Monthly Archives: 12月 2013

常識覆す、「古事記は鉄の物語」

これまで3回にわたって『古事記』をめぐる様々な思いを綴ってきたが、今回締めくくるにあたって画期的な本を紹介したい。村瀬学『徹底検証 古事記』である。この本と出会わなければ、古事記を誤解したまま終わったかもしれないとの印象は強い。

古事記を読んでも正直に言って良く分からない、との読後感は多くの人が持つはず。日本最古の物語であってみればそれも仕方ないか、と私も思いつつ、それにしてもとの割り切れぬ感情は否定しきれなかった。それが村瀬学氏の検証に付き合ってみてかなり腑に落ちた。まさに目からうろこだ。

副題に「すり替えの物語を読み解く」とある。古事記は「日・光の神々」のお話として語り継がれてきたというのが一般的であり、常識ですらある。しかし、著者は、それを真っ向から否定し、「火・鉄の神々」の物語だという。本居宣長いらいのあまたの研究者はどう反論するのだろうか。

「古事記は鉄の物語である」との断定は、唐突なものではない。古事記の神話編を貫く語り方には、「神話の世界そのものを『修理固め』として提示するという前提」があるとは知らなかった。この見方が多くの研究者の間の共有事項だという。しかし、そうでありながら、誰もが「稲作の物語」であることに疑いを差し挟もうとはしてこなかった。そこにこの著者は喧嘩を仕掛けている。

西郷信綱や三浦佑之といった名だたるこの道の専門家が滅多切りされている。とりわけ西郷には厳しい。随所で「優柔不断な注釈である」とか「書き写していても恥ずかしいところである」など、と。「はじめに」で、西郷信綱の『古事記注釈』には「私のこの論考もあり得ないほどの決定的なお世話になっている」と述べておりながら、である。古事記を「瑞穂の国」誕生のシナリオ通りに解釈する、という旧来的な読み方のモデルとして西郷を血祭りにあげているわけだ。

鉄の神が日の神にすり替えられたとはどういうことか。例を挙げる。イザナギが「あなたの身はどんなふうになっているのか」とたずねると、イザナミは「私の身にはまだ足らない部分があります」と答えたー「成り成りて成り合はぬ処」と「成り成りて成り余れる処」の件だ。ここはいわゆる男と女の性交をユーモアを交えて語っているとの要約が通常だろう。しかし、これは、銅鐸などの鋳造の場面を比喩的に語っているという。「凸として準備された鋳型と凹として準備された鋳型を合わせて、その間に溶けた金属を流し込む」場面なのだ、と。子作りと、鉄づくりとの類似性とは、まったく驚く。

また、天の岩屋の場面も「鏡」に込められた鍛冶の力への畏怖の念が見て取れるとか、スサノオのおろち退治の話も異族の産鉄の力を自分のものにしようとしたことだとか、いなばの白兎の話も単なる病を治したどうこうではなく、「海の向こうからやってくる『鉄/兎』に対して」、「二つの異なる鍛冶の対応をしている話」だというのである。推理小説の謎解きのごとく、面白い。

著者には、「古事記の神代の神々を最初から最後まで鉄の神々の物語として」、徹底した一貫性をもって読み抜いたのは自分だけ、との強い自負がある。アカデミズムが鉄の匂いを感じながらも結局は誰も本気になって向き合ってこなかったことに対して、「国文学ではわからない」「牧歌的にすぎる」との表現が勝ち誇ったように出てくる。このあたり、『逆説の日本史』で繰り返し歴史学者を虚仮にする井沢元彦と似てなくもない。

この本で、言葉の持つ多義性に思いをはせ、語源に遡ることの大事さを改めて痛感した。現代の言葉遣いだけで古代の言葉を判じようとする無理さ加減を、いやというほど感じさせられる。裏付け証拠として、白川静の『字訓』が至る所で顔を出すのは印象深い。

もう一つ見逃せないのは、著者が「火(鉄)」を作る話を、「日(明り)」の話として人々に受けとめさせる必要に迫られた時期が日本史上三度あったとしていることだ。一度目は、日本という国名を用いて、それ自体を照らす存在として、アマテラスを創り出した時。二度目は、明治になって鉄の大国を支えるためにアマテラスの話を学校の教科書などで大々的に宣伝しはじめた時。そして三度目が先の大戦が終わって、「地上の太陽」という触れ込みで原発を建設しはじめた時。確かに、いずれもイデオロギーを優先させた、すり替えが基本にある。ここを見抜いていかないと、東北の大震災以後の、原発が提起する文明の根源的課題に対応できない。

著者は、謎の多い古事記の真相に迫るには「詩的な構想力が不可欠」だと言う。確かにそうだろうと思う。ならば、村瀬氏は最後の最後まで責任をもって古事記の謎を解明してほしい。この論考は第一巻の神代編だけで、その後の二、三巻は手つかずだ。この一巻においてもいくつか「私にはわからない」との箇所がでてくる。正直でいいのだが、引き続き解明の努力をしてほしいと思わざるを得ない。

