二つの偶然に後押しされて音楽の深みにー恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読む

久方ぶりに手応えを感じる小説ー恩田陸『蜜蜂と遠雷』ーを読んだ。その出会いはいささか奇妙なものだった。この本がいかなる賞をとったものか、どんなに話題を呼んだかも、いや著者の性別さえ知らずに、偶々二つの偶然が読む気にさせたのである。一つは、引越しのドタバタの中で、日頃本を読む習慣をあまり持たない妻が、購入したままにしていたこの本をひょんなことから発見したことだった。もう一つは、この本とほぼ舞台や背景などを重ねもった、浜松での国際ピアノコンクールを放映するテレビ番組を観たことである。妻が本を買っていず、テレビもその番組を見る機会を逃していたら、間違いなく読まずにいたに違いない▼この本は、ピアノ・コンテストの第一次予選から本選までの4つのシチュエーションを、4人のコンテスタントを中心に克明に追ったものだ。音楽を文章で表現することの難しさは改めて言うまでもないが、著者は見事にやってのけており(ど素人の私の目にはそう映る)、この世界に無縁なものをしてグッと近づける貴重な価値を持つ。個性豊かな登場人物の描き方が最後まで(最終盤はいささか蛇尾の感がするが)、読むものを惹きつけてやまない。更に、この本に登場する様々な音楽家やその作品の手引書の役を果たしていて、それらの曲を一つ残らずCDででも聴きたくなってしまうのだから不思議だ▼前者の偶然は、衝撃的だった。3歳の時からピアノを弾くことを義務付けられ、その後ずっとその環境にいながら、ほぼ私との出会いを契機にピアノから遠ざかってしまった妻。その彼女が例え束の間でも読もう(買っては見たが呼んだ形跡はない)との気になった(でなければ買わないはず)のだから驚いた。後者の方は、実際に浜松国際ピアノコンクールを密着取材し、中村紘子に師事した青年をしっかりと描いていて観るものを惹きつけて止まず、この本をも読む気にさせた。勿論、小説と現実のピアノコンクールとの違いはあるが、どちらが欠けてもその本質の理解に肉薄は難しかったと思われる▼この二つの偶然の産物に後押しされて読むことになった私は、つくづくと音楽の世界の深遠さと、ピアノ弾きの運命の過酷さを改めて知るに至った。 私との出会いから妻を結果的にピアノから遠ざけてしまったことに、少なからぬ罪悪感を持ってきたのだが、この本を読み終えて、その必要はないと確信した。つまり、なまじっかな意思ではピアノ弾きの人生は到底全うできないことが再確認できるからだ。尤も、ピアノへの憧れとプロを目指した彼女の思いを、無残にもへし折った我がデリカシーのなさをも気づかせて余りあるのだが。幼き日の夢の再確認をしようと買ったものの読まぬうちに、亭主に横取りされてしまった妻は、間違いなく二度とこの本を開くことはないに違いないと思われる。一緒になってやがて50年。苦手な「音楽」は未だに遠い。(2019-12-3)

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