Monthly Archives: 7月 2014

資本主義の終焉と新時代の地球哲学

『資本主義の終焉と歴史の危機』ー元民主党政権の経済ブレーンで経済学者の水野和夫氏のこの本はこの夏一推しの本だ。前作の萱野稔人氏との対談本『超マクロ展望 世界経済の真実』も読ませたが、これはさらに知的刺激をそそる。世界経済の今を歴史に立ち返って分析し、近未来の動向を予測するうえで得難い手引書となる。資本主義がもはや命運が尽きたという、いままで何度もいいつくされた感のするテーマではあるが、この人はぐっと文明論的に問題の解明を進めてくれ、面白い▼資本主義が目指すものは利子率によって推し量られる。それが今やゼロ金利。資本を投資しても利潤が出ないーこのことは何よりも資本主義の終焉を物語っている。「長い16世紀」といわれる時代が、中世から近代への大転換の時であった。それと対をなす500年ぶりの転換の時が今だ。著者は、「長い21世紀」と呼ぶ。しかし、この時代は、もはや経済の成長の糧となる新天地がない。経済発展のための対象地域が失われた今、「電子・金融」のバーチャルな空間に目を向けて、目先をごまかすしかないというのが実態だ▼これには、未開の地・アフリカがあるではないか、との反論はあろう。しかし、そことて、これからの投資先としてはたかが知れている。束の間の先送りにはなっても恒常的な資本投資先としてはあまりに心もとない。もはや地球上のパイオニアはなくなり、人々にとってかつてのような新たに儲ける手だてはないというのが偽らざるところなのだ。▼資本主義に代わる、新たな理念や経済の仕組みが待望されるといいつつ、自分にはそれが何かが解らないと、正直に水野氏は言う。ひたすら息を吞んで読み進めた読者は最後に突き放されるわけだ。では、どうするかは、今に生きる人々が知恵を出し合うしかない。ここは地球上の実態を認識し合って、限られた資源をどのようにシェアして生き抜くかについて相互理解を進めるしかないのだろう。しかし、先にうまい汁を吸いつくした先進国家群の主導するそういった身勝手な方向性を、後進国家群が許容するとは想像しがたい▼ここは、やはり、地球上に住むあらゆる民族、国家群を、意識において束ねる哲学・思想が待たれるところだと思われる。そう、いささか飛躍に聞こえるかもしれないが、21世紀は真実の宗教の世紀なのだ。16世紀は、資本主義の抬頭で、西洋のキリスト教の終焉をもたらした。それから5世紀という長大な時間を経て、今21世紀は、東洋の仏教思想の抬頭で本格的な幕開けを迎えたといえよう。(2014・7・28)

