Monthly Archives: 10月 2018

(279)時代を抉る鮮やかな人間模様ー保坂正康『昭和の怪物 7つの謎』を読む

東條英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂ーこの6人が関わった「歴史の闇」に迫るというのが、この本『昭和の怪物 七つの謎』の触れ込みである。著者は保坂正康。印象に強く残るベスト3を挙げよう。まず、犬養毅の孫・犬養道子と保坂との交流。二番目は、渡辺錠太郎の娘・渡辺和子の残した言葉。三つ目は、石原莞爾の生き方である。40年余の間に延べ4000人もの人々に会ってその体験や考え方を聞き、現代史の視点で昭和史を捉え直すという試みをしてきた人ならではの迫真の著作。実に面白く、惹きつけられる中身に満ちているが、わたし的にはまずここで著者があぶり出す人間模様に感じ入った■いわゆる5-15事件は、昭和7年に時の首相・犬養毅が軍部テロで殺されたもので、その際に「話せばわかる」と彼が言ったことで知らていれる。だが、現実は「靴でも脱げや、話を聞こう」だったとの記述には少なからずショックを受けた。戦後民主主義が喧伝される中で、すり替えられたのでは、との保坂の見立ては深く、重い。当時11歳だった犬養道子(作家)は襲撃の現場となった官邸にいた。事件後60年の節目に犬養家が「犬養毅」を悼む儀式を行った際のエピソードが胸を打つ。同事件にまつわるノンフィクションを既に著していた保坂は、儀式の場で家族を含む関係者を前に「犬養毅」を語る役割を担った。彼は犬養を「テロの犠牲になった悲劇の政治家」で、「近代日本の模範的な政治家」と讃えた。その直後に立った犬養道子は、「祖父を称揚気味に語っていただくのは遺族としてありがたい」が、「多くの矛盾を背負った政治家だった」ところを語らねば、「毅像は正確には理解できない」と、凛として述べた。「感情は感情、評価はまた別と考えて臆することなく語って」と諭すように話しかけられた、と。この一言が保坂の後の人生に大きな意味を持ったとの指摘は、今も元政治家としものを書き、話す私にとっても実に大きい■ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者、渡辺和子はいわゆる2-26事件(昭和11年)で殺害された渡辺錠太郎(陸軍教育総監)の娘。生々しい現場で惨状の全てを見てしまった和子は当時9歳の少女。後の戦時下にカトリックに入信し、シスターになり、教育者になった。保坂は、この渡辺和子の生き方の中に「昭和という時代との闘いといった側面がある」という。「宗教者と赦し」との重いテーマに真正面から取り組んだくだりは息を呑む。彼女は「二・二六事件は、私にとって赦しの対象からは外れています」と断言。許せないのは「父を殺した人たちではなく、後ろにいて逃げ隠れをした人たちです」と。昭和史を見る上で大きな鍵になる出来事はこの言葉でぐっと身近に迫って来る。和子の「自分が変わらなければ何も変わらない、誰かに咲かせてもらえると思ったら間違いで、自分が置かれた場所で咲かなきゃいけないと気付かなければダメよ」との言葉もまた重い。信仰についての保坂の根源的問いかけに対して、和子は真正面からは答えず、心の中でいつも、「お父様のおかげでこれができますよ」と父に語りかけているときに、「父の『愛』を実感する」との記述にも感動した■保坂の世代(1939年生まれ)には「悪魔のような存在として印象づけられている」東條英機。その評伝を6年余りかけて著した保坂。その取材の中心になったのが最も長きにわたって秘書を務めた赤松貞雄という人物である。別に私の親族でも知人でもない。東條については、彼の証言がほぼ全体を覆う。「戦争というのは、東條さんは、最後まで精神力の勝負だと考えていたことは間違いないと思う」との発言で、改めて恐るべき無能なひとに支配された戦時・日本を不幸に思わざるをえない。一方、同じ軍人として東條と終始一貫敵対した関係にあった石原莞爾は、なかなか全体像が掴み得ない人物である。「自らの意見を明確に口にし、上官といえども納得できなければ平然と論破した」という。『世界最終戦論』などに代表される軍事思想家、中国との友好を自らの考えとしてまとめた東亜思想家。そして日蓮宗の教学を学び、宗教者として歩んだ悟りの道などなど、「幾つもの複雑多岐な道」を歩んだ人物である。その彼は東京裁判の被告になぜ自分が選ばれぬかといって、悲憤慷慨したという。この一つとってもその裁判の最中にピストル自殺を図った東條とは人物の器が違うと思われる。北一輝と共通するものをもいくつか感じるが、そこには日蓮の「日蓮を敬うとも悪しく敬まわば、国滅ぶべし」(日蓮仏法の学び損ないではダメだとの意味)との言葉を思い起こす。いずれ、石原莞爾についてはもっと深く語りたい。瀬島龍三や吉田茂についても興味深いことがいっぱい書かれている、実に得難い本である。(敬称略=2018-10-29)