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常識覆す、「古事記は鉄の物語」

これまで3回にわたって『古事記』をめぐる様々な思いを綴ってきたが、今回締めくくるにあたって画期的な本を紹介したい。村瀬学『徹底検証 古事記』である。この本と出会わなければ、古事記を誤解したまま終わったかもしれないとの印象は強い。

古事記を読んでも正直に言って良く分からない、との読後感は多くの人が持つはず。日本最古の物語であってみればそれも仕方ないか、と私も思いつつ、それにしてもとの割り切れぬ感情は否定しきれなかった。それが村瀬学氏の検証に付き合ってみてかなり腑に落ちた。まさに目からうろこだ。

副題に「すり替えの物語を読み解く」とある。古事記は「日・光の神々」のお話として語り継がれてきたというのが一般的であり、常識ですらある。しかし、著者は、それを真っ向から否定し、「火・鉄の神々」の物語だという。本居宣長いらいのあまたの研究者はどう反論するのだろうか。

「古事記は鉄の物語である」との断定は、唐突なものではない。古事記の神話編を貫く語り方には、「神話の世界そのものを『修理固め』として提示するという前提」があるとは知らなかった。この見方が多くの研究者の間の共有事項だという。しかし、そうでありながら、誰もが「稲作の物語」であることに疑いを差し挟もうとはしてこなかった。そこにこの著者は喧嘩を仕掛けている。

西郷信綱や三浦佑之といった名だたるこの道の専門家が滅多切りされている。とりわけ西郷には厳しい。随所で「優柔不断な注釈である」とか「書き写していても恥ずかしいところである」など、と。「はじめに」で、西郷信綱の『古事記注釈』には「私のこの論考もあり得ないほどの決定的なお世話になっている」と述べておりながら、である。古事記を「瑞穂の国」誕生のシナリオ通りに解釈する、という旧来的な読み方のモデルとして西郷を血祭りにあげているわけだ。

鉄の神が日の神にすり替えられたとはどういうことか。例を挙げる。イザナギが「あなたの身はどんなふうになっているのか」とたずねると、イザナミは「私の身にはまだ足らない部分があります」と答えたー「成り成りて成り合はぬ処」と「成り成りて成り余れる処」の件だ。ここはいわゆる男と女の性交をユーモアを交えて語っているとの要約が通常だろう。しかし、これは、銅鐸などの鋳造の場面を比喩的に語っているという。「凸として準備された鋳型と凹として準備された鋳型を合わせて、その間に溶けた金属を流し込む」場面なのだ、と。子作りと、鉄づくりとの類似性とは、まったく驚く。

また、天の岩屋の場面も「鏡」に込められた鍛冶の力への畏怖の念が見て取れるとか、スサノオのおろち退治の話も異族の産鉄の力を自分のものにしようとしたことだとか、いなばの白兎の話も単なる病を治したどうこうではなく、「海の向こうからやってくる『鉄/兎』に対して」、「二つの異なる鍛冶の対応をしている話」だというのである。推理小説の謎解きのごとく、面白い。

著者には、「古事記の神代の神々を最初から最後まで鉄の神々の物語として」、徹底した一貫性をもって読み抜いたのは自分だけ、との強い自負がある。アカデミズムが鉄の匂いを感じながらも結局は誰も本気になって向き合ってこなかったことに対して、「国文学ではわからない」「牧歌的にすぎる」との表現が勝ち誇ったように出てくる。このあたり、『逆説の日本史』で繰り返し歴史学者を虚仮にする井沢元彦と似てなくもない。

この本で、言葉の持つ多義性に思いをはせ、語源に遡ることの大事さを改めて痛感した。現代の言葉遣いだけで古代の言葉を判じようとする無理さ加減を、いやというほど感じさせられる。裏付け証拠として、白川静の『字訓』が至る所で顔を出すのは印象深い。

もう一つ見逃せないのは、著者が「火(鉄)」を作る話を、「日(明り)」の話として人々に受けとめさせる必要に迫られた時期が日本史上三度あったとしていることだ。一度目は、日本という国名を用いて、それ自体を照らす存在として、アマテラスを創り出した時。二度目は、明治になって鉄の大国を支えるためにアマテラスの話を学校の教科書などで大々的に宣伝しはじめた時。そして三度目が先の大戦が終わって、「地上の太陽」という触れ込みで原発を建設しはじめた時。確かに、いずれもイデオロギーを優先させた、すり替えが基本にある。ここを見抜いていかないと、東北の大震災以後の、原発が提起する文明の根源的課題に対応できない。

著者は、謎の多い古事記の真相に迫るには「詩的な構想力が不可欠」だと言う。確かにそうだろうと思う。ならば、村瀬氏は最後の最後まで責任をもって古事記の謎を解明してほしい。この論考は第一巻の神代編だけで、その後の二、三巻は手つかずだ。この一巻においてもいくつか「私にはわからない」との箇所がでてくる。正直でいいのだが、引き続き解明の努力をしてほしいと思わざるを得ない。