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余部鉄橋補修工事半ばで逝った従兄を想う

宮本輝さんの自伝と言われる『流転の海』(全七部)の第六部までをようやく文庫本で読み終えた。かつて我々の信奉する仏法を基盤にした小説ってどんなものだろうかと考え、親しい仲間であれこれ意見を交わしたことがある。その時は、船山馨さんの『石狩平野』辺りが一番近いのかな、との結論だったと記憶する。しかし、今は違う。文句なしに宮本輝さんのものだと確信する。読んでいて、しばしば共鳴し同感するくだりは枚挙にいとまがない▲私の従姉に無類の本好きがいるが、このひとから『流転の海』を読むことを勧められた。というより、読もうと言う気にさせられた。というのが「二回目読んでる」と聞かされたからだ。というわけで、やっとこさっとこあと一息で全七巻読了という段階まで来た。その第六部『慈雨の音』には、私にとっても、また従姉にとっても、極めて印象に残るシーンが登場する。それは、かの余部鉄橋の中間あたりから遺灰を撒くという、まさに幻想的そのものの場面なのだ▲兵庫県美方郡香美町にあるこの鉄橋は、高さ41mほどの橋脚を持って約310mに及んで、川と国道の上を跨いでいる。山陰本線鐙駅と餘部駅間にある、この鉄橋は明治45年の開通いらい、静かな人気を博してきた。何しろ細長い橋桁の上を、日本海を背景に列車が走る風景は、大げさだが、この世のものとは思えないぐらいであった。残念ながら昭和61年に突風に煽られ、走行中の車両が転落するという事故があっていらい、付け替え工事が射程に入った。最終的に2010年(平成22年)に鉄筋コンクリート化が完成した。実は、この工事を担当したのが私の従兄・北後征雄氏である。従姉からすると弟になる▲北後氏は昭和40年代初頭の旧国鉄入社いらい、新幹線のトンネル工事に携わり、後にコンクリート研究で博士号を取得することになる。JR西日本を定年退職してから、この余部鉄橋の付け替え工事の担当を退職後の第二の職場・大鉄工業ですることになった。彼から、何とか今までの鉄橋の橋脚を生かした形で、工事をすることが出来ないものか、との相談を受けたことがある▲最終的にはその願いは叶わず、心ならずもコンクリートで補修するという形になってしまったが、その工事の完成途上で、彼は大腸がんのためにこの世を去ることになった。『慈雨の音』で遺灰を撒く場面が出てくると、思わず北後氏の無念の死を思い出し、作中の主人公たちの思いと重なり合ってしまった。宮本輝さんに逢ってこのことを伝えたいものだ(2014・7・18)

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透徹した眼差しで見ぬく元外務官僚

じっとこちらを見つめるまなざしが異様だった。恐らく15年以上ほど前のことだが、国会の会合で見かけて、未だに強い印象で残っているひとを、私はこの人をおいて知らない。佐藤優ー元外務省主任分析官で、今を時めく大作家だが、当時は違った。公明党の外交安全保障部会に来た説明要員の一人として、前席に坐るのではなく、後裔で壁を背にして私の真正面に坐っていた。およそ感情らしきものはその大きな瞳からは感じられなかった。ゆえに、なんだか妙な違和感がずーっと残っていた▲後に(2002年5月)、鈴木宗男事件に絡む背任容疑で逮捕され、同年7月に偽計業務妨害容疑で再逮捕され、512日間拘留されたひとである。『国家の罠』を2005年に出版して以後の、この10年の凄いしごとぶりは、まさに八面六臂を越える。彼の書いた本は正直言って読む方が追いつかない。私は最初の頃は殆ど全て読み漁り続けたが、もう追いつかない。とりわけキリスト教神学にまつわる専門的著作は手におえず、読書レースから脱落してしまった▲その彼が総合雑誌『潮』誌上に、池田SGI会長と歴史学者A・J・トインビー氏との対談を読み解く連載をし、それが『地球時代の哲学』としてまとめられた。当初は引用部分が多すぎないかとの思いを禁じ得なかったが、読み進むうちにすっ飛んだ。池田先生をまっとうに理解する本物の知識人が登場した、との思いを心底から持つ。現役時代を通じて、私が付き合った外務官僚で、彼を評価するひとを寡聞ながら知らなかった。外務省への徹底した批判の刃がもたらしたものだろう。せいぜい記憶力が凄いね、というくらいで、後は無視するのが精いっぱいという人が大半だった。さてその後の彼を見聞し、引き続きそういう態度を取るのかどうか、一人ひとりに聞いてみたいものだ▲今回の集団的自衛権問題にまつわる論評でも彼のそれは、明解そのものだ。「公明党の圧勝」で、「公明党が連立与党に加わっていなかったならば、直ぐにでも戦争ができる閣議決定、体制になっていたのではないか」といった位置づけは、まさに公明党の支持者にとって胸すく思いになろう。これまで佐藤優の存在を知らなかった人々にとって、ちょっと古い譬えだが、天から降り来ったスーパーマンか月光仮面のように思われるのではないか。「これでは米国の期待に応えられないのではないか」とみる外務省関係者やOBの声を取り上げ、低評価の背景を明らかにしている。今思うことはただ一つ、佐藤さんをして贔屓の引き倒しにさせないようにせねば、と。(2014・7・15)