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(278)「現代史の青春」から80年ー川成洋・渡辺雅哉・久保隆『スペイン内戦(1936〜39)と現在』を読む

 スペインに私が旅をしたのは2001年。衆議院国土交通委員会の委員長として、所属する委員とともにフランスを経て、バルセロナ、マドリードなどを駆け足で回った。目的は両国の高速鉄道事情調査だった。後にも先にもこの国に足を運んだのはそれだけだが、中世そのものの雰囲気を今に湛えた場所などとても印象的だった。実は新聞記者時代に私が関わったスペイン通が二人いて、その人たちの書くものを通じて、この国のことを知った。一人は作家の逢坂剛さん、もう一人は法政大学教授の川成洋さんである。西欧各国の余暇観をスペシャリストに書いてもらうということで、逢坂さんにご登場願った。一時、逢坂さんの小説を片っ端から読み漁ったものだ。一方、川成さんについては書評を書いてもらってからのお付き合いと記憶する。この人は英文学専攻でありながら、スペインに嵌り込んだというユニークな学者である■実は先日、『英国スパイ物語』という同先生の最新著作を本屋で見て、急に会いたくなった。上京の合間を縫って、溜池山王でお会いした。その際に、贈呈していただいたのが『スペイン内戦(1936〜39)と現在』という同氏を中心にしたお三方による最新の編著作である。なんと、800頁にも及ぶ太い本で、お値段も6千円近い。とても普通では買って読もうという気はしない。しかし、頂いたからには読まねばと思って、少しづつ読み進めている。その時に交わした会話は多岐に及ぶが、英文学からスペインに学問の領域を広げる自由を与えてくれた法政大学のおおらかさへの感謝のお気持ちや、現在の文系の学生の就職における苦悩(マッチングしないということ)に関するお話が印象に残っている■この本を前にして、今なぜスペイン内戦か、という問いかけが当然ながら浮かぶ。のちに送っていただいた「図書新聞」(3363号 8月11日付け)の川成さんら著者三人による鼎談を読み、それなりに背景がよく分かった。スペイン内戦については、『誰がために鐘はなる』とか『カタロニア讃歌』など映画や文学で数多く取り上げられている作品を見ても分かるように、当時の世界の文化・芸術に携わる人々の心底を揺さぶる一大出来事だった。それはかの地が持つ独特の文化的基盤、芸術的空気のなせる業ではないか、と思われる。ヘミングウエイ、ジョージ・オーウェル、ロバート・キャパ、ピカソなど数多の芸術家たちが「国際旅団」なるものに加わって参戦したり、それぞれ独自の関わりを持とうとしたことでもわかる。川成さんはこの本について「スペイン内戦を論じた概説書というわけではなく、三分の一ぐらいは文学や音楽、演劇や絵画、哲学、映画などの研究者が関わっています」し、「海外の研究者たちが積極的に寄稿してくれたのも、この手のものとしては大変珍しい」という。「国際旅団」に命懸けで馳せ参じた義勇兵の数は55カ国から約4万人。共和国側の医療・教育・プロパガンダなどの後方支援についた非戦闘員が約2万人。この数字をあげたうえで、川成さんは「スペイン内戦は『現代史の青春』だったのかもしれない」と印象的な記述をしている■思えば、スペイン内戦とは、コミュニズムかファシズムか、どちらを選ぶかとの紛れもない「地獄の選択」であった。現代史は、その後、第二次世界大戦へと突入。ファシズムは大筋のところ後衛に退くに至ったものの、コミュニズムは栄華を誇る展開となった。だが、それも21世紀を前に脆くも崩れ去る。そして世界は、米ソ冷戦から、米一極の時代を経て、今や中国の台頭と、欧米民主主義国家群の退潮という新局面を迎えている■日本におけるスペイン研究にあって、「孤軍奮闘といえば大袈裟かもしれませんが、川成さんは継続して論じられています」(久保隆)との指摘は見逃せない。その人が深い思いを込めて、80年の時を刻んだ「内戦」から「内戦後」への歴史に立ち向かったのがこの本である。スペインに興味を持つ多くの人々にとって記念碑的役割を持つに違いない。ただ、私のような門外漢にとっては、いささか重すぎる。戦後も長く生きて、影響を及ぼし続けたフランコの存在など、一般に不明な部分が気になる。出来れば、「内戦後」の80年間のスペインを整理した補足集を付けて欲しかった。(2018-10-21)