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恋愛の文学の源流はここから

これまで二回にわたって古事記について思いを巡らしてきましたが、いずれも仏教との関わりについて触れました。これは、古事記が日本独自のものとして強調されすぎ、先の大戦にあって日本書紀と並んで皇国思想のバックボーンになってきたことへの違和感を示したかったからです。私としては、古事記については仏教だけでなく様々の外来思想の影響を受けて出来上がったものだということを指摘し、あまり日本古来からの独自性を強調することは意味がないと言いたかったのです。それはここでこと改めて持ち出さずとも、古事記よりも先に誕生した「十七条憲法」の淵源を見れば明らかです。

聖徳太子の作だとされる「十七条憲法」は大化の改新のイデオロギーを要約したものとして著名ですが、これは、統一国家の原理を儒教的概念を使って述べていることや、仏教を普遍的な原理とみなしていることでも知られます。前者は、上下関係と下の上への服従の義務を説いていますし、後者では、仏、法、僧の三宝を敬えとしていることに触れるだけで十分でしょう。冒頭の「和をもって貴しとなす」でさえ、儒教、仏教の影響と無縁ではないとするのが一般的です。

古事記から始まる日本文学史を学ぶうえで、欠かせぬものとして「小西甚一氏の『日本文藝史』およびドナルド・キーン氏の『日本文学史』の二つが圧巻です」と薦めているのは、大岡信氏です(『あなたに語る日本文学史』)が、これに加えて私なら加藤周一氏の『日本文学史序説』を挙げたいところです。加藤氏はつい先ごろ亡くなられてしまったのは誠に残念ですが、「知の巨人」と呼ばれるに相応しいひとでした。かつて、政治絡みの発言は左翼志向が強すぎるとして敬遠するきらい無きにしも非ずでしたが。

加藤氏は、古事記や日本書紀について、「早くも七世紀以前の大衆の土着文化の一面と、七世紀末から八世紀初にかけての宮廷知識人の学んだ外国文化とが、出会っていた」としたうえで、単純に大陸の風に倣ったのではなくて、「話の語り口そのものに土着の精神の構造があらわれている」と述べています。それはどういうところでしょうか。加藤氏は、その語り口の特徴は、「本すじからの脱線であり、部分的な挿話を全体の均衡から離れて詳しく語る傾向である」としています。「中国の伝統的思想は先ず全体の秩序へ向かう」から日本土着のものの考え方とは違うというわけです。なるほどそういうものかもしれません。日本の大衆はあれこれ回り道をすることに興味を持つ傾向があることを思い起こします。加藤氏はその辺について「だから、『古事記』は、今日の読者に文学として面白く、王朝の学者・読者に、歴史として、またイデオロギーの表現として、不満足なものであった」と微妙な言い回しで語っており、印象的です。

古事記のなかに登場する神話の数々のうち、多くの日本人の心に残るのは、出雲の神オオクニヌシにまつわるものが多いようです。鰐を騙した白兎が赤裸にされ、海水で洗った後、風にさらせとの誤れる忠告によって、ますます苦境に陥ってしまったところをオオクニヌシに助けられる話など最たるものです。前回に見たように、淡路島が”出産”に関することだけであっさりと終わっているのに比して、出雲は国造りから国譲りへとドラマティックな展開が用意されている分、後世の町おこし、地域おこしにとって断然有利な位置にあることは確かでしょう。しかし、だからといって引き下がっているだけではいけないと思います。国生みの地も、対抗心を燃やして想像力豊かにいきたいものです。ことし瀬戸内海の島々で開かれた「瀬戸内国際芸術祭2013」など、国生みとのリンクがなされていれば良かったのに、と今頃になって悔やんでいます。

加藤周一氏は古事記のなかで「もっとも美しく、もっとも感動的な部分は、ほとんどすべて恋の話である」としています。また、ドナルド・キーン氏も、「古事記に収められている説話で最も面白いのは、民話や寓話である」としたうえで、恋愛物語にその真骨頂を求めています。古事記といえば、これまでは軍国主義と天皇崇拝の影響下にあった頃の名残りが尾を引いていました。古事記が歴史書ではなくて文学作品との位置づけがなされたのが高々百年足らず(1925年と見なされています)であってみれば、仕方ないとはいえましょう。ましてその後にあの大戦の時期がすっぽりと入っているのですから。

しかしもう今は違います。ようやく古事記がまっとうな文学作品としての脚光を浴び始めてきたのです。キーン氏は、文学研究者たちが「単に現存する最古の日本語書物というだけでなく、将来の文学的発展の種を内に秘めた文学作品としての位置づけ」を模索しはじめたことを、高く評価しています。かつての暗いイメージで古事記を語るのではなく、むしろ明るい国造りを、恋と共に語る時がやってきたとの予感がします。先ごろ亡くなった丸谷才一氏(このひともまた凄い)は、中国には性愛をめぐる好色文学はあっても、日本文学における恋愛小説は見いだされないとの趣旨を『恋と女の日本文学』で述べていたことを思い起こします。

その恋愛小説の源流こそ、実はこの古事記に端を発しているといえるのです。このあたり、中国との文学比較論争をしてみせることが大事ではないか。尖閣列島を巡っての軍事力拡大論争にはまるよりは、よほど楽しいのではないかーこんなことで締めくくると、お前はいつ平和ボケになったのか、何を寝言みたいなことを言っているのか、と現役政治家から言われそうです。