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前防衛大学校長の意味深長な評価

今回の集団的自衛権問題をめぐる閣議決定について、これで「戦争に巻き込まれてしまう」とか、これで「平和を保つことが出来る」という賛否両論の立場からの議論があるが、どちらもかなりいかがわしい。安倍首相言うところの抑止力が破たんすれば、自ずと戦争になるのは当然だ。従来なら同盟国・日本として米国に対して何も出来なかったのが、出来るようになったということだ。それを恐れてどこかの国が先制攻撃をしてこなければ、今まで通り平和は保てるが、それでもなお、その国が仕掛けてくればそれが不可能になってしまうと言うに過ぎない▲前の防衛大学校長で神戸大学名誉教授の五百旗頭真さんが意味深長なことを公明新聞のインタビューで答えている。「事実上、憲法を変えられないなら、国にとって必要な場合、通常の法手続きで変えていかざるを得ない。というより、それは国権の最高機関が担うべき当然の仕事のはずだ」し、「憲法を抱いて死ぬ選択を国は行ってはならない」と、「解釈改憲」として必要以上に批判する態度を、批判している。今回のことがなければ、座して死を待つことになりかねなかったと述べているわけだ。私は、今回のことを「解釈改憲」だとは思わないが、紙一重だと思っているだけに、この五百旗頭さんの指摘は傾聴に値する。▲五百旗頭さんは、名著『日本の近代6 戦争・占領・講和』の末尾で「(戦後に)サンフランシスコ体制に守られて、経済発展と利益配分の小政治に没頭し続けるうちに、大局観に立った国家的自己決定能力を見失った感がある」として、「それに基づいて決断する者に漂う風格が失われた」と断じている。そのため、今後の日本は「他国民と世界の運命に共感をもって自己決定する能力」が求められる、と。今回の自公協議の決断も、そうしたことに繋がれば、戦後安全保障の歴史に大いなる転機を作ったことになろう▲五百旗頭さんは、私学の名門・六甲高校出身だ。この学校の生徒は、いつもふろしきを抱え、電車内で断じて座らないという校風を持つ(持っていたというべきか)。なんだか防衛大学校と相通じるものがありはしないか。その校長の職務を終えられたあと、「東日本大震災復興構想会議」の議長を務められ、多大な手腕を発揮された。私は様々な機会にお逢いし、教えを乞うたことがある。日本政治外交史、日米関係論の先達を前に、いつも小政治のプレイヤーの端くれの一人として、肩身の狭い思いを禁じ得なかった。今回のことを契機に、少しは日本の政治に胸を張れるようにしていきたい。(2014・7・12)