★他生のご縁 公明新聞文芸欄の常連ライター

 川成さんはしばしば公明新聞文芸欄に書評を書かれています。その昔に私が先鞭をつけたのですが、もはやそれを知る人とていないのが現実です。私の『77年の興亡』について、川成さんに書評を書いて欲しいと思って来ましたが、今のところ実現はしていません。そのうちどこかでと期待しています。

 「ウクライナ戦争」に心傷める日々を過ごす中で、改めて「スペイン」に思いを馳せざるをえません。スペイン風邪の猛威とコロナ禍とともに、この戦争には不気味な予感が伴います。80年の歳月を超えて恐怖の類似性に心穏やかでない思いを抱きつつ、川成さんのご意見聞きたいとの思いが募ってきています。

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(277)永遠の母親と子供像を見るー夏目漱石『坊ちゃん』を読む

日本人の読書好きなら、いや別に好きでなくとも、誰でも知ってるのが夏目漱石の『坊ちゃん』。全集第2巻に収められている、この名作を再読した。改めてその小説展開の面白さに感銘を受けた。「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」ー冒頭から惹きつける。親譲りの慎重さで子供の時から得ばかりしてきた私としては、いや別にそんな人間でなくとも、誰でもその「無鉄砲ぶり」や「損」の中身に引き寄せられる。四国松山の中学校での生徒たちとのバッタ騒ぎや、教師たちの悪事との抗争。最後に加える鉄拳制裁。胸のすくその勧善懲悪ぶりにはやはり快感を覚える。そんな坊ちゃんを例えようもない温かさで見守る下女の清(きよ)。清に母親像を重ね見てきた私だが、今回の再読でどうやらそう単純ではないようだと知った■この小説を漱石は10日あまりで一気に書いたという。その背景には、薩長藩閥政府や東京帝国大学への批判や鬱憤やらが凝縮しているとの見方がある。加えて学校や家族への制度としての在り方への不満も。漱石の小説、それも最も早い段階の『猫』や『坊ちゃん』を老いた身ー心も身体も未だ若いと自認しているがーで読むことには、さすがの私でも抵抗があった。しかし、小森陽一によると、「漱石のなにげない一言に宿っているもののスイッチを押すと途轍もない世界が開けてくる」だけに、「老後に勝手に楽しむ小説のベスト1ですね(笑)」ということになる。そう言われて初めて落ち着き、俄然前向きになるというのも大人気ない限りだが、そこは凡人らしさゆえと自己満足しよう■さて、『漱石激読』による手ほどきとは別に、この小説では養老孟司 の別冊NHK100分de名著『読書の学校 特別授業』も併せて読んだ。これは一転、子供向けの読み物で、大人向けの『激読』とは対照的、好一対である。「大人になる」ということはどういうことか、とのタイトルの一章では、「大人になって日本の世間とどう折り合うか、すでに折り合って生きている人をどう見たらいいのか」と語りかける。この折り合い加減こそ人生の全てと言っていいかも知れない。時に徹底して人と折り合わず、一転、滅茶苦茶に折り合ってきた私なんか、いつまで経っても大人になりきれていないと自認している。脳科学者の書いたこの本、随所に深いヒントが隠されていて興味深い。「学ぶことで私たちは大きく変わっていきます。知るということは、自分の本質が変わることです。本当の意味で学問をすると、目からウロコが落ちる」と。いつまでも変わりきれぬ自分は、中途半端な学びだからか。それとも逆に学びすぎてるのか。結局は、自分の頭で考えるっていうことをしていないからではないか■最後に清をどう見るか。小森と石原千秋は、「正常な家制度でも家族のあり方でも解けない謎が『坊ちゃん』にはあるとして、清が坊ちゃんの先祖代々の墓で待ってるとの表現を挙げている。養老は「清が死ぬことで坊ちゃんは一人になる」「死とは突然やってくる。人は死んでも、心の中に生き続ける。人生はこういうものだと思います」と締めくくる。私は清の普通ではない発言ー親族関係ではないのに同じ墓に入ることーは、深い愛ゆえのレトリックだと思う。謎というほどのことではない。ことほど左様に坊ちゃんは清と一体化していた、と。かつてこの小説を読んだ頃の私は神戸の母と離れて東京の下宿に一人住んでいた。初めて帰郷した時に「帰ってきた〜」と泣き笑いながら抱きついてきたあの時の母の感触を忘れない。休んでいた私の枕元に「寒いだろう、風邪ひくといけないよ」って、衝立代わりに何かを立てかけてくれたことも。清=永遠の母親のイメージは、単純ではあっても、70歳を過ぎた今になっても変わらないのである。(2018-10-13=文中敬称略)