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恋愛の文学の源流はここから

これまで二回にわたって古事記について思いを巡らしてきましたが、いずれも仏教との関わりについて触れました。これは、古事記が日本独自のものとして強調されすぎ、先の大戦にあって日本書紀と並んで皇国思想のバックボーンになってきたことへの違和感を示したかったからです。私としては、古事記については仏教だけでなく様々の外来思想の影響を受けて出来上がったものだということを指摘し、あまり日本古来からの独自性を強調することは意味がないと言いたかったのです。それはここでこと改めて持ち出さずとも、古事記よりも先に誕生した「十七条憲法」の淵源を見れば明らかです。

聖徳太子の作だとされる「十七条憲法」は大化の改新のイデオロギーを要約したものとして著名ですが、これは、統一国家の原理を儒教的概念を使って述べていることや、仏教を普遍的な原理とみなしていることでも知られます。前者は、上下関係と下の上への服従の義務を説いていますし、後者では、仏、法、僧の三宝を敬えとしていることに触れるだけで十分でしょう。冒頭の「和をもって貴しとなす」でさえ、儒教、仏教の影響と無縁ではないとするのが一般的です。

古事記から始まる日本文学史を学ぶうえで、欠かせぬものとして「小西甚一氏の『日本文藝史』およびドナルド・キーン氏の『日本文学史』の二つが圧巻です」と薦めているのは、大岡信氏です(『あなたに語る日本文学史』)が、これに加えて私なら加藤周一氏の『日本文学史序説』を挙げたいところです。加藤氏はつい先ごろ亡くなられてしまったのは誠に残念ですが、「知の巨人」と呼ばれるに相応しいひとでした。かつて、政治絡みの発言は左翼志向が強すぎるとして敬遠するきらい無きにしも非ずでしたが。

加藤氏は、古事記や日本書紀について、「早くも七世紀以前の大衆の土着文化の一面と、七世紀末から八世紀初にかけての宮廷知識人の学んだ外国文化とが、出会っていた」としたうえで、単純に大陸の風に倣ったのではなくて、「話の語り口そのものに土着の精神の構造があらわれている」と述べています。それはどういうところでしょうか。加藤氏は、その語り口の特徴は、「本すじからの脱線であり、部分的な挿話を全体の均衡から離れて詳しく語る傾向である」としています。「中国の伝統的思想は先ず全体の秩序へ向かう」から日本土着のものの考え方とは違うというわけです。なるほどそういうものかもしれません。日本の大衆はあれこれ回り道をすることに興味を持つ傾向があることを思い起こします。加藤氏はその辺について「だから、『古事記』は、今日の読者に文学として面白く、王朝の学者・読者に、歴史として、またイデオロギーの表現として、不満足なものであった」と微妙な言い回しで語っており、印象的です。

古事記のなかに登場する神話の数々のうち、多くの日本人の心に残るのは、出雲の神オオクニヌシにまつわるものが多いようです。鰐を騙した白兎が赤裸にされ、海水で洗った後、風にさらせとの誤れる忠告によって、ますます苦境に陥ってしまったところをオオクニヌシに助けられる話など最たるものです。前回に見たように、淡路島が”出産”に関することだけであっさりと終わっているのに比して、出雲は国造りから国譲りへとドラマティックな展開が用意されている分、後世の町おこし、地域おこしにとって断然有利な位置にあることは確かでしょう。しかし、だからといって引き下がっているだけではいけないと思います。国生みの地も、対抗心を燃やして想像力豊かにいきたいものです。ことし瀬戸内海の島々で開かれた「瀬戸内国際芸術祭2013」など、国生みとのリンクがなされていれば良かったのに、と今頃になって悔やんでいます。

加藤周一氏は古事記のなかで「もっとも美しく、もっとも感動的な部分は、ほとんどすべて恋の話である」としています。また、ドナルド・キーン氏も、「古事記に収められている説話で最も面白いのは、民話や寓話である」としたうえで、恋愛物語にその真骨頂を求めています。古事記といえば、これまでは軍国主義と天皇崇拝の影響下にあった頃の名残りが尾を引いていました。古事記が歴史書ではなくて文学作品との位置づけがなされたのが高々百年足らず(1925年と見なされています)であってみれば、仕方ないとはいえましょう。ましてその後にあの大戦の時期がすっぽりと入っているのですから。

しかしもう今は違います。ようやく古事記がまっとうな文学作品としての脚光を浴び始めてきたのです。キーン氏は、文学研究者たちが「単に現存する最古の日本語書物というだけでなく、将来の文学的発展の種を内に秘めた文学作品としての位置づけ」を模索しはじめたことを、高く評価しています。かつての暗いイメージで古事記を語るのではなく、むしろ明るい国造りを、恋と共に語る時がやってきたとの予感がします。先ごろ亡くなった丸谷才一氏(このひともまた凄い)は、中国には性愛をめぐる好色文学はあっても、日本文学における恋愛小説は見いだされないとの趣旨を『恋と女の日本文学』で述べていたことを思い起こします。

