軽妙洒脱なドイツ文学者の「老いと死」ー池内紀『すごいトシヨリBOOK』を読む

ドイツ文学者の池内紀さんが亡くなられる2年ほど前に出版された『すごいトシヨリBOOK』。このところ毎日新聞(出版元)の一面下の広告欄にしばしば登場している。タイトルも気になるので、読んでみた。理由は二つ。一つは同氏が私と同じ姫路出身であり、生前一度だけだがお会いしたことがあるから。二つは、最近年老いた知識人ー曽野綾子、石原慎太郎氏らーが老いを巡る考察を次々と出版しており、比較してみたくなったこと。コロナ禍のため図書館が休館になる前に借りて読んだ。後味は悪くはないが、いささか羊頭狗肉で、誇大広告のような感がする。買わなくて良かったと思っている。恐らく本人はあまり気が向かなかったものと思われる。というのも書き下ろしでなく、編集者の聞き書きだからだ。ご自身が熱を入れて書かれたものなら、こんな風ではないというくだりが散見される。もっと深みのある重い老人論を池内さんからは聞きたかった▲勿論、池内さんらしい軽妙洒脱さも随所に。代表的なものを紹介する。一つは、眠りについて。寝られない時は無理せずに起きる。その代わり、朝昼夕夜と4回ぐらいにわけで小出しに寝るといいというのだ。「眠りは短い死、死は長い眠り」とドイツ語でいうから、「短い死を経験しておくと、長い眠りのコツがわかっていい」と。さてさて池内さんはコツを習得されたかどうか。二つは、泌尿器について。池内さんは自らのイチモツをアントンと名付けたそうな。元気な時は「張り切り大王」「モリモリ先生」などなどだったが、今では「しょんぼりくん」「うなだれの君」などと言われたりする、と。このくだり、さもありなんと大いに笑えた。三つは、死について。歌人・窪田空穂が死の床で詠んだ「まつはただ 意志あるのみの 今日なれど 眼つぶれば まぶたの重し」を挙げて、「そんな物理的な体の重さを感じながら、人間は死ぬんじゃないか」といいつつ「僕は、風のようにいなくなるといいな」と結んでいる▲その池内紀さんが去年夏に出版された『ヒトラーの時代』を巡って、ネットの世界で話題になっていることに触れたい。実は今の今までその話題は知らず、本も未読だった。ところがひょんなことから、舛添要一さんがこれに絡んでいることを知ってその本にも興味を持った。何が話題になっているかというと、『ヒトラーの時代』に些細な記述の間違いなどがあり、それをドイツに関する日本の歴史家たちが猛然と批判しているとのこと。で、それを知った舛添さんが池内さんに加勢しているのだ。舛添さんに言わせると、ドイツ文学者が専門外のヒトラーについて語る資格はないという歴史家たちのいいぶりはおかしく、池内さんの指摘(普通のドイツ人がヒトラーを支持していた)は全く自分も同感だというのである▲それというのも舛添さんも池内本と踵を接するように『ヒトラーの正体』なる本を上梓しており、ほぼ同じ趣旨のことを書いたからだという。この二つの本は読んでいないので、そのうち、読んだ上で改めて取り上げるが、私は歴史家たちの批判も分かるような気がする。つまりは嫉妬である。池内紀さんはドイツ文学、舛添さんはフランス政治史が専門。専門外の人間によって、自分たちの領域が侵されるのが、歴史家のみなさんは、気に入らないのである。ご両人ともそれぞれ有名なだけに本を書けば売れるわけで、それも腹が立つ理由に違いなかろう。舛添さんの主張が正解だと思うものの、世の中正論だけではないよ、と言いたくもなる。で、先日NHKのBSテレビで、『独裁者ヒトラー 演説の魔力』なる番組を見た。見事な切り口、出来栄えに圧倒された。90歳を悠に越えたドイツの老人たちが、ヒトラーの演説に魅せられた若き日の自分たちのあの体験を、口々に語っていた。なぜあのように深く熱狂してしまったのか。不思議がると共に、懐かしがっていた。二人の本の中身がこの映像を上回っているかどうか。楽しみに読んでみたい。(2020-5-14 一部再修正)

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