無実の選挙違反で逮捕された女流作家の叫びー柳谷郁子『風の紋章』を読む

今回の参議院選挙が始まったばかりの頃、姫路に住む作家の柳谷郁子さんとお会いする機会があった。彼女の著作はこれまで幾たびか取り上げてきた。評論家の森田実さんとのご縁を私が取り持ったこと。そこから新たな出版社との繋がりも出来ることになった。そんなこんなで親しさも増したが、彼女にとってとても大事な本である『風の紋章』は読まずにきた。無実の選挙違反で留置場に入ったとのテーマに、どうしても触手が動かなかったからである。それが変わったのは、ご本人からの「読んで欲しい」との改めての強い勧めが全てだった。喜寿をとっくに過ぎたご高齢にも関わらず、凛とした中に美しさを湛えた佇まい。その秘密を解く鍵がこの本の中に込められているのではないかと思い直し、頁を捲っていった▼1991年の統一地方選挙で、それまで姫路市議だった夫君が県議選に出馬し落選した。その直後に若い事務所員がアルバイト料の買収容疑で警察に逮捕された。およそ信じられない事態を前に、彼女は身代わりを申し出て、そのまま共に逮捕される。その事実を基に、釈放後一気に書き上げたという。サブタイトルは、「留置ナンバー・婦55」と生々しい。参議院選挙の最中でありながら、神戸までの車中といった細切れの時間を寄せ集めて一気に読んだ。罪深き警察の誤判断。巧言に隠れた選挙の裏面。立場が狂わせる人の振る舞い。作家、市議夫人として多くの人々の信頼を勝ち得ていた存在が、海岸の盛砂のように崩れゆく様がリアルに赤裸々に描かれる▼彼女のこの事態における行動を突き動かしたものはただ一つ。無実の罪を被せられた青年を救いたいとの一念だけ。それあるがゆえに身代わりを申し出た。ところが警察権力はそう甘くない。結局二人とも逃れられぬ身に。この辺りの狂おしいまでの筆致は読むものをして、奈落の底に突き落とすかのように切ない。取り調べにあたる刑事。留置場における看守。同じ場所に盗みの罪で入ってきた「ぞっとするほど綺麗」な少女とのやり取りなど一つひとつ深く心に残る。選挙という〝祭りごと〟の背後に、一皮めくると暗い別世界が潜むことを突きつけられる。しかし、それでいて人の世の情けというものの有難さも十二分に味わえる。とりわけ最終節の「天からの贈物」はもう涙無くして読めない。そして強く堅固な家族の絆にも▼実はこの時の兵庫県議選に私は出馬する予定だった。直前の衆議院選で次点落選し、県議選に鞍替えをする決意を固めていたのだ。だが、結局は衆院選に再挑戦することとなり、ギリギリで取りやめた。その後暫くして私は無事初当選した。〝苦節足掛け5年〟に翻弄されていた私には、柳谷さんの苦悩は戦場における〝遠い砲声〟のようにしか聞こえなかった。当時は未だ知己を得ていなかったこともあるが、申し訳ないしだいである。以来今日まで多くの政治家や関係者が様々な理由で獄に繋がれるケースを見てきた。最も印象に残っているのは、共に厚労省で働いた村木厚子さん(後に事務次官)の冤罪である。彼女とはひと夜じっくりと体験談を聞く機会があったが、やはり家族の有難さを命の底から語られた。どんなに辛くても夫や娘の励ましあったればこそ乗り切れた、と。獄中で塩野七生の『ローマ人の物語』全15巻を読みきったとの話と合わせて忘れがたい。中国の故事に「疾風に勁草を知る」とある。柳谷さんも、村木さんも、「怒髪天を衝く」思いを持ちつつ、共に見事に乗り越えられて今があることをしみじみと感じさせられる。(2019-7-25)

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