第二章で著者は西郷と島津斉彬との関係に焦点を絞る。斉彬は薩摩の10代藩主斉興の長男。異母兄弟で五男にあたるのが久光。斉興は42年もの長きにわたり藩主の座を譲らず、しかもその座を長男・斉彬ではなく、側室お由羅の子・久光に渡そうとしたことからお家騒動に。これが世にいうお由羅騒動と言われるものだが、世代間抗争の側面も持つ。すったもんだの挙句に結局は斉彬が家督を継いだが、比較的早くに亡くなり、結局は久光が登場する。西郷は斉彬を慕い、師事していたためもあり、久光とは全くそりが合わず、徹底して二人の関係は悪い状態で推移する。西郷は生涯を通じて久光との関係に悩まされ続けることになる▼西郷の持つ二つの二面性についても興味深い。一つは、冷徹な策謀家という”悪のイメージ”と、徹底した無私のひとという”善のイメージ”の二面性である。前者は赤報隊というテロ組織的なるものを作ったうえで、幕府を挑発し、鳥羽伏見の戦いを引き起こして戊辰戦争の発端を開かせたことに起因する。後者は、明治新政府の腐敗とその中心者らの権力欲を憎悪しぬいたところが背景にあろう。こうした二面性は歴史上の人物には付きまといがち。最初から最後まで善悪どちらかの色彩が強いというひとは意外に少ないかも。西郷は薩摩独特の郷中という若衆システムの中で育ち、薩摩弁で「大概」という意味を持つ鷹揚さでひとを惹きつけた側面が強い。著者は、最終的に故郷の若者たちに徹して求められたことが彼の人生の波乱万丈の秘密を解くカギになるというのだが▼私はもう一つの二面性に惹かれる。彼の人生を貫く強者のイメージとは反対に、優しい弱者の側面があることだ。最大のものは僧・月照と一緒に錦江湾で入水しようとしたこと。坊さんと海に飛び込んで心中するなどということはおよそ彼の全体的な人間像からは異質に見える。また、島に流された際に現地妻を娶り、後々まで、その睦まじさを語られることなども、いささか彼らしくないと思ってしまうのはこちらの僻目であろうか。こうしたエピソードがもたらすものは、弱者イメージというよりも強運の持ち主というべきことかもしれないのだが▼著者は西郷をして”ただのひと”であることを立証しようとしてかなり苦労している風が見て取れなくもない。その最大のものは、もともと西郷が斉彬の「使い走り」(パシリ)から出発して、後々の地位を得たことを強調していることだ。様々な人脈を知り得るきっかけとなったのはあくまで主君のおかげだということを指摘したいようである。尤も、これとて彼だけに特徴づけられることではなく、大なり小なり誰にでも見いだされることで、そうだからといって西郷を特に低く見ることには無理があるように思われる。これなど政治家の秘書をしてから、その道に入った私など「パシリ」の端くれであるだけに、大いに「それがどうした」といいたくなったのには我ながら苦笑いしてしまう。(2016・11・1)