21世紀の危機としての感染症ー『中央公論』4月号特集を読む

新型コロナウイルスのパンデミックがこれからどういう展開をしていき、人類はこれにどう立ち向かっていくか。まさに固唾を飲む思いで、人々は日々の感染症の広がりに恐れを抱いて推移を見つめており、新聞やテレビでの報道や特集では、今そこにある危機への対応が取り沙汰されている。勿論それも重要だが、もっと深く大きな視点から、文明の推移との関連といったものに目を向ける必要を説いた論考を読んだ。中央公論4月号の特集『21世紀の危機?瀕死の民主主義と新型肺炎』である。ここでは、10本もの鼎談、対談、論考、インタビューが掲載されているが、そのうち、冒頭の鼎談『疫病という「世界史の逆襲」』と山本太郎『感染症と文明社会』を取り上げたい▲双方共に、文明社会に生きる人類と感染症との戦いを世界史に立ち戻って検証する一方、これからを展望している。まず山内昌之、本村凌二、佐藤優の三氏による鼎談から。共通の認識は、過去の感染症が歴史的転換点になってきたということである。感染症の蔓延によって、あたかも「ビフォア、アフター」のように、大きく違った世界の姿が現出してくることもありうるとしていることが興味深い。ここで語られていることの中核の一つは、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で、人類は飢饉、疫病、戦争を克服しかけており、その結果、「AIとバイオサイエンスの融合によって、一部の人間が神のような力を持つようになる」との仮説の行方である。もし、今回の新型コロナウイルスとの戦いの結果如何では、仮説通りの「暗澹たる未来」になるか、それとも疫病に打ち崩された〝惨憺たる未来〟になるかの〝地獄の選択〟となるかもしれないのである。願わくば、ウイルスに打ち勝つと同時に、恐怖の未来社会が現実化することもごめん被りたい▲山本太郎氏は、長崎大の感染症研究の専門家だが、「なぜ、ある感染症が流行するのか。これまで私たち研究者は、その原因を一生懸命考えてきた。しかし、どうやらその考え方は「逆」ではないかと近年思い始めている」との、極めて印象的な筆運びをしている。つまり、結果として「ヒト社会のあり方」がパンデミックで変化するのではなく、むしろその社会のあり方がパンデミックを性格付けるのではないか、というのだ。というと、今回の新型コロナウイルスは、今の社会のあり方から必然的に生まれたということである。すなわち、密閉、密集、密接の「三密」が揃いやすい社会だからこそ生まれた、感染症だということになろうか▲鼎談で注目されるもう一つの論点は、中国をどう見るかである。今回の事態の発生源になったことで、中国という〝AIによるデータ帝国〟の前途に暗雲が垂れ込めたと見るか、それとも結果次第では、「独裁の強み」が再評価されるかもしれないとの見方の対立である。私は前者の見方に与する。中国は恐らくどうあろうとも我田引水的主張を押し通すに違いないだろうが。また、山本太郎氏は「流行した感染症は、時に社会変革の先駆けとなる」としているが、それは「独立した事象として現れるわけではなく、歴史の流れのなかで起こる変化を加速するかたちで表出する」という。ということは、今既に我々の周りで起こっていることに、これからの社会変革のヒントがあるということだろう。さて、それは何なのか?目を凝らし、耳を澄まして考えていくしかない。(2020-4-1)

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