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(276)東大野球部〝百年前の栄光〟ー門田隆将『敗れても 敗れても』を読む

来年創部百年を迎える東大野球部。その前年のこの初夏に、手練れのノンフィクション作家・門田隆将が書いた『敗れても 敗れてもー東大野球部「百年」の奮戦』を読んだ。関西方面で人気テレビ番組のレギュラーメンバーたる本人の口から聞いた上でのことである。着眼点の面白さもあり、東京六大学野球に懐かしい思い出を持つ人間として興味を持った。かねてから格段に弱い東大をリーグに入れ続ける意味に、疑問を持っていた人間としてはなおさらだ。読み終えて、その疑問が晴れたとは言い難い。だが、それとは別に、人間如何に生きるかという根源的なテーマを大いに考えさせられた。そのきっかけを与えてくれる貴重な本である■勝負は勝たねば面白くない。それを大学の4年間に一回も勝てなかった、つまり80連敗したー5チームを相手のリーグ戦で、一年に20戦。4年で80回闘って全て負けたことを意味するーということはさぞ辛かろう。およそ当事者たちはいたたまれないはず、とページをめくった。平成23年から26年まで一回も勝てずに卒業した当時のメンバーの言葉が切なく響く。「八十連敗で卒業したことについては、気持ちというか、〝魂〟がまだ神宮に取りついちゃっているような感じなんですね」と当時の主将。そして卒業後、94連敗でついに連敗を脱した後輩たちを前に、誇らしさとともに、「羨ましく、なんとも言い難い悔しい思いが込み上げても来ます。何が間違っていたのか、もっとやっておけばよかった、後悔の念にさいなまれたりもします」と正直に告白している。かわいそうの一語に尽きる■東大はこの百年の歴史の中で、他の5大学に比べて圧倒的に弱い、ということは歴然としている。この本の最後に付いている年表が何よりも証明している。そこそこ強い時もあったとはいえ、勝ち点3をあげたことは全くない。ベストナインに選ばれたり、プロ野球に入団する人も散見されるが、基本的に〝お荷物〟であることは間違いない。しかし、それだからこそアマチュアの大学野球の真骨頂があるともいえよう。東大野球部に入ってくる連中に共通している思いは、ただ一つ。野球に強い私学、プロ級の選手と対抗出来る得難い経験が出来るということにある。関西六大学では、かつて京都大、神戸大学が入っていた頃がある。関関同立と並んで。しかし、いつの日からか、弱い二つを外した。それだから人気がなくなったとは言わないが、伝統が色褪せてしまったとは言える■尤も、この本の価値は東大野球部の弱さの歴史と伝統を追う(稀ながら勝った時のことにも結構触れており、戸惑うことも)ことではない。ひたすらに、第一章の「沖縄に散った英雄」の中にある。戦前最後の沖縄県知事・島田叡(あきら)のことが克明に描かれており、彼こそ東大野球部の栄光を担う人だったということが明確に分かる。じつは、彼は兵庫二中(現兵庫高)出身で、神戸市須磨区に生まれ育った人である。まさに隣の兵庫三中(現長田高)出身で同垂水区育ちの私は、彼のことをすぐそばにいた先輩として強い関心を持ってきた。先年、TBSテレビが島田叡を特集した際にも貪るように見た。しかし、彼の東大野球部での活躍を巡る深い話は知らなかった。彼の存在があったればこそ東大が六大学の一角を占めるきっかけとなったことは重要である。大学野球の草創期に果たした一高、東大の役割がその後の歴史において風化することは、島田叡とダブルだけに残念である。著者の想いもひたすらそこにあるに違いない。(2018-10-6)