その恋愛小説の源流こそ、実はこの古事記に端を発しているといえるのです。このあたり、中国との文学比較論争をしてみせることが大事ではないか。尖閣列島を巡っての軍事力拡大論争にはまるよりは、よほど楽しいのではないかーこんなことで締めくくると、お前はいつ平和ボケになったのか、何を寝言みたいなことを言っているのか、と現役政治家から言われそうです。

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「つくる」と「なる」との大きな違い

古事記の冒頭には、国生みの神として知られるイザナギ(伊弉諾)とイザナミ(伊弉冉)の兄妹神が登場します。この二人の神と深い関わりを持つのが淡路島とその周辺の小さな島々です。一つは、この二神によって地上に最初に出現した土地としてのオノコロ島と、今一つはこの二神が最初に生んだ子としてのアハヂノホノサワケ島です。後者が淡路島を意味することは歴然としています。前者のオノコロ島については、「海と泥の混じる塩をコヲロコヲロと掻き回し、掻き鳴らして引き上げた。その時にしたたり落ちた塩が累(かさ)なり積りに積もって島になった」とされているだけで、具体的にどの島をさすかは判然としません。

周辺に存在する島々、というよりはその島の近辺の人々は、我が地域のこの島こそオノコロ島だと主張して譲らないのです。有力なのは南あわじ市にある沼島(ぬしま)。対抗馬は淡路市の岩屋にある絵島です。沼島は上空から見ると、勾玉(まがたま)の形をしているように見えます。ここには高さが30mもある奇岩・上立神岩があり、イザナギとイザナミとが穀物豊穣と子宝に恵まれるようにと、左と右に分かれて廻って愛を交歓したとする「天の御柱」のイメージにぴったりです。他方、絵島は砂岩層の小島で、岩肌の浸食模様はなかなかのもので、一見の価値ありとされています。 日本の神話をめぐっては、出雲(島根)、高天原(宮崎)の二つに比べて、淡路島は今一歩遅れているというか、目立たないのではないかとの不満が兵庫県ゆかりのものたちにないわけではありません。最初に生み出された島として、もっと有名になっていいのに、というわけです。

 先日私は、淡路島の洲本市にある国生み協会に行って、関係者の皆さんとあれこれ意見交換してきました。淡路島大好き人間を自称する友人たちと一緒に。古事記には、イザナギとイザナミは淡路島を生んだあと、イヨノフタナの島を生むとありますが、それは体が一つながら面が四つあり、それぞれ伊予、讃岐、粟(阿波)、土左と名指しされています。明らかに四国を意味しているわけです。この海域は本当に夢とロマンを掻き立ててくれる素晴らしい自然文化遺産です。私事に及びますが、高校の卒業旅行で、船で神戸港から瀬戸内海の小島の群れを縫いながら航海しました。このことは生涯の宝の思い出として忘れられません。エーゲ海やカリブ海に勝るとも劣らぬ絶品の風景だと確信します。これを世界中の観光客に見せずして、日本のどこを見せるのかとさえ思います。その際に、淡路島を起点にして大阪湾から播磨灘を経て瀬戸内海へと広がって形成されている古事記の物語を活用したい、との熱い思いがあるのです。

 

 少し、余談にそれてしまいました。本論に戻します。古事記における国生み神話を読み進めるなかで、興味深いのは前回にも触れましたが、「なり出た」との表現です。「なにもなかったのじゃ。言葉でいいあらわせるものは、なにも」との印象深い出だしで、「天と地がはじめて姿を見せた、その時にの、高天の原に成り出た神の御名は、アメノミナカヌシじゃ。つぎにタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出たのじゃ」と続きます。イザナギとイザナミが神々を生むということについては、文字通り「お生みになる」との表現が使われています。しかし、もう一方で、「その病の苦しみの中で、イザナミのたぐり(嘔吐した、その吐瀉物)からなり出た」とか「糞からなり出た」や「ゆまり(おしっこ)からなり出た」などといういささか驚くべき言い回しが頻出するのです。「ひとは草である」との発想と類似したものを感じさせます。

この「なり出る」の「なる」との表現に注目したのが思想家の丸山眞男氏です。丸山さんは世界の創生神話には、「うむ」ということ以外に、「つくる」と「なる」との二つの発想(合計三つ)があると『歴史意識の古層』という論文で指摘しました。西欧社会つまり キリスト教的世界においては、「無」から創造主が「つくる」という行為を経て、「有」を生み出します。一方、古事記という日本の神話にあっては、創造主といった存在を介するのではなく、「自然がおのずからそのようになった」ことだとして、「なる」といいます。つまりは、古代の日本人にとって、この宇宙空間というものは、誰かがつくったものでも、生み出したのでもなく、自然と今あるすがたのようになって出てきたというのです。

「なり出る」という表現が醸し出すものを考えるときに、仏教での「空(くう)」に思いを致さざるをえません。有るか無いかで、この世における存在を論じるのではなくて、もうひとつ有るといえばあるけれども、無いと言われればない。つまり、目には見えずとも、条件が整い、環境が許せば、そこから自然に発生することを可能にする概念を「空」 と捉えるわけです。このあたり、「有るか、無いか」との、専ら二者択一的捉え方がなされるキリスト教的世界観とまったく違うところです。この仏教的世界観の基本を50年ほど前に知っての私の感動は、目からうろこなどということでは言い表せない、とてつもなく大きいものでした。

