(346))百年後のトルコの恩返しと日本の理不尽さー門田隆将『日本遥かなり』を読む

今から35年前、1985年イラン・イラク戦争の最中のこと。在イラン邦人が危険な状態のテヘランから脱出したくとも日本から支援機が来ず、どうしようもなかった。その危機的状況の中で、トルコがトルコ航空の旅客機を出してくれ、自国民よりも優先して、日本人たちを脱出させてくれたーこの歴史的事実について、私は朧げながらの記憶しかなかった。しかも、その事実の背景には、トルコという国の国民的記憶の中に、百年ほど遡った頃に起こった出来事(エルトゥール号遭難事件)が深く関わっていたということはまったくと言っていいほど知らずにきたのである。本当に恥ずかしい限りだ▲その事件とは、和歌山の串本大島沖で、今から130年前の明治23年(1890年)に起きた。オスマントルコ帝国の親善使節一行約600人が乗った木造フリゲート艦が遭難、沈没したのである。行方不明者587人。辛うじて69人が付近住民の手で救助された。後にこの生存者たちは日本の二隻の軍艦によって母国に送り届けられた。このことがトルコで今なお語り継がれ、串本町でも5年ごとに追悼式典が行なわれている(今年は130周年の式典が6月に行われる予定と聞く)。この二つの出来事は勿論、直接の因果関係はない。しかし、日本人が19世紀末にトルコ人救援に懸命の力を注いでくれたことが、20世紀後半のトルコ政府要人を動かした。そしてトルコの世論もそれに呼応したことは紛れもない事実だ。このあたかも恩には恩で報いる美しく得難い行為を、私は門田隆将『日本、遥かなり』を読むまで知らなかった。呑気なものである▲門田氏はあとがきで「国際貢献の最前線で懸命に活動する『日本人群像』」を描きたかったと述べている。具体的には、テヘラン脱出を始め、湾岸戦争時の「人間の盾」(1990年)、イエメン内戦からの脱出(1994年)、リビア動乱からの脱出(2011年)という、合わせて4つの「邦人救出」をめぐる物語が展開される。これら4つの物語に共通するのは、海外において活動する自国民のいざという危急を要する場面で、日本政府が救援の手を差し伸べず、他国に委ねてきたという事実である。そのことをわかりやすく、読むものの感性に訴えるかたちをとるために、トルコ人の日本人への「恩返し」に触れ、その原因となった明治日本の「こころ」と対比させた。読むものをして感動させずには置かない▲しかし、なぜ、邦人救出がまともに出来ないという理不尽なことが続くのか。門田さんは、自衛隊の最高幹部の一人・元統合幕僚会議議長の折木良一氏にその辺りについての生の声を聞きだしている。折木氏は、平成11年(1999年)の自衛隊法改正で最初に一部改正に手がつけられてから、その後の経緯を丁寧に説明されている。そこには「政治の不作為」への愚痴めいたこと、批判らしきことは一切ない。むしろ、抑制を利かせた表現で、事態は一歩ずつ前進していると、政治への評価を下す。政治家の端くれとして、これは返って耳に痛い。先年の「安保法制」によって、自衛隊が邦人救出での任務妨害を排除するための武器使用が初めて認められるようになった。「画期的ともいえる改正」がなされたのだが、結局は「武力行使の一体化」の恐れが災いして「事実上、(邦人救出)行使は不可能」なのである。政治の責任は大きい。私は現役時代に、護憲派の意識を憲法の縮小解釈だとして批判してきた。拡大解釈を非難する前に、縮小解釈の非を顧みるべきだ、と。それにしても、改めてこの本を読むことで問題の所在がハッキリする。四つの物語のうち、後半の二つは私が現役時代に起こった事件であるだけに、責任なしとしない。(2020-4-16)

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