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(275)この150年を考える旅立ちにー夏目漱石『吾輩は猫である』を読む

夏目漱石全集ー我が書棚を飾る全28巻から無言の圧力を感じつつ20数年が経つ。先に朝日新聞社が新聞紙上で『吾輩は猫である』を連載で再掲載し始めた時に、触手が動きかけたが、結局は断念してしまった。それが今年は明治維新から150年の節目の年ということで、明治という時代を真剣に追う気になった。読むものも明治期のものが多くなり、ほぼその時代とともに生まれて死んだ「漱石」に挑戦することにもした。ようやくのことに、全集を繙くことになったのである。既に『倫敦塔・坊ちゃん』(第二巻)、『草枕など』(第三巻)と読み進めており、遂にその魅力に嵌ったといえよう。そしてここに無事、第一巻『吾輩は猫である』の読後録に取りあげることになった。実にめでたい限りだ■猫といえば、我が家にもそれなりの歴史めいたものがある。元来が猫や犬だけでなく鳥や金魚でさえ、なべて生き物を飼うことは我が家では憚られた。その理由は単純。別れが辛いからだったのだが、加えて私の父がかなりの動物嫌いだったことも関係した。真反対に猫好きの家庭に育った妻との結婚で、自ずと私たち夫婦の間ではしばしば喧嘩のテーマにも浮上した。妻の両親と同居(東京・中野で)していた頃など、猫がどこからともなく勝手に上がり込んできて、暗黙の家族となりおおせていた。そこへ私の父が神戸から上京するというので、さあ大変。猫を押入れに隠すことにしたものの、意のままになろうはずがない。父がその姿を発見するや否や、追いかけ回すことになった次第である。とはいうものの、結局は猫好きの家族に負け、飼うことになった。今では孫から私たち夫婦はニャンニャンじいじとバアバ(犬を飼っていた娘の嫁ぎ先の親はワンワン何とかを付けて区別されている)と呼ばれているほどなのだから、まったく世話はない■漱石の「吾輩猫」は、人間世界を大いに批判する。その視線は日露戦争のさなかに書かれたものだけに、随所に様々な隠し絵ならぬ隠し思想が込められているようだ。それこそよーく目を凝らさないと見過ごしかねない。権力の言論統制とのギリギリのせめぎ合いが行われている中で書かれた小説、との側面が見抜けるかどうか。読み手の人間の厚みと深さが試されるのかも。例えば、中学生が草野球をしているボールが苦沙味先生の家に入ってくるといった事件一つとっても‥‥。まあ、そこまで深読みを気にせずとも、単純に「吾輩猫」の視線で人間世界を見るだけでも十分に面白い。ところで、これから全集読破に挑むにあたって、漱石研究の先達たちの「解説絵巻物」の厄介になろうと決めている。第一巻を読みつつ既に石原千秋、小森陽一の『漱石激読』をも併読し終えたのだが、実に刺激的な中身であった。おいおいその成果も反映させていきたい■私としては「哲学先生」の文明談義など、滅法ためになった。「西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのぢゃない。西洋と大に違ふ所は、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云ふ一大仮定の下に発達して居るのだ」ーこのあたり、100年を優に超えてしまった今、漱石の慧眼が光る。「山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すといふ考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないといふ工夫をする。山を越さなくとも満足だと云ふ心持ちを養成するのだ」ー漱石のいう工夫をせずに、日本人も至るところで山をぶち抜きトンネルを掘って来た。「とにかく西洋人風の積極主義許りがいゝと思ふのは少々誤まって居る様だ。(中略)積極的に出るとすれば金の問題になる」ー漱石の見立て通り、日本も西洋風の金、カネ、かねの世の中になってしまった。日本人は西洋人風に骨の髄まで変質してしまっているのかも知れぬ。今私は〝日暮れて道遠し〟を気にしながらも、近代日本の150年を考える旅に出ようとしている。その旅の第一日目に道連れとなった「吾輩猫」の印象は、冒頭を飾るにふさわしい、ユーモアをいっぱいにたたえつつ、したたかな中身を満載したものであった。(2018-9-30)

 

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