つまり、古事記の冒頭で使われている、「なり出る」という表現は、まさに仏教でいうところの空の概念を導入すると、ストンと落ちるというのが実際ではないでしょうか。 日本独自のものと見えても、インドから中国を経て日本に伝わってきた仏教の強い影響を受けていることが、このことでも分かるわけです。

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「つくる」と「なる」との大きな違い

古事記の冒頭には、国生みの神として知られるイザナギ(伊弉諾)とイザナミ(伊弉冉)の兄妹神が登場します。この二人の神と深い関わりを持つのが淡路島とその周辺の小さな島々です。一つは、この二神によって地上に最初に出現した土地としてのオノコロ島と、今一つはこの二神が最初に生んだ子としてのアハヂノホノサワケ島です。後者が淡路島を意味することは歴然としています。前者のオノコロ島については、「海と泥の混じる塩をコヲロコヲロと掻き回し、掻き鳴らして引き上げた。その時にしたたり落ちた塩が累(かさ)なり積りに積もって島になった」とされているだけで、具体的にどの島をさすかは判然としません。

周辺に存在する島々、というよりはその島の近辺の人々は、我が地域のこの島こそオノコロ島だと主張して譲らないのです。有力なのは南あわじ市にある沼島(ぬしま)。対抗馬は淡路市の岩屋にある絵島です。沼島は上空から見ると、勾玉(まがたま)の形をしているように見えます。ここには高さが30mもある奇岩・上立神岩があり、イザナギとイザナミとが穀物豊穣と子宝に恵まれるようにと、左と右に分かれて廻って愛を交歓したとする「天の御柱」のイメージにぴったりです。他方、絵島は砂岩層の小島で、岩肌の浸食模様はなかなかのもので、一見の価値ありとされています。 日本の神話をめぐっては、出雲(島根)、高天原(宮崎)の二つに比べて、淡路島は今一歩遅れているというか、目立たないのではないかとの不満が兵庫県ゆかりのものたちにないわけではありません。最初に生み出された島として、もっと有名になっていいのに、というわけです。

先日私は、淡路島の洲本市にある国生み協会に行って、関係者の皆さんとあれこれ意見交換してきました。淡路島大好き人間を自称する友人たちと一緒に。古事記には、イザナギとイザナミは淡路島を生んだあと、イヨノフタナの島を生むとありますが、それは体が一つながら面が四つあり、それぞれ伊予、讃岐、粟(阿波)、土左と名指しされています。明らかに四国を意味しているわけです。この海域は本当に夢とロマンを掻き立ててくれる素晴らしい自然文化遺産です。私事に及びますが、高校の卒業旅行で、船で神戸港から瀬戸内海の小島の群れを縫いながら航海しました。このことは生涯の宝の思い出として忘れられません。エーゲ海やカリブ海に勝るとも劣らぬ絶品の風景だと確信します。これを世界中の観光客に見せずして、日本のどこを見せるのかとさえ思います。その際に、淡路島を起点にして大阪湾から播磨灘を経て瀬戸内海へと広がって形成されている古事記の物語を活用したい、との熱い思いがあるのです。

少し、余談にそれてしまいました。本論に戻します。古事記における国生み神話を読み進めるなかで、興味深いのは前回にも触れましたが、「なり出た」との表現です。「なにもなかったのじゃ。言葉でいいあらわせるものは、なにも」との印象深い出だしで、「天と地がはじめて姿を見せた、その時にの、高天の原に成り出た神の御名は、アメノミナカヌシじゃ。つぎにタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出たのじゃ」と続きます。イザナギとイザナミが神々を生むということについては、文字通り「お生みになる」との表現が使われています。しかし、もう一方で、「その病の苦しみの中で、イザナミのたぐり(嘔吐した、その吐瀉物)からなり出た」とか「糞からなり出た」や「ゆまり(おしっこ)からなり出た」などといういささか驚くべき言い回しが頻出するのです。「ひとは草である」との発想と類似したものを感じさせます。

この「なり出る」の「なる」との表現に注目したのが思想家の丸山眞男氏です。丸山さんは世界の創生神話には、「うむ」ということ以外に、「つくる」と「なる」との二つの発想(合計三つ)があると『歴史意識の古層』という論文で指摘しました。西欧社会つまり キリスト教的世界においては、「無」から創造主が「つくる」という行為を経て、「有」を生み出します。一方、古事記という日本の神話にあっては、創造主といった存在を介するのではなく、「自然がおのずからそのようになった」ことだとして、「なる」といいます。つまりは、古代の日本人にとって、この宇宙空間というものは、誰かがつくったものでも、生み出したのでもなく、自然と今あるすがたのようになって出てきたというのです。

「なり出る」という表現が醸し出すものを考えるときに、仏教での「空(くう)」に思いを致さざるをえません。有るか無いかで、この世における存在を論じるのではなくて、もうひとつ有るといえばあるけれども、無いと言われればない。つまり、目には見えずとも、条件が整い、環境が許せば、そこから自然に発生することを可能にする概念を「空」 と捉えるわけです。このあたり、「有るか、無いか」との、専ら二者択一的捉え方がなされるキリスト教的世界観とまったく違うところです。この仏教的世界観の基本を50年ほど前に知っての私の感動は、目からうろこなどということでは言い表せない、とてつもなく大きいものでした。

