西洋思想を批判し、日本の心を宣揚した外国人ーラフカディオ・ハーン『新編 日本の面影』

ラフカディオ・ハーン(日本名・小泉八雲)というひとの存在を知り、その名著『怪談』を読みかじってから、もう半世紀ほどが経つ。明治37年に54歳で亡くなる半年ほど前に東京で書いた、つまり最後の仕事となったのが、それだ。彼は、ギリシャのある島でアイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれた。1850年のことだ。19歳の時に単身、アメリカに渡り、職を転々と変えながら世界各地を飛び回った。やがて通信記者となって40歳の年に来日する。島根県松江の中学校の英語教師として赴任、その年の終わりに小泉セツと結婚した。二年後に書いたのが『見知らぬ日本の面影』である。日本に着いて初めて外国人向けの月刊誌(アトランティック・マンスリー)上に連載した作品だ。恥ずかしながら、これを私は知らずにいた。きっかけは、たまたま見たNHK総合テレビの「100分DE名著」シリーズで取り上げられていたからだ。早速『新編 日本の面影』(池田雅之=訳)を買い求めて読み、深く感動した▼とりわけ私が惹きつけられたのは、「はじめに」である。「日本人の生活の類まれなる魅力は、世界のほかの国では見られないものであり、また日本の西洋化された知識階級の中に見つけられるものでもない。どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在する」ーという風に、日本人の庶民の生活に立ち入って、日本文化の本質や日本人の内面を描こうとする強い狙いが読み取れる。訳者の池田雅之(早稲田大大学院教授)さんは、ハーンが「日本の進歩的知識人や教育制度の中で軽蔑され排除されようとしている日本の古い民間信仰や、迷信、言い伝えや風習、昔話や神話などのフォークロア的世界観の再評価および擁護」をすることで、「近代批判の幕開け」を展開しようとしていることを強調している。日本の近代がキリスト教、西洋哲学・思想の受け入れに必死なあまり、大事な日本のこころを忘れてしまった、という私の最大の関心事の核心をつくテーマにぐいぐいと引き込まれた▼「東洋の第一日目」「盆踊り」「神々の国の首都」から「日本人の微笑」などに至る記述は、実に読みごたえがある。一般社団法人「瀬戸内海 創造の海へ」を立ち上げ、日本の心の風景を瀬戸内海の島々に求め、日本精神のありように迫ろうとしている私にとって大いなる刺激となった。「ホーケキョー」との鶯の鳴き声に、「法華経」を重ね合わせる描き方には思わず微笑んだ。「我が家の小さな仏教信仰者は、こんなにも簡潔に信仰心を伝えているのだ。鶯は流れるようなさえずりの合間に、その聖なる言葉を何度も何度も繰り返し唱和する」ー50年間に亘り、日蓮仏法の信仰にわが身を委ねてきたものとして、このくだりにはまことに胸打つものがあった。物質主義、個人主義、産業中心主義、キリスト教など、ハーンの西洋批判の切口は多岐に亘っている。日本人に代わってのこの批判の切口こそ、今最も注目されねばならないと思う▼この夏、一昨年から続く三度目の熊本行きを思い立った。同県に住む畏友が案内してくれる気安さもあってだが、今回は家内を伴った。初めての阿蘇を見せたい、と。その熊本こそ、ハーンが島根のあとに移転した地なのである。市内の中心にある、ハーンのかつての住まいをつぶさに見る機会を得た。小さいながらも整った庭を見ながら、「日本の庭にて」を思い起こした。「出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命のような気がする」「この庭の美しさを創り出した、今は失われてしまった芸術」などと述べている。日本らしさの消滅という未来を予測しながら、仏教への憧憬を深く強く描き出していたことには感銘を新たにした。ハーンといえば『怪談』。それも深い理解ではなく、紋切型にしか捉えていず、やり過ごしてきた自分を大いに恥じる”熊本旅”になった。昨年、出雲大社を訪れた際に気付かなかったハーンの仕事を、熊本にて改めて気付かされたというのも妙なものだが、彼はその後、神戸、東京と私にとっての有縁の地に移り住んでいる。遅ればせながらも、西洋礼賛の陰で忘れられた日本のこころ、日本精神のありどころをハーンに教えられた。今、たとえようもない幸福感に浸っている。(2015・8・31)

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