来年創部百年を迎える東大野球部。その前年のこの初夏に、手練れのノンフィクション作家・門田隆将が書いた『敗れても 敗れてもー東大野球部「百年」の奮戦』を読んだ。関西方面で人気テレビ番組のレギュラーメンバーたる本人の口から聞いた上でのことである。着眼点の面白さもあり、東京六大学野球に懐かしい思い出を持つ人間として興味を持った。かねてから格段に弱い東大をリーグに入れ続ける意味に、疑問を持っていた人間としてはなおさらだ。読み終えて、その疑問が晴れたとは言い難い。だが、それとは別に、人間如何に生きるかという根源的なテーマを大いに考えさせられた。そのきっかけを与えてくれる貴重な本である■勝負は勝たねば面白くない。それを大学の4年間に一回も勝てなかった、つまり80連敗したー5チームを相手のリーグ戦で、一年に20戦。4年で80回闘って全て負けたことを意味するーということはさぞ辛かろう。およそ当事者たちはいたたまれないはず、とページをめくった。平成23年から26年まで一回も勝てずに卒業した当時のメンバーの言葉が切なく響く。「八十連敗で卒業したことについては、気持ちというか、〝魂〟がまだ神宮に取りついちゃっているような感じなんですね」と当時の主将。そして卒業後、94連敗でついに連敗を脱した後輩たちを前に、誇らしさとともに、「羨ましく、なんとも言い難い悔しい思いが込み上げても来ます。何が間違っていたのか、もっとやっておけばよかった、後悔の念にさいなまれたりもします」と正直に告白している。かわいそうの一語に尽きる■東大はこの百年の歴史の中で、他の5大学に比べて圧倒的に弱い、ということは歴然としている。この本の最後に付いている年表が何よりも証明している。そこそこ強い時もあったとはいえ、勝ち点3をあげたことは全くない。ベストナインに選ばれたり、プロ野球に入団する人も散見されるが、基本的に〝お荷物〟であることは間違いない。しかし、それだからこそアマチュアの大学野球の真骨頂があるともいえよう。東大野球部に入ってくる連中に共通している思いは、ただ一つ。野球に強い私学、プロ級の選手と対抗出来る得難い経験が出来るということにある。関西六大学では、かつて京都大、神戸大学が入っていた頃がある。関関同立と並んで。しかし、いつの日からか、弱い二つを外した。それだから人気がなくなったとは言わないが、伝統が色褪せてしまったとは言える■尤も、この本の価値は東大野球部の弱さの歴史と伝統を追う(稀ながら勝った時のことにも結構触れており、戸惑うことも)ことではない。ひたすらに、第一章の「沖縄に散った英雄」の中にある。戦前最後の沖縄県知事・島田叡(あきら)のことが克明に描かれており、彼こそ東大野球部の栄光を担う人だったということが明確に分かる。じつは、彼は兵庫二中(現兵庫高)出身で、神戸市須磨区に生まれ育った人である。まさに隣の兵庫三中(現長田高)出身で同垂水区育ちの私は、彼のことをすぐそばにいた先輩として強い関心を持ってきた。先年、TBSテレビが島田叡を特集した際にも貪るように見た。しかし、彼の東大野球部での活躍を巡る深い話は知らなかった。彼の存在があったればこそ東大が六大学の一角を占めるきっかけとなったことは重要である。大学野球の草創期に果たした一高、東大の役割がその後の歴史において風化することは、島田叡とダブルだけに残念である。著者の想いもひたすらそこにあるに違いない。(2018-10-6)