つまり、古事記の冒頭で使われている、「なり出る」という表現は、まさに仏教でいうところの空の概念を導入すると、ストンと落ちるというのが実際ではないでしょうか。 日本独自のものと見えても、インドから中国を経て日本に伝わってきた仏教の強い影響を受けていることが、このことでも分かるわけです。

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古事記を読み、ひとの誕生に思いをめぐらす

今月からは、日本の古典に挑戦していきたいと思います。一つの代表的な古典を読んだうえで、その中身の基本を抑えるとともに、私の印象やら捉え方を披露します。またその古典を解説している本についても読後感を述べたりしたいと思います。関心のおもむくままにあれこれと連想する流れを記していく手法です。試行錯誤していきます。うまくいくかどうか。どうかお付き合い宜しくお願いします。一回目は、日本最古の書物である古事記(口語訳 三浦祐之)です。

古事記って何かということをまず抑えます。必要最小限のものに限って。これがまとめられたのは、712年(和銅5年)です。太朝臣安万侶が元明天皇の命によって完成させたとされています。元明天皇は奈良時代前期の女帝で、在位は707年から715年。古事記の他に諸国の風土記も手掛けさせた人です。全部で三巻。天地の始まりから、推古天皇まで。上巻は、神々の時代が描かれ、中巻は神武天皇から応神天皇まで。下巻は仁徳天皇から推古天皇までの事績やら系譜が描かれています。

さて私の関心の第一は、人間、ひとの誕生についてここではどうとらえているかということです。冒頭に「泥の中から葦芽(あしかび)のごとくに萌えあがってきたものがあっての、そのあらわれ出たお方を、ウマシアシカビヒコヂと言うのじゃで、この方が人々の祖(おや)と言うことも出来る」とあります。このウマシアシカビヒコヂとは、立派な葦の芽の男神の意味で、人間の誕生をイメージしていると思われます。さらに、「汝よ、われを助けたごとくに、蘆原の中つ国に生きるところの、命ある青人草が、苦しみの瀬に落ちて患い悩む時に、どうか助けてやってくれ」と。命ある青人草との表現に、ひとは草である、植物の仲間なんだとの発想がうかがえるとするのが専門家の捉え方です。このように植物を人間の祖先と考えたことについて、訳者の三浦さんは「日本列島が湿潤な気候の中にあり、「いのち」の誕生を、草の芽吹きと重ねて感じる心性が生じやすかったからではないか」と言います。

また、「天と地とがはじめて姿を見せた、その時に、高天の原に成り出た神の御名は、アメノミナカヌシ。つぎにタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出た」とのくだりが注目されます。”成り出た”という表現には、作るとか生み出すとかといった表現とは異種の趣きを感じざるをえません。意志あるものが主体的に行動を起こすことではなく、自然な流れの結果といったイメージを感じます。

ひとは草である。あるいはまた、ひとは何者かによって作られたり、生み出されたりするのではなく、自然に成り出てくるものだ。こうした捉え方は、日本古来の独自のものでしょうか。それとも他の地域、人々の影響を受けているものでしょうか。そう考えていると、これまで読んできた本を思い出しました。

梅原猛さんが『人類哲学序説』の中に書いていました。なんでもかんでも人間が中心だとしてきたから、ここへきて、自然から反逆を受ける結果を招いている、草木国土みな人間と一緒なんだとの発想がとても重要だ、と。これは、梅原さんによると、天台本覚思想にある「草木国土悉皆成仏」というもので、この世におけるあらゆるものはすべていのちを持っているという考え方です。彼は、これこそ21世紀をリードする新たな人類哲学の基本におかねばならない重要なものだとし、残された人生をその哲学の展開に賭けるとまでの意気込みを示しておられます。

ところで、天台本覚思想というものは、日本の天台宗に端を発しますが、勿論おおもとは仏教です。仏教といえば、ルーツはインドです。しかし、「草木成仏」はインド発ではなく、またメイドイン日本でもなく、中国が発想元だと言います。植木雅俊さんの『仏教、本当の教え』には、印、中、日の文化比べが試みられていますが、この点についても興味深い比較が出てきます。

インドでは「動物と人間は大して変りないと思われている」から、「動物も解脱は可能だと考えられていた」が、「『知』もなく、『感覚』もない草木に、成仏は無理なことだとされていた」のです。かの地では、この世において存在しているものを、有情と非情にわけ成仏の対象は有情のみとしていることを指摘しているわけです。ところが、中国の天台宗で、草木や国土、山や川までも成仏したり、あるいはできないということが言われだしたといいます。日本では、さらに徹底され草木はもともと成仏しているのだから、改めて成仏する必要はないとまでする考え方があるといいます。つまり草木国土は成仏をすでにした結果であって、これから目指すべき対象ではないということでしょうか。ともあれ、現代人からするとなかなかついていけないところです。植木さんは前述の本で、その辺については「日本の自然が豊かで、自然の恵みと人間のつながりの密接さから出てきた言葉ではないかと思われる」としています。

古事記がまとめられる前に遡ること150年くらいの6世紀半ばに、仏教は日本に伝わりました。したがってこうした、人は草であるとのとらえ方はその影響を少なからず受けたと言えるのではないでしょうか。

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古事記を読み、ひとの誕生に思いをめぐらす

今月からは、日本の古典に挑戦していきたいと思います。一つの代表的な古典を読んだうえで、その中身の基本を抑えるとともに、私の印象やら捉え方を披露します。またその古典を解説している本についても読後感を述べたりしたいと思います。関心のおもむくままにあれこれと連想する流れを記していく手法です。試行錯誤していきます。うまくいくかどうか。どうかお付き合い宜しくお願いします。一回目は、日本最古の書物である古事記(口語訳 三浦祐之)です。

古事記って何かということをまず抑えます。必要最小限のものに限って。これがまとめられたのは、712年(和銅5年)です。太朝臣安万侶が元明天皇の命によって完成させたとされています。元明天皇は奈良時代前期の女帝で、在位は707年から715年。古事記の他に諸国の風土記も手掛けさせた人です。全部で三巻。天地の始まりから、推古天皇まで。上巻は、神々の時代が描かれ、中巻は神武天皇から応神天皇まで。下巻は仁徳天皇から推古天皇までの事績やら系譜が描かれています。

さて私の関心の第一は、人間、ひとの誕生についてここではどうとらえているかということです。冒頭に「泥の中から葦芽(あしかび)のごとくに萌えあがってきたものがあっての、そのあらわれ出たお方を、ウマシアシカビヒコヂと言うのじゃで、この方が人々の祖(おや)と言うことも出来る」とあります。このウマシアシカビヒコヂとは、立派な葦の芽の男神の意味で、人間の誕生をイメージしていると思われます。さらに、「汝よ、われを助けたごとくに、蘆原の中つ国に生きるところの、命ある青人草が、苦しみの瀬に落ちて患い悩む時に、どうか助けてやってくれ」と。命ある青人草との表現に、ひとは草である、植物の仲間なんだとの発想がうかがえるとするのが専門家の捉え方です。このように植物を人間の祖先と考えたことについて、訳者の三浦さんは「日本列島が湿潤な気候の中にあり、「いのち」の誕生を、草の芽吹きと重ねて感じる心性が生じやすかったからではないか」と言います。

また、「天と地とがはじめて姿を見せた、その時に、高天の原に成り出た神の御名は、アメノミナカヌシ。つぎにタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出た」とのくだりが注目されます。”成り出た”という表現には、作るとか生み出すとかといった表現とは異種の趣きを感じざるをえません。意志あるものが主体的に行動を起こすことではなく、自然な流れの結果といったイメージを感じます。

ひとは草である。あるいはまた、ひとは何者かによって作られたり、生み出されたりするのではなく、自然に成り出てくるものだ。こうした捉え方は、日本古来の独自のものでしょうか。それとも他の地域、人々の影響を受けているものでしょうか。そう考えていると、これまで読んできた本を思い出しました。

梅原猛さんが『人類哲学序説』の中に書いていました。なんでもかんでも人間が中心だとしてきたから、ここへきて、自然から反逆を受ける結果を招いている、草木国土みな人間と一緒なんだとの発想がとても重要だ、と。これは、梅原さんによると、天台本覚思想にある「草木国土悉皆成仏」というもので、この世におけるあらゆるものはすべていのちを持っているという考え方です。彼は、これこそ21世紀をリードする新たな人類哲学の基本におかねばならない重要なものだとし、残された人生をその哲学の展開に賭けるとまでの意気込みを示しておられます。

ところで、天台本覚思想というものは、日本の天台宗に端を発しますが、勿論おおもとは仏教です。仏教といえば、ルーツはインドです。しかし、「草木成仏」はインド発ではなく、またメイドイン日本でもなく、中国が発想元だと言います。植木雅俊さんの『仏教、本当の教え』には、印、中、日の文化比べが試みられていますが、この点についても興味深い比較が出てきます。

インドでは「動物と人間は大して変りないと思われている」から、「動物も解脱は可能だと考えられていた」が、「『知』もなく、『感覚』もない草木に、成仏は無理なことだとされていた」のです。かの地では、この世において存在しているものを、有情と非情にわけ成仏の対象は有情のみとしていることを指摘しているわけです。ところが、中国の天台宗で、草木や国土、山や川までも成仏したり、あるいはできないということが言われだしたといいます。日本では、さらに徹底され草木はもともと成仏しているのだから、改めて成仏する必要はないとまでする考え方があるといいます。つまり草木国土は成仏をすでにした結果であって、これから目指すべき対象ではないということでしょうか。ともあれ、現代人からするとなかなかついていけないところです。植木さんは前述の本で、その辺については「日本の自然が豊かで、自然の恵みと人間のつながりの密接さから出てきた言葉ではないかと思われる」としています。

古事記がまとめられる前に遡ること150年くらいの6世紀半ばに、仏教は日本に伝わりました。したがってこうした、人は草であるとのとらえ方はその影響を少なからず受けたと言えるのではないでしょうか。

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