちを比べる気持ちが無きにしもあらずだった。しかし、途中でそれをやめた。あまりにも境遇が違うーとりわけ父熊吾の生き方ーからである。小説だから当然創作部分が入っていようが、大枠は変わるまい。こんな魅力溢れる男っているのか、というのが率直な思いだ▼全9巻を通じて何を一番強く感じたか。わたし的には、一言で言えば、「ほんとかよ。こんな親父っている?」というもの。しばらくして、「昔はいたろうな」ときて、最後は「団塊世代の親は、子の育て方を知らないままきたな」いう風なところで収まる。昨今の日本の、とてつもないくだり坂の風潮の原因は、団塊世代が子どもをまともに躾けてこなかったからだとの説がある。自分の子に対する姿勢を含めて、概ね賛同する。輝さんの親父熊吾は、別に口先だけで躾けめいたことをしたり、言ったりしたわけではない。全存在をかけて子供に自分の背中を見せて生きてきたのである。そういう親父とそこに反発しながら寄り添う母親を見ながら育った輝さん。この辺り、彼の今があるからこそ同調出来る▼ただ、私の率直な感想は息子・伸仁の描き方つまり輝さんの自画像が物足りない。20歳までだからこういうものなんだろうが、いささか遠慮しすぎでないかと思われるほど、影が薄い。我々と同世代の評論家・川本三郎は、毎日新聞の書評(2018-12-9)で「一人の偉大な大庶民の死は胸を打つ。男性作家が父親をこれほど魅力的に描いたことは特筆に値する」と結んでいる。私はこの父親像はどこまでが本当の事実で、どこからが創作、つまりウソなのかが気にかかる。もし、殆どが本当だったら、大変な父親だし、そうでなかったら、大変な息子だと思う。これっておかしな読み方だろうか。輝さんに本当の自伝を書いて貰いたい気持ちが読み終えた今高まってきている。(2019-4-22)

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