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偉大な出版人の死で思い出したことなど

元中央公論編集長の粕谷一希さんが亡くなってはや二か月ほどが経つ。類まれな出版人として著名なこの人は、『作家が死ぬと時代が変わる―戦後日本と雑誌ジャーナリズム』という本の中で、三島由紀夫と司馬遼太郎の死が時代を画したことを書き記している。一転、彼の死で、評論家が死ぬと時代は変わると、いう思いを持つ人は少なくないだろう▲実は、私は数年間にわたってこの偉大な言論人と席を同じくしたことがある。新学而会という名の(この名前は勿論、『論語』より由来する)会でご一緒させていただいた。私の学問上の恩師・中嶋嶺雄先生が呼びかけ人として行われたこの会には、名だたる学者・文化人が参加されていたが、とりわけ私はこの人に畏敬の念を抱いていた。なぜかと言えば、ジャーナリズムの世界に憧れ、新聞記者の端くれとして青年時代の一時期を過ごしたものとして、仰ぎ見る存在だったからである▲彼は、永井陽之助、高坂政堯、山崎正和、塩野七生といった言論人を育ててきたと言われる。世に粕谷学校といわれるものについては、今発売中の文藝春秋8月号の巻頭文「日本人へ」に詳しい。中嶋先生と共に永井陽之助先生の謦咳に、大学時代の講義で接したことのある私にとって、一緒のテーブルで語り合った時間は珠玉の趣きがあったという他ない▲残念ながら今ここで紹介できるような秘話は粕谷さんと私の間にはない。幾たびか話しかけてはみたが、会話は続かなかった。私の能力不足は勿論だが、粕谷さんももはや往年の鋭さを発揮されるだけの気力を持っておられなかったかのように思われた。会の合間に、時に居眠りをされていたいたことも今となっては懐かしい▲塩野さんは、前掲の小論で粕谷さんの『随想集全三巻』を推奨、「一昔前の日本に花開いた、知性の集合の観さえある」と書いて、読書欲を掻き立ててくれる。しかも、この三巻を読めば、”粕谷学校の生徒衆”の全集も読みたくなるとしたうえで、電子書籍化の効用まで説いている。何十冊であろうと、持ち運べるからだ、と。このほど、5冊目の電子書籍を刊行したばかりで、近く6冊目を出版する私にとって、大変に嬉しい言葉だ。(2014.7・10)

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駆けつけ警護が可能になって喜ぶ人を想う

今回の集団的自衛権行使容認の閣議決定を一番喜んでいるのは、間違いなく岡崎久彦氏だと思われる。元外務省情報局長でありサウジアラビアやタイ駐日大使などを歴任した人物だ。早速、産経『正論』に「苦節35年、集団的自衛権の時きた」(7・2附け)と書いている。ここ数年は、様々な外交防衛に関する論考の結論部分において、判で押したごとく集団的自衛権の行使容認を説いて飽くことがなかったといって過言ではない。この論考では、彼自身が防衛庁に勤務していた1980年ごろの東京湾からペルシャ湾までのオイルルート防衛の実態を振り返り、米軍の不平、不満を代弁している。海上自衛隊がパトロールに参加できず、しかも「日本の船は守れても、米国の船やアジア諸国の船は守れない」のは、当時の憲法解釈のなせる業だった、と▲岡崎久彦氏には『百年の遺産』を始め膨大な著作があり、何れも読み応え十分だが、安倍晋三氏との間に『この国を守る決意』なる対談本がある。2004年1月発刊だから、10年前のもので、一回目の総理就任前だ。これを読むと明らかに岡崎氏の”指南番ぶり”が明々白々である。美しい師弟関係が読み取れるとともに、安倍氏への期待感が全編漲っていることがくみ取れ、羨望さえ禁じえないほどだ▲実は、この両氏とともに、私は数年間外交防衛の専門家を中心とする『新学而会』なる勉強会に参加していた。ほぼ毎回、元蔵相・塩川正十郎氏や今を時めく伊吹文明衆議院議長ら自民党政治家も一緒だ。私の学問上の師であった故中嶋嶺雄先生(元秋田国際教養大学学長)肝いりのもので、知的刺戟溢れる機会であった。その場で、「PKO(国連平和維持活動)の現場にあって、襲われた外国の要員を、日本の自衛隊員が駆けつけて警護さえ出来ないのは何とかならないのか。今のままでは世界に顔向けできない」と切望された。公明党がこの問題について固い態度を堅持していることを見越しての私への苦情だった▲今回の自公協議では、国家やそれに準ずるものが背後にいなければ、との条件付きで駆けつけての警護が可能になった。当然だろう。これを国家の主権の発動とみて、「集団的自衛権」行使として、憲法9条が禁ずるものとしてきたのはいささか”場違い”だったからである。このことをようやく、今は亡き中嶋先生の墓前に報告できることは私とて嬉しい。これも、憲法9条の枠の中で、出来ることと出来ないことを執拗に仕分けすることを求めた成果に違いない。(2014・7